第二話 竹林
菓子屋三福屋では、お使い物にする時に竹で編んだ竹籠に三色の薄紙を三枚重ねて敷いてその上に三福餅を乗せ、その上に真っ白な紙を巻いて赤い水引きを掛ける。こうすると貰った方が二度喜ぶと言う。一度目は竹籠と三色の薄紙の美しさ、二度目は上に掛けている真っ白な紙を取った時に見える三福餅の三色の豆の可愛いらしさ。
上等な竹籠に上等な三色の薄紙を使っているので値もそれだけ高直になる。それでも、お使い物には三福屋の三福餅とお客様は増えるばかり。深川だけでなく、江戸中遠くからもお客様が来るようになったので忙しさに輪をかけて大忙しの三福屋である。
「困ったわ、困ったわ、どうしましょう」
いつもお多福顔で福々しい笑顔のお寿々が珍しく困り顔。
「おっ母さん どうしたの?」
三福屋の娘の小春が訊いた。
「いえね、お使い物で使っている竹籠が届かないのよ。いつもは届けてくれている時分なんだけどね」
困ったと言いながらもお客様が引っ切り無しに来るので三福餅を作っている作業場と店を三福餅を持って行ったり来たりしている。
「確か、竹籠を作って貰っいるのって丑松さんって言う竹籠職人さんよね?」
「そうなんだけど、こんなことは初めてでね。どうしたんだろうね」
お寿々が行ったり来たりしてるのを小春は目で追いながら
「あたしが見てくるよ。確か、八兵衛長屋だったよね?」
「そうかい、助かるよ。でも気をつけて行くんだよ。この前みたいに掘割にドブンってならないようにしておくれよ」
「…大丈夫だよ、おっ母さんそれ一年前の話だよ」
口を尖らせて小春はお寿々に言ったが忙しいお寿々が行ったり来たりしている合間に話をしているので娘の表情には気付いていない。
(器用だね、おっ母さん)
心の中で呟きながら出掛ける支度をするために部屋に戻った。
小春が部屋で着替えていると後ろから白い毛の塊が肩に乗った。
「こら、白丸。危ないじゃないの」
白い毛の塊。お稲荷さんの使いであるという白い子ギツネの白丸である。
「小春、出掛けるんだろ?おいらも連れて行っておくれよ」
白いフサフサのしっぽを小春に擦り寄せてくる。
「くすぐったいったら。ただのお使いよ。竹籠がまだ届かないからちょっと見てくるだけよ」
白丸を肩から降ろした。
「竹籠って丑松っつあんの所だろ?まだ届かないの?」
「そうみたいなのよ。おっ母さんが困ってるから見てこようと思って」
「そういえば、丑松っつあんこのごろ元気なかったよ。目の下にクマなんか作ってさ」
白丸が小春を見上げながら言った。
「どうして、あんたが丑松さんのことを知っているのよ?」
「おいらを誰だと思ってるんだい。お稲荷様のお使いの白丸さまだぞ。いつもは神棚の上にいるからさ、店のことは小春よりよく知っているぜ。店で働く人やお客さんのことや近所のことまで、おいらの耳に入ってくるんだからな」
白丸は小さい胸を張った。
「わかった、わかった。じゃあ一緒に行ってちょうだい。くれぐれも誰にも見つからないようにしてね」
白丸に釘を刺した。
「大丈夫だって。おいらが見える人間なんてめったいにいないからさ」
そう言うとひょいと小春の肩の上に乗った。
「おいらが道案内してやるよ」
「はいはい。ありがとね」
白丸を肩に乗せて小春は裏木戸から外へ出た。
家を出て四半刻も経たないうちに八兵衛長屋に着いた。
白丸が道案内してくれたからである。小春一人では日が暮れても着かなかったであろう。
トントン。
丑松の部屋の戸を叩いた。返事はない。
トントン。
「三福屋です。丑松さんいますか?」
今度は声を掛けた。
やはり返事はない。
(いないのかしら…)
トントントン。
「三福屋です。竹籠が届かないので心配になって来ました。丑松さんいますか?」返事がない。
”死んでるんじゃないの?,,
肩に乗っている白丸が耳元で言った。
”そんなわけないでしょ,,
