19.こっちに来て
客の呼び込みに行ったセドリックはミッドガフドの何処へ向かうか。店を出たわたしはセドリックの行動を予想し、まっすぐ大通りへ足を向けた。きっと手当たり次第に行く人来る人に声をかけているのだろう。彼は単純でわかりやすいから。
みんなセドリックみたいにわかりやすければいいのに。そうしたらこんなに悩まなくて済む。
――なんて。
首を振り、愚かな考えを打ち消した。
(………そんなわけにいかないのよね)
だってわたしたちは生きているのだ。
ここは前世のわたしにとってはゲームの世界だけど、今のわたしは、ゲームに組み込まれて動いてるわけじゃない。ちゃんと感情があって、意思があって行動している。それはきっと他の人も同じだった。スヴェンのことといい、ハンスのことといい、わたしはまるで学習しない。
スヴェンはラスボスの知り合いでもなければ、ラスボスに世話になったわけでもない。ただ『フラン・ハドマン』の知り合いであり、『フラン・ハドマン』の世話になったのだ。
ハンスはゲームのシナリオ通りにフランに引き取られたわけじゃない。母親との悲しい別れを乗り越え、今の生活にようやく慣れてきたばかりの、ただの5歳の男の子だ。
今までキャラクターとしてしか見ていなかった、とまでは言わないけど、それでも、思っていた。このキャラはゲームの中でどう動いたのだろう、と。今を生きているわたしたちの行動や思いを、すでに過去にあったものとして、こうあるべきと決めつけてしまうのは間違っているのに。
(最終的に、ゲームと同じになるんだとしても)
同じになったこともある。一緒に住まなくても結果として教会の子どもたちと顔見知り以上になったこと、セドリックに「ずっと一緒にいる」と約束されたこと。
けど、
(変わるものだって、あるかもしれない)
すべてがゲームのとおりでないことは、とっくに気付いていた。教会に引き取られなかったことや、アイリーンがセドリックに執着しなかったことがそうだ。じゃあどうして変わったのか?変えられたのか? ――わたしが、そうであれと願い、選択したからじゃないか。
(――じゃあ、もし、わたしが、)
今まで思ってもみなかったことが頭を過ぎり、呆然とする。
もしかして、わたしは、とんでもない思い違いをしていたのではないか。
(少しずつ違う道を選んでいけば……ゲームの未来を変えられるの?)
たとえば。ラスボスがラスボスにならず、セドリックたちと敵対しない、そんな未来に――。
「そこだ坊主!やっちまえ!」
突然耳に飛び込んできた男の野次に、ハッと我に返った。顔を上げると、いつのまにか大通りを抜け、町の中心部分にある広場まで来ていたことに気付く。中央を囲むようにできた人だかりには、ただの興味本位な見物人からさっき野次を飛ばしたような柄の悪そうな男たちまで、大勢の人たちの怒号や歓声で溢れていた。連中の視線は中央に向かい、そこからは時折、金属と金属がぶつかるような、不快な音が聞こえてくる。
「いけライ!俺はオメーに賭けてんだぞ!!」
――どうやら悪趣味な見世物をしているらしい。顔をしかめ、踵を返す。こんなことで怪我でもしたらどうするのだろうと個人的には思うのだが、本人たちは楽しんでやっているので、他人が口を出すのは無粋というものだ。今はセドリックを捜さなければならないのだから――と思ったところで足を止めた。人々の足の隙間から覗いた、信じられないものに目が釘付けになる。
セドリックがいた。………広場の中央に。
「っ、あのバカ……ッ!」
考えるより先に駆け出した。背の高い大人たちの足の隙間をぬうようにして前に進む。嫌そうな顔を向けられるが無視をして、視線の先にいる彼の元へ急いだ。
「ここまでだ」
「まだだッ!まだ……!」
「もうやめろって。オレの勝ちだよ」
「ッざけんな…!俺は、まだ負けてねえ!」
