20.次なんてないわ
少し足が疲れただけだと言って、彼はすぐに無傷であることを断言してくれた。
並んで歩くと、わたしより頭一つ分背が高い。ライナルトは、年を尋ねるとなんと8歳。セドリックよりひとつ、わたしより二つ上だ。そのことをセドリックが伝えると、少し嫌そうな顔をされてしまった。年下に負けたのがかなり悔しいらしい。わたしにとってはそれ以前の問題なのだが。
「どうしてあんなところで手合わせなんかしたのよ。町の人たちに賭けの対象にされてたわ」
「知るかよ。やり合ってたら勝手に寄ってきたんだ。だいたいあいつらは町の連中じゃねーし」
「それさっきも言ってたけど、どういうことなの?」
「そのまんまだ。王都だか外国だか知らねえけど、どっかから来て町を荒らすだけ荒らして帰りやがる。うぜえったらねえぜ」
あ、出稼ぎでよその町から来た人たちってことか。
言葉通り心底腹に据えかねているらしい。ライナルトはツンと立った金髪に手をやり、くしゃりと握りしめた。硬そうな毛髪は、まるでライオンのたてがみみたいだなと怒られそうな感想を抱く。この世界にライオンがいるのかは知らないけど。
「その『やり合ってたら』という部分が問題なの。どういうことなのか、説明しなさいセドリック」
「えっと……ごめん」
左にライナルト、右にセドリックという立ち位置で、今まで左を向いていた顔をくるりと右に方向転換した。申し訳なさそうに眉尻をさげるセドリックは、本当にさっきとは別人みたいだ。――いや、これが本来の彼のはずだ。
ゲームでも、正義感が強いゆえに怒り、敵を糾弾する場面は何度かあった。が、あんな風に温度を無くしたような、冷徹とも言える怒り方をするセドリックは見たことがない。どちらかというと彼は感情をむき出しにして声を荒げて怒るタイプだったんだけど――……
……ハッ!だめだめ!ゲームを基準に考えるのはやめようって、反省したばかりなのに。もしかしたらちょっとずつ変わった未来の中で、セドリックの性質に影響を与えるような出来事があったのかもしれないし。それでもセドリックが優しい男の子だってことは変わらないんだから。
さっきも、様子が変だったことをそれとなく指摘してみたら、困ったように笑いながら「ちょっとシットした」とだけ話してくれた。そうなのね、と答えながら、『シット』ってもしかして『嫉妬』?とは思った。が、いったい何に嫉妬したのかさっぱりわからない上に、わたしに手を上げる(といっても手を振り払われる程度だ)のを怒っていたようにしか見えなかったので、たぶん使い方や単語を間違って覚えているだけだと思う。
そう、彼は友達思いの優しい少年なのだ。だからこそ、なぜライナルトと戦うことになったのかは知りたかった。
「お客さんの呼び込みをしてたはずでしょ?」
「それは……」
「そいつは悪くねーよ。……俺が最初に突っかかったんだ」
反対側で声がして、思わず見上げた。ライナルトは苦々しい表情で、気まずそうに目をそらす。
「……町で一番の武器屋だって、でけえ声で言いやがるから。ムカッときちまったんだよ」
「どうして?」
「うちが一番に決まってるから」
そこはきっぱりと言い切った彼の話を、セドリックが補足した。どうやら彼の家もミッドガフドの武器屋で、いわゆる商売敵であるセドリックに発言内容の撤回を求めたらしい。だが、セドリックも仕事中だ。責任感が強く真面目な性格がこのときばかりは災いして、それはできないと突っぱねて口論になってしまった。結果、それならどっちの剣が強いか教えてやる、という話になり、武器屋としての威信を賭けて勝負することになった……という経緯だった。野次馬の男たちはいつの間にか集まってきただけだというのはわかったが……。
「……セドリックの剣は自前なんだから、それで勝ってもうちの店の評価にはならないんじゃない?」
「は?」
「あ、そっか」
「は、はああ!? おまっ、武器の宣伝すんのにテメ―の店のエモノぶらさげてねーってどういうことだよ!?」