白丸とコソコソ言い合いをしていると前の部屋の戸が開いてお婆さんが顔を出した。
「丑松っつあんなら寝てるんじゃないのかい。一晩中灯が付いとったからね。用があるなら戸を開けて入ったらいいよ」
それだけ言うと首を引っ込めて戸が閉まった。
「じゃあ、開けてみようよ」
「そうだね。ここまで来て帰るのもね」
小春を力一杯戸を開けた。
中は薄暗くて何も見えない。
”丑松っつあんいたね,,
白丸には見えているようである。
しばらくすると目が慣れてきたのか少し中の様子が見えてきた。
人がいる…。
丑松がちゃんとそこにいた。
ただ、いつもと違うのは痩せてげっそりしていると言うことである。
丑松がこっちを向いた。
「あの三福屋の小春です」
小春は笑顔を丑松に向けた。
「あぁ、三福屋のお嬢さんか」
丑松がやっと声を出した。
「すいません。…まだ注文の数だけ竹籠が出来てないんで…」
丑松が頭を下げた時、丑松の向こう、壁の方にこの部屋に似つかわしくない者がいた。
”いたね,,
白丸が呟く。
”そうだね,,
小春も呟く。
丑松の部屋にいた者。女の子である。10歳くらいだろうか、長い髪を垂らしてお姫様のような出で立ちである。
”人じゃないよね?,,
白丸が呟く。
”そうだね,,
小春がため息と共に呟く。
「丑松さん、近頃何かおかしなことがありました?」
小春は丑松に訊いてみた。
「あぁ、寝れなくてね…」
疲れいるのか丑松は深くため息をついた。
「丑松さん、横になって下さい。できた分だけ竹籠を貰っていきますから」
「あぁ」
無理矢理丑松を寝かせるとできている分の竹籠を持って部屋から出た。
竹籠を持って三福屋に戻った。
困っていたおっ母さんに竹籠を渡すと大黒さまのいる居間へと向かった。
「小春、何か連れてきたようじゃのう」
大黒さまの分身だと言う大黒さまの置物が小春の近くへ歩いてきた。
「やっぱり、付いてきたんだね」
そっと後ろを振り向く。
ちゃんと後ろに立っていた。
丑松のところにいたお姫様が。
「わらわが見えるようなので付いて来たぞよ」
話し方もお姫様っぽい。
「あの〜あなたは誰でしょうか?」
小春は試しに訊いてみた。
「わらわは、かぐや姫じゃ」
「かぐや姫⁈」
小春と白丸と大黒さまが声を合わせた。
「そうじゃ、わらわはかぐや姫じゃ」
”ねぇ、かぐや姫って長屋にいるの?,,
”いやいや、かぐや姫は読み本にでてくるお姫様じゃろ?,,
”妖なの?幽霊なの?なんなの?,,
小春と白丸と大黒さまは顔を突き合わせてヒソヒソ話である。
”人ではないじゃろ,,
”妖でもないよね,,
”だから、何なのよ?あのかぐや姫は,,
答えの出ないままヒソヒソ話しているとほっておかれたかぐや姫が怒り出した。
「これ!わらわを無視して何をヒソヒソ話しておるのじゃ!わらわはかぐや姫じゃ!」
扇を振り回して怒っている。
本人もそう言っていることだし、ここはかぐや姫と言うことにしておこう。小春と白丸と大黒さまは頷き合った。
「それでその、かぐや姫さまがどうして丑松さんの部屋にいたのですか?」
一番気になっていることを訊いてみた。
「あやつは、わらわの櫛を盗んだのじゃ。だからあやつが寝ている時に上に乗って飛び跳ねてやった。竹籠を編む時は竹ひごを折ってやったのじゃ」
やや自慢気に言うかぐや姫。
そりゃ、丑松さん窶れるはずだわ。小春は丑松さんが気の毒になったが、丑松さんが櫛を欲しがるかしら…。
「櫛ですか?」かぐや姫に訊いた。
「そうじゃ、母さまに頂いた兎が彫ってある櫛じゃ。櫛を取り戻すまで帰れないのじゃ。だから、丑松の部屋を探したが見つからぬゆえ、そなた等に付いて来てしもうた」
かぐや姫がしゅんとしている。
ちょっとかわいそうね。
櫛か…櫛ね。小春が考え込んでいると、かぐや姫が白丸を見つめている。
「そこの子犬、こっちへ来よ」
白丸に命令している。
「や、やだよー」
白丸は後ずさりした。