ようやく開けたわたしの視界に飛び込んできたのは、剣を肩にかけたセドリックと、彼の前に膝をつき、悔しそうに歯をむき出しにしている金髪の少年だ。勝敗は明らかだったが、セドリックも楽々というわけにはいかなかったようで、額から汗を流し、息を切らしているのがわかる。
「あの子ども、ライナルトに勝ったぞ!」
「マジか!? 大穴じゃねーかッ!くっそッ」
「ふざけんな!もう一回やれ!」
「セドリックッ!!」
周りの野次がうるさくてかき消されるかと思ったが、セドリックはすぐにわたしの声に気付き、振り向いてくれた。わたしの姿を見つけるとぱっと笑顔になり、すぐに駆けつけてくれようとするのは嬉しいのだが――
「オイ待ちやがれ!まだ…ッ、ぐ、ぅ」
置き去りにされようとしている相手の少年――ライナルトと呼ばれていた彼が、呻き声を上げて蹲ってしまった。一瞬で血の気が引き、セドリックではなく彼の方に駆け寄る。
「大丈夫!?」
背中に手を添えようとする。が。ものすごい勢いで顔を上げた彼に振り払われた。
「さわんな!なんともねえよ」
まるで手負いの獣だ。誰かこの子の家族は、と思い周囲に視線を向けるが、無関係のわたしが前に飛び出したことで興が冷めたのか、男たちは興味を失ったように立ち去っていく。べつに注目されたいわけじゃないけど……冷たすぎじゃない?! なんなのこの町の連中!あんたたちが囃し立てたんでしょうが!
「……ほっとけ。よそモンが勝手に騒いでるだけだ」
わたしの言いたいことを察したのか、少年はそう吐き捨てた。
よそもん……?とその言葉の意味を図りかねていると、怪我をしているかどうかもまだわからないのに、彼は無理に立ち上がろうとした。つい手を伸ばすが、またギロリと睨まれてしまい、反射的に手を引いてしまう。じっとしてよ!とさすがに一度咎めようとした、その次の瞬間――
「おい」
恐ろしく平坦な、冷たい声と共に。
少年の目の前に鋭く剣が突きつけられた。
「アイリーンに手を出すな」
驚いているのはわたしだけではなく、膝をついた少年も、剣を持つ彼を――セドリックを凝視している。
ごくり、と誰かが唾を飲んだ音がする。それがわたしのものか、少年のものかもわからないまま、わたしは身動きひとつできなかった。目の前の光景を見てもなお、信じられないというより、頭が理解することを拒否している。
――今、だれが、なにを、してるの?
――なにを、言ったの?
目を見開いたまま動かなかった少年が、とうとうその場で尻餅をついた。そのときようやくわたしは呼吸を再開することができ、意識して息を吸い込み、吐き出す。震える唇を必死に動かした。
「セドリック」
小さな声だったが、セドリックは弾かれたように顔をこちらに向けた。その目に冷たい色はなく、いつもの、わたしがよく知るセドリックの色だった。ただし、剣は下ろしてくれない。わたしは必死に笑顔を作り、彼の気を引こうとする。
「わたし、だいじょうぶだから」
「……本当に?」
「うん」
「……」
「だから、こっちに来て」
あまり刺激してはいけないような気がして、手を差し出しながらも弱気な呼びかけになった。それでもセドリックには効いたらしく、彼はあっさりと剣を下げ、嬉しそうにわたしの手を掴む。まるでしっぽを振って喜ぶ犬みたいな……。場違いな反応に毒気を抜かれ、一気に肩の力が抜けた。……さっきのは幻覚?幻聴だったの?
「な……っ、なんなんだ、おまえ」
「ん? あぁ、オレはセドリック。セドリック・ハドマンだ。よろしくな」
たぶんそういうことじゃないと思う。彼が聞きたかったのは。
今自己紹介なの?と思わないでもなかったが、さすがに空気を読んでなにも言わなかった。
今度こそ少年は――ライナルトは、わたしの手を振り払わず、大人しく手をとって立ち上がってくれる。その間もちらちらとセドリックの様子を伺っていたが、彼はいつもの、人好きのする笑みを崩さない。その笑顔が不気味だなんて思う日が来るとは、まさか夢にも思わなかった。