「お金がないから買えなかったんだ」
「かっ、買う……!?」
「あ、わたしたちのお店っていっても、雇ってもらってるだけだから勝手に商品を持ち出せなくて」
一応セドリックのフォローを試みるが、ライナルトは信じられないという顔を崩さない。なんか、うちの子がすみませんという気持ちだ。まあセドリックだし、どういう理由で勝負を持ちかけられたのかあまり理解しないまま受けてしまったのだろう。勝負という単語しか聞いていなかった可能性も高い。
「……信じらんねぇ、ったくよ。次はちゃんとテメ―の店の剣持ってこいよ。うちの店が負けっぱなしでいられっかってんだ」
「うん、わかった」
「ダメよ。次なんてないわ」
言葉を挟むと、怪訝そうな視線を向けられるが、ここは譲れない。あんな心臓に悪いシーンは二度と見たくない。全身の血の気が引いたのだ。
「……わたしは、セドリックが怪我したり、」
「オレは怪我なんて――」
「相手を怪我させたり!……してほしくないの」
かすり傷程度ならまだしも、打ち所が悪くて後遺症でも残るような大怪我になったら。……もし、死んでしまったら。
大袈裟じゃない。セドリックはまだ子どもだ。まだ子どもなのに、……おそらくわたしの発言をきっかけに、剣を持つことになった。剣は魔物だけでなく、人を傷つけうる武器だ。だからこそ、それの使い方を今、彼は正しく学んでいる最中なのだ。
わたしがきっかけだからこそ、わたしにも監督責任がある。
「……できる限り不要な戦闘はしないで。あなたは自分が傷つくより、自分のせいで誰かが傷つく方がつらい……と思うから」
セドリックは驚いたように目を見開き、わたしの右手を握る手に力を込めた。そういえば広場からずっと繋いだままだったことを思い出し、今さら恥ずかしくなってくる。迷子防止で繋いだときはなんとも思わなかったのに。
ゲームの知識を持ち出してしまったことも許してほしい。これはわたしの願望も入っているから。なにより、コトが起きてから傷つき悲しむセドリックを見たくなかった。
「……わかった」
「ほんとに?」
「うん、約束だ」
力強い返事にホッとして笑みを浮かべた。セドリックは一瞬だけ固まったように見えたが、すぐ同じように笑顔を返してくれる。よかった。やっぱり優しい子だ。いいタイミングかな、と思い、そろそろ手を離そう――としたところ、なぜかますます強い力で握られてしまった。すごい笑顔のまま。……どうやらまだそのタイミングじゃなかったらしい。
「ということだから、ライナルト。今日はごめんなさい。今度は手合わせ以外で遊んであげて」
「えっ、あ、おう」
ライナルトは自分に話が振られると思ってなかったのか、ビクッと肩を跳ねさせ、同時にわたしから一歩離れた。あからさまに距離を取られて悲しむ間もなく、そのまま彼は逃げるように、大通りを逸れた細い路地に向かって小走りで駆けていく。しかし、そこはわたしたちの帰路でもあって。
「じゃ、じゃあ俺はこっちだから」
「あら、わたしたちもよ。途中まで一緒に行きましょうか」
「ぐーぜんだな!」
偶然にも同じ道に入り、少し歩く。しかしライナルトはまたすぐに走り出し、近くの店の前で立ち止まった。看板には、『カザミドリ』の文字。
「じゃ、俺の家ここだから」
「あら……わたしたちもよ。一緒に入りましょうか……?」
「ぐーぜんだな!」
「……え?」
偶然にも同じ店に入り、「ただいま……」「戻りました……」と声を揃える。カウンターの奥から出てきたスヴェンは、わたしたちの姿を確認した途端、口を開いたまま動かなくなってしまった。遅れてやってきたハンスに「おかえりなさ……どうしたの?」と声をかけられるが、どう言っていいのかわからず、黙りこくる。
「あ! なんだ、お前の家ってスヴェンの店だったのか!」
ぐーぜんだな!と。今気付いたようなセドリックに、言葉を返す人はいなかった。
まさかでしょ。