「そこの子犬!こっちへ来よ!」
「やだよ。それにおいらは犬じゃなくて狐だよ」
白丸が精一杯抵抗している。
「わかった。では、そこの子ギツネこっちへ来よ」
かぐや姫も負けてはいない。
面倒くさくなってきた小春と大黒さまは白丸に行けと言う顔になっている。
”ひどいや、二人とも,,
白丸はプンプンである。
その隙にかぐや姫は白丸を抱き上げた。抱きしめて喜んでいる。よく見ればこのかぐや姫、色白で唇は赤く髪は真っ黒、まつ毛は長く瞳も大きくとても可愛い顔をしているのである。抱き上げられた白丸も優しい撫でられて大人しくしている。まんざらでもない。
そこにおっ母さんが三福餅を持って居間に入ってきた。
「小春、さっきは竹籠をありがとうね。何とかお客さんに間に合ったよ。おやつに三福餅をお食べ」三福餅を乗せたお盆を置くとまた店に戻って行った。
(おっ母さんには見えてなくてよかった)
お姫様が子ギツネを抱き、大黒さまの置物が腕を組んで考え込んでいるのである。見えれば、大騒ぎになるだろう。
「これはなんと言う菓子じゃ?」
かぐや姫が三福餅を見つめている。
「どうぞ、召し上がり下さい。三福餅と言ってうちの名物なんです。美味しいですよ」
小春はお盆ごとかぐや姫の前に置くと薦めた。かぐや姫は一つ手に取ると小さい口で頬張った。
「美味じゃ、美味であるぞ」
どうやら気に入ったようである。しかし、この姫をどうするかである。
「櫛を盗んだって言ってたよね。あの丑松さんがそんなことするかな…」
「丑松に話を聞いてみるしかあるまい」大黒さまも思案顔である。
「丑松っつあんのとこへ行くの?」
「おいらも連れて行っておくれよ」
かぐや姫が三福餅に夢中になっている隙に小春の肩に飛び乗った。
「そうね、今のうちよね」
かぐや姫に気付かれないようにそーっと部屋を出た。
「大黒さま大丈夫かな?一人であのかぐや姫さんの相手できるかな?」
心配そうな白丸の言葉に
「大丈夫よ。なんたって大黒さまは神さまの分身なんだから」
こういう時だけ神さまの分身だと持ち上げた。
白丸を肩に乗せて小春は丑松の長屋までやってきた。
”小春どうするんだよ?丑松っつあんに櫛知らないか?って聞くのか?,,
”うーん、どうしようかな?突然、櫛知りませんか?なんて言ったら変に思われるだけだよね,,
小春とヒソヒソ相談していると丑松が長屋の部屋から出てきた。どうやら、どこかへ出掛けるようである。小春と白丸は木戸の影へと隠れた。
”後をつけて行こうよ、面白そうだよ,,
”遊んでるんじゃないんだからね,,
白丸を叱りつつ、小春は丑松の後をつけた。賑やかな表通りを抜けどんどん寂しい場所になって行く。
”どこに行くんだろう?,,
”さぁ、わからないわ。とにかく付いて行きましょう,,
家も少なくなっていき、人もあまり通っていない。丑松は道端にあるお地蔵様に手を合わせてまた歩き出した。小春と白丸もお地蔵様に手を合わせてからお地蔵様の前を通った。しばらく行くと小さいお寺があった。丑松はお寺の前まで来るとそのまま入って行った。「円正寺」と消えかけた字で山門に書いてある小さいお寺である。
(町外れにこんなお寺があったんだね…)
そっと丑松の後を追ってお寺に入った。丑松は、墓石もないただの丸い石かが置いてあるだけのお墓の前で手を合わせて拝んでいる。
”誰のお墓だろうね,,
木の陰に小春と白丸は隠れている。
丑松はお墓に話しかけている。声は聞こえない。しばらくして丑松は帰って行った。小春と白丸は丑松が帰ったのを見送ってから丸石のお墓の前に行った。
「丸い石が置いてあるだけだから誰のお墓かわからないね」
小春がそう言うとお寺の方から人が出てきた。とても年老いた老人で、どうやらこの寺の住職らしい。
「誰じゃな?」
そう言って小春たちのそばにゆっくりとした足取りでやってきた。
”この人、人間?妖怪?,,
