11.おねがい
振り返ると、決してここから遠くない場所で赤色の何かがちらついた。草の中で、木の陰で。徐々に音が近づいてくる。獣独特の鼻につく臭いも。赤くギラつく、鋭い目も。
野犬……ッ
咄嗟にヒルデを後ろにかばい、早く登って!と素早く声を掛けた。その間にも姿を現し始める野犬が、一匹、また一匹とその数を増やしていく。近くに落ちていた木の枝を拾い、剣のように構えてみても、足は情けなくガタガタと震えていた。
(絶対、勝てない)
本能で理解する。見える数は三匹だが、近くに群れがいるかもしれない。そもそも、ここにいるのは戦い方を知らない子どもが二人だ。勝てる要素がない。それでも、せめて、ヒルデだけでも、
「お……ねえちゃ……っ」
「ヒルデ。助けを呼んできてくれる?」
「だ、だめ……」
「おねがい」
「っ、いやぁ!」
ヒルデの悲鳴を合図にしたように、三匹は一斉に飛びかかってくる。せめてもの抵抗で持っていた枝を投げつけて、ヒルデの頭を抱え込んだ。来る痛みに耐えられるようぎゅっと目を閉じる。
――しかし、いつまで待っても、予想していた衝撃は来なかった。
「これで終わりか?」
ハッと目を開ける。聞き覚えのある声。見たことのある背中。――見覚えのない剣。
「まだだよ。木の上」
背後から鋭く聞こえる声も、わたしはよく知っていた。振り返るより早く声の少年は飛び降りてきて、剣を持つ少年の隣に並ぶ。まるでわたしたちを庇うように。ただし、彼らの向こう側にはすでに三匹の野犬が身動き一つせず倒れていた。
「…――ストーン」
剣を持たない少年は何かをぼそぼそと呟いた後、妙に存在感のある声で一言告げる。すると、前方の土がいきなり大きく盛り上がり、支えられていた大木を揺らした。まるで地盤沈下だと思ったが、木は傾いたまま倒れてくることはなく、かわりに何かが上から振ってくる。それが何なのか気付く前に、すべての決着がつこうとしていた。
「これで最後だ!」
このときを待っていたように、地面を蹴って飛び上がった少年の剣が、容赦なくそれを突き刺した。
転がった野犬を見て初めてわたしはそれを認識し、犬も木に登れるのね、などと冷静な感想を抱いてしまった。軽い現実逃避である。驚きすぎて瞬きすら忘れていた。今、目の前で起きたことに。
「セドリックっ!ハンスー!」
腕の中にいたヒルデの方が先に我に返り、彼らの名前を呼んで駆けだしていく。二人はようやくこちらを振り返り、彼女を抱き留めてくれた。
「大丈夫か?」
「おそくなってごめんね」
その笑顔もその言葉もヒルデに向けられたものだったが、不覚にもそれだけで安心してしまった。わたしはそのまま一言も発することなく、意識を遠くへと手放した。