「島主の館」
カナンは一人再び、白い道を歩き出した。
進むほどに夕焼けの空が赤紫から青紫に変わり、やがて白い道の終焉が見えてくる。そこには、まるで天を支える柱のようにまっすぐ伸びる灰色の山があった。
しがみつくわずかな手がかりさえない、切り立った岩山だ。岩肌の余分なものをそぎ落とすように、荒々しい波が絶え間なく叩きつけている。
人が近づくのを拒絶しているかのような峻厳さが、そこにはあった。岩にぶつかり砕けた波の飛沫が、カナンを濡らしていく。
麓に辿り着いたカナンは足を止め、限界まで首を逸らして上を望んだ。
岩山遥か上では、まるで岩に喰らいついているかのように、木の根が複雑に絡みついている。
その頂上、夕暮れの名残が残る夜空に、大きな星々のように輝く白い花――この「主の島」を飾る王冠のように枝を広げ、月色の花びらを幾重にも重ねて大輪の花を開かせる聖樹『オリア』だ。
唇を噛み、睨みつけるように頂上を見ていたカナンだったが、やがて意を決したように正面を見据える。
視線の先には、岩山に穿たれた穴。歩いてきた白い道は、岩山の奥でもまだ続いていた。
隙のない闇にしか見えないその穴も、近づいてみると中でぼんやりと、月色の光が揺れている。
「よし」自らに言い聞かせるように声を上げると、カナンは大きく踏み出して、岩穴に身を進めた。
洞内のあちこちに月色の丸い光が、ぽわりぽわりと浮かんでいる。こぶし大ほどの珠に見えるそれは、オリアの花だ。柔らかに発光して、頭上と足元とをほどよく照らしている。
「楽園」には、東の島と西の島、その間にこの「主の島」がある。島、というより山というべき「主の島」に穿たれたこの、「捩れの石道」が、東西の島を結ぶ唯一の道だ。
不思議なことに、それ以外の方法では東西の島を行き来できない。捩れの石道は一直線の道でしかないのに、対岸にあるだろう島へ海を渡って行くことができないのだ。
かつて多くの若者が、自力や、道具を使って海路を開こうとしたのだが、何故か出発した島に戻ってしまったという。
それぞれで朝と夜だけを繰り返す東西の島を、誰かが「メビウスの輪」にたとえ、この石道を、輪の捩れた部分だと解釈した――それがこの「捩れの石道」という呼び名のいわれである。
仄明るい洞内を進んでいくと、右手に暗い穴が現れた。やはり人一人が通れるほどの洞道だ。カナンは迷うことなくその道に入る。
オリアの花に導かれるまま、ゆるやかに傾斜する道を、螺旋状に上っていく。
やがて――正面に木の扉が現れた。カナンは首にかけた紐の先を、胸元深くからひっぱりあげる。木製の鍵の束だ。
そのうちの一つを手に扉の前に立つと、散在していたオリアの花がわっと集まってきて、鍵穴を浮かび上がらせる。カナンはすんなり鍵をさし、扉を開けた。
奥には、細くて急な階段が続いている。
階段を三段上がったところで、バタンと背後の扉が閉まった。カタッと鍵のかかる音も続く。しかしカナンは後ろを気にすることなく、オリアの照らす階段をひたすら登っていく。
しばらくすると木の扉が現れるが、そのたびカナンは鍵束の一つを手に取り、扉を開けていった。それを繰り返すうち階段が緩やかになり、それが坂道に替わって、行き止まりになった。
カナンは鍵束を胸元にしまい、両手で頭上を押し上げる。すると天井がパカリと開いた。
「どうせ誰も来やしないのに、いちいちカギをかけやがって」
カナンは口中に吐き捨て、穴の縁に両手をかけると、「やっ」腕の力で自身の身体を押し上げる。そうして穴の上に転がり込んだ。
そこは大木の洞の片隅だった。
背丈の何倍もの高さがあり、端から端まで大またで三十歩はあるだろう、広々とした空間だ。
床にはきっちりと板が張られ、中央部にはロアで編んだ柔らかい敷物が広げられている。
洞の壁半分には、幅がまちまちな板が、膝から目の位置までの様々な高さに取り付けられ、木や竹で作られた皿やコップや箸や匙といった実用的なものが置かれていた。
壁の残りの半分には大小さまざまな絵がかけられていた。それらは全て、彼らの祖先「鳥人魚」を垣間見た人間たちが描いたという「天使」と「人魚」をモチーフにしたものばかりである。
頭上はるか上の、東西南北に開けられた窓の光は、絵を美しく照らすように配慮されているようだった。
そして、実用と芸術の空間を分けるように、二本の階段が、壁に貼りつくようにして備えられていた。東側の階段をあがるとカナンの部屋がある。そして西側の階段は――。
「ようやく起きたのか」