白丸が失礼なことを言う。
”人に決まってるでしょ!,,
白丸にそう言ったものの確かに妖怪っぽく見える。百歳は生きているであろうと思われるほどの皺々の顔。瞼も皺になって目に覆い被さっているので、目が開いているのかわからない。
「何か言ったかの?」
皺々の住職が聞いた。
「いいえ、何でもありません。あの、このお墓は誰のお墓でしょうか?」
「この墓は、丑松と言う竹籠職人の妹の墓じゃ」
住職は深い溜め息をついた。
「まだ十歳にもなってなかったろうに。かわいそうに病で亡くなってしまっての。丑松の落ち込みはひどいもんでの。見てる方が辛くなるくらいじゃった」そう言って住職が丸石の墓に手を合わせた。
住職の話によると、丑松と妹のお花は両親を早く亡くして丑松が親代わりになってお花の面倒をみていたらしい。元々手先の器用だった丑松が竹で竹籠を作るとよく売れるようになってそれで暮らしを立ててたらしい。ところがお花が病に罹り、看病のかいなく亡くなってしまった。亡くなってからは毎日のようにお墓に参りに来ていると言うことであった。
小春たちは住職にお礼を言ってお寺を後にした。
”丑松っつあん辛いことがあったんだね,,白丸が小春の肩で呟いた。
”そうだね、たった一人の家族を失ってしまうってとても辛いことだよね,,
小春もそう言って溜め息をついた。
小春が何となく振り返ってお寺を見た時だった。山門の所に女の子が立っているのが見えた。でも、瞬きした時にはもう消えていた。
(気のせいかな…)
”かぐや姫さんの櫛のことわからなかったね,,
白丸は女の子に気付かなかったようである。
家に帰ってみると、かぐや姫と大黒さまがいない。
(居間にいたはずなんだけどな…)
店に台所にまさかの厠まで探したがいない。仕方なく小春の部屋に戻ってみると、押入れからパチンパチンと石を弾く音がする。
「まさかね…」
そっと押入れを開けてみると、かぐや姫と大黒さまが難しい顔をしながら碁を打っている。
うーんと大黒さまが唸っている。
「まだか?」かぐや姫が急かす。
「あの〜二人とも何で押入れで碁を打ってるのかな?」
そっと声をかけてみる。
「碁を打ってるところを家の者に見られたらまずいじゃろ」
碁盤から目を離さず大黒さまが答える。
確かに誰もいないのに碁盤の上で碁石が動いているのを見られたらまずい。かなり、まずい。大騒ぎになる。
「まだか?」かぐや姫が急かす。
うーんと大黒さまが汗をかいて唸る。
「わらわの勝ちじゃ」
涼しい顔をしてかぐや姫が言う。
うーーーん
大黒さまの汗が止まらない。
どうやら大黒さまの負けのようである。
「で?丑松の方はどうじゃった?」
大黒さま負けと分かって話を変える。
かぐや姫は白丸が帰ってきたので碁はどうでもいいようで白丸を捕まえようと追いかけている。
小春は、お寺で聞いたことを大黒に話した。
「そうか、丑松も苦労したんじゃな」
「うん。あの窶れ方はかぐや姫が原因なのか、妹のお花ちゃんが亡くなったからなのかわかんないけど」
「櫛はあったのか?」
「それはわからなかったの。でもね、お寺で見た女の子が気になるんだ。すぐ消えちゃったけどね。もうちょっと調べてみようと思う」
「そうじゃな。いきなり櫛を返せとも言えないしのう。消えた女の子も気になるしのう。かぐや姫にはもうちっと待ってもらうかの」
かぐや姫は白丸を捕まえてご機嫌である。
次の日。
小春と白丸は昨日来た円正寺に来ている。昨日女の子が立っていた山門の辺りを探してみるがいない。気配もない。
「ここに来れば女の子に会って何かわかると思ったんだけどな…」
「いないね」
寺の周りをくまなく歩いてみる。
誰かが来るのが見えた。丑松のようである。昨日と同じように妹のお花のお墓の前で手を合わせている。するとお墓の横にぼーっと人影が浮かんできた。昨日の女の子、妹のお花である。
(やっぱり、昨日の女の子はお花ちゃんだったんだ)
手を合わせいる丑松に何か言いたいようで、困った顔で丑松を見ている。でも、丑松には見えない。
”何か切ないね,,
白丸が小春の肩で呟いた。
”そうだね、見えているあたし達からすると、とても切ないね…,,
丑松がお参りを済ませて帰ると、お花もだんだん薄くなっていく。消えそうになっていくお花に
「お願い‼︎まだ消えないで‼︎」と声を掛けながらお墓に走って行った。
お花は自分が見えている人がいることに驚いて固まっている。
「お花ちゃんでしょ?お花ちゃんだよね?」
お花が消えてしまわない内に急いで話かける。
「あたしは三福屋って言う菓子屋の娘で小春って言うの。丑松さんに三福餅を入れる竹籠を作ってもらっているの」
「お兄ちゃんの竹籠を買ってくれてるんですね。ありがとうございます」
お花はそう言うとニコッと笑って丁寧に頭を下げた。
(なんて可愛い良い子なんだろう)
「小春さんはあたしが見えてるんですね?」
「うん。見えてるよ」
小春もニコッと笑顔を見せた。
「久しぶりに人と話せて嬉しいです」
お花の可愛い笑顔に見惚れてしまう。
「あっ、それでね、最近丑松さんの様子がおかしいと言うか元気がないと言うか、気になっちゃって。お花ちゃん何か知らないかな?」
お花は少し悲しい顔になって
「あたしのせいだと思います。あたしが死んで、お兄ちゃんどんどん元気が無くなって行くみたいなんです。お墓に来ても、ごめん、ごめんって言うばっかりで」
「ごめんばっかり言うの?」
「お前に約束してた櫛も買ってやれなくてごめんなって。そんなこと気にしなくていいのに。気にしないでって言ってるんだけど、聞こえないみたいで」
(あれ?櫛って言葉が出てきたけど、買ってやれなくてってことは丑松さんは櫛を持ってないってことだよね)
「櫛を買う約束してたの?」
「はい。あたしが生きている時にお兄ちゃんがもうちょっと稼いだら櫛を買ってやるからなって。病に罹った時も治ったら櫛を買ってやるからな、それまで頑張るんだぞって毎日励ましてくれたんです」
お花の目から涙が落ちた。
「だから余計に櫛を買えなかったことを気にしてるんだと思うんです。そんなことで気にしなくていいのに。お兄ちゃんが元気でいてくれる方が嬉しいのに…」
聞いている小春と白丸も号泣である。
「お花ちゃん、あたしに任せて!」
また小春は言ってしまったのであった。
「小春どうするんだよ?」
白丸が訊く。
「とにかく、とにかくよ。これはもう丑松さんに聞き出すしかないでしょ。櫛の行方がさっぱりわかんないんだから」
「いきなり櫛知りませんか?って言うの?」
「わかんないけど、当たって砕けろよ!」
「砕けてどうするんだよ」
白丸が溜め息をつく。
小春と白丸が言い合いしながら丑松の長屋まで来ると丑松の部屋の戸を叩いた。
「はい」今度は返事があった。
戸が開いて丑松が出てきた。
「あぁ、三福屋のお嬢さん。すいません、まだ竹籠ができてないんです…」
丑松は頭を下げた。
小春は慌てて
「えーっと竹籠はまた出来た時でいいんですっ」
丑松が首を傾げている。
「あー、えーっと、あたし、竹籠に興味があって、竹籠を編むところが見てみたくてー、どうやったら竹籠が出来るのか気になっちゃって」
しどろもどろでそう言うと小春はとびきりの笑顔を丑松に向けた。
「そうですか。そいじゃあ少し見ていきますか?」
竹ひごや竹が散乱している部屋を少し片付けて小春が座る場所を作ってくれた。小春が座ると干した竹を取り出して鉈で細く割っていく。半分を半分に。そのまた半分にとどんどん細くなっていく。細く薄くなった竹ひごを交差に置いていく。それを器用に同じ間隔で編んでいく。見事な指さばきである。見ていても飽きない。ずっと見ていられる。
「この竹はどこから採ってくるんですか?」
「いろいろです。色や艶のいい竹を探すのに遠くの山や竹林に行ったりもします。でも採ってすぐには使えないので干したり炙ったりします」
竹の話をしている時は生き生きとした表情である。
(ほんとに竹が好きなんだな)
「この間初めて入った山に見事な竹林があって、それは美しい竹ばっかりでした。大きくて太くて清々しいほどの緑色だったんで」
思い出しているのか、夢を見ているような目である。
「じゃあ、すごい竹を手に入れたんですね」
「いや、竹は採らずに櫛を…」
急に丑松の顔が曇った。
「竹林に櫛があったんですか?」
わざと明るく聞き返した。
「あぁ、竹林の中を歩いていたら櫛が落ちてあったんだ。うさぎが彫ってあって…拾ったんだ。こんなとこに櫛を落とす人がいるのかなって思ったんだけど、櫛を見たら妹のことを思い出したんだ。買ってやると言って買ってやれなかった…」
丑松は泣きそうな顔でポツリポツリ話した。
「櫛を懐に入れて家に帰ってる時に人とぶつかったんだ。それで、家に着いた時には櫛が無くなってたんだ。擦られたんだと思う…」
(え〜擦られたの⁈)
小春、心の中で叫ぶ。
「うさぎが彫ってある櫛だから妹と同じような小さな女の子の櫛だと思うんだ。その子に返してやりたかったんだ」
そう言うと丑松は肩を落としてうなだれた。
(なーんだ、丑松さん櫛を取ろうとしたんじゃなかったんだ。あの可愛いお花ちゃんのお兄さんだもんね)
よかったよかったと言う顔をしていると
”小春、喜んでいる場合じゃないよ。櫛の行方がもっと分からなくなったんだから,,
今度は小春と白丸が肩を落としてうなだれた。
ここは三福屋 小春の部屋。
家に戻って来た小春が碁を打っている大黒さまとかぐや姫にお花と丑松の話をした。
「そうか…ひっく…丑松が盗んだ…ひっく…じゃなかった…ひっく…お花がかわいそうじゃ」
話を聞いてかぐや姫が号泣である。
「しかし、櫛はどこへ行ったんじゃ?」
大黒さまは腕組みをしたまま考え込んでいる。
「そうなのよ。また始めからになっちゃった」
小春も泣きそうである。
ところが、そのうさぎの櫛。ひょんなところから出てきたのである。小春の幼なじみの大吉が久しぶりに小春の家に来た。
「小春ちゃん、これ見て」と言って
手のひらに乗っているのは、うさぎの櫛である。
「ど、ど、どうしたの?この櫛」
動揺する小春。
「これね、古道具を買い付けに行った時に入ってた櫛なんだけど、これだけ何か違う感じがするんだよね。悪い感じはしないけど気になっちゃって父さんに頼んで貰ったんだよ。小春に見てもらいたいし」
大吉は古道具の買い付けにも行くようになったようである。跡継ぎとして仕事を手伝っていることにも小春は嬉しくなった。それに探していた櫛にも出会えた。
「ありがとう、大吉っ」
いきなり大吉に抱きついた。
「く、苦しいっ。小春ちゃんどうしたの?」
嫌がる大吉を離して今までのことを話した。
「そうだったんだ。よかった。櫛が戻って」優しい大吉は笑顔でそう言った時、いきなり小春の部屋から押入れが開いてかぐや姫が飛び出してきた。
「わらわの櫛じゃ」
かぐや姫が櫛を掴んだと同時に、ドンっと大きな音が中庭から聞こえた。障子を開けて中庭を覗くと、綺麗な女の人が立っていた。髪を長く垂らしていて、かぐや姫のようにお姫様のような姿である。
「母神さま!」
かぐや姫がそう呼んだ。
「母神さま⁈」
小春と大吉、部屋から出てきた白丸と大黒さまも一斉に叫んだ。
「かぐや姫、いつまでも戻らぬゆえ迎えに来ました。遅すぎます」
「ごめんなさい、母神さま。うさぎの櫛が見つけなれなかったから遅くなりました」
かぐや姫が素直に謝っている。
母神が小春たちの方を向いて
「私は竹林のある山を守っている山神です。かぐやは私の娘です。皆には世話をかけました」
山神でもある母神が頭を下げた。神と言って母親である。ちゃんと頭は下げるのである。
「話はさっき聞きました」
神様だけあって話は聞こえたようである。
「丑松と言う者は櫛の持ち主を探そうとしてくれたようですね。それでは御礼をしなければいけませんね」
そう言うと懐から櫛を出した。月が彫ってある櫛である。
「この櫛は、うさぎの櫛と対になっている櫛です。これを丑松に渡して下さい。うさぎの櫛の御礼だと言って。お花が喜ぶといいですね」
「ありがとうございます。お花ちゃんも丑松さんも喜ぶと思いますっ」
両手で月の櫛を受け取ると頭を下げた。
かぐや姫は「ありがとう、また来るね」と言って母神と共に帰って行った。白丸が少し寂しそうである。
「山神と姫神。土地神さまだったんじゃのう」
「うん。騒がしかったけど、ちょっと楽しかったね。かぐや姫に会うなんて初めてだもん」
大黒さまも碁の相手がいなくなって寂しそうである。
「月の櫛を渡してあげなくっちゃ」
小春は立ち上がった。
さて、ここは福右衛門、おじいちゃんの部屋である。
「で?何と言って月の櫛を丑松に渡したんじゃな?」
文机で小春の話を聞きながら書き留めている。
「古道具屋の息子で幼なじみが、うさぎの櫛を拾ったって。その櫛を持ってうちの店に来ていた時に三福餅を買いに来ていたお客さんが、それは娘の櫛です。探していたんですって泣いて喜んだと。もし、丑松さんが竹林から持ち出してくれてなかったら、こうして見つけることができませんでした。御礼に月の櫛を受け取ってほしいと。妹さんにあげてほしいと置いて行ったって」
「それで納得したのかの?」
「うん。始めは貰えない、古道具屋の息子さんにあげてほしいって言ってたけど、月の櫛は女の子の使うものだから幼なじみはいらないって言ってるって言ったの。うさぎの櫛を失くした女の子はお花ちゃんと同じ年くらいで、うさぎと月の対になってる櫛だからお花ちゃんにあげてほしいって言って置いて行ったからって。そしたら、泣きながら丑松さん受け取ってくれたの」
「そうかぁ、それはよかったのう」
福右衛門は嬉しそうに微笑んだ。
「それでね、丑松さんと一緒にお花ちゃんのお墓に行ったの。お墓に月の櫛をお供えして一緒に手を合わせてたらね、お花ちゃんが出てきたの」
墓の前に月の櫛を置いて、丑松がお花に話かけた。
「お花、遅くなったけど櫛を持ってきたよ。買ったもんじゃないけど、優しい人がお花にってくれたんだ。ありがたいな…」
丑松は思わず涙ぐんだ。
お花がお墓の横に現れた。お花も泣いている。
”ありがとう、お兄ちゃん。
ありがとう。
お花は幸せだよ、お兄ちゃん。
幸せだよ,,
お花が丑松に話かけている。
「丑松さん、お花ちゃんがね
お兄ちゃんありがとうって
お花は幸せだよって言ってるよ」
小春が丑松にそう言うと、丑松は顔を上げてお墓の方を見た。
「お花…」
丑松にも見えているようである。
”ありがとう、お兄ちゃん,,
そう言うと少しずつお花の姿が薄くなっていった。消える間際にお花は小春に頭を下げた。お花は笑っていた。
「丑松さんにもお花ちゃんが見えていたみたいなの」
「もしかしたら、山神さまが見えるようにしてくれたのかもしれんのう」
「そうだね。きっとそうだね。最後にお花ちゃんの笑顔を丑松さんに見せてあげれてよかったよ」
「そうじゃのう。小春はまた良いことをしたのう」と言って書き物を終えた。
「どれ、わしも店に出るとするかの」
福右衛門は大きなお腹を揺らしながら店へと行った。
「また、お助けしちゃったね」
白丸が小春の膝の上に乗った。
「そういうことになるね。でもお助け屋じゃないからね」
小春は先手を打った。
「始めが松で、次が竹だよね」
「それがどうしたの?」
「松竹…梅が残ってるね」
白丸は半笑いでこっちを見ている。
「そんなうまいこといくわけないでしょ。松竹梅だなんて」
小春は今はまだ知らない。
その梅がやってくるなんて。
床の間で大黒さまが呟く。
「松竹梅……あるよ」




