「光の朝」
前方の光を目指して、二人がやっと並んで通れる細い洞窟を出ると、一気に視界が開けた。
眼下、白灰色の岩山を下ったところには、広大な緑が風に揺れ、その遥か向こうで、まだ真新しい朝の光を集めた海が、眩く輝いている。頭上には遮るもののない澄んだ青空が広がり、たなびく雲がときどき、溢れる太陽の光をゆるやかにした。
「どっちに行く? 海に出る? それともまっすぐ突っ切っていく?」
目を細めて、風に踊り狂っている髪を両腕で押さえているカナンに、前に立つショアが振り返ってそう訊いてきた。
「まっすぐ行く」
「了解」
ショアの手を借りながら、カナンはゆっくりと岩山を下り始める。
「そこ、岩がグラついてるから気をつけて」
オリアの樹液のおかげで体力は戻ったものの、いかんせん身体はまだ硬い。思うように動かない手足がもどかしい。
カナンはただ足元だけを見て歩いた。ただひたすら、味気ない白灰色の岩が続く。凹凸に足を取られないよう神経を尖らせなければならないのに、つい考えてしまう。
奇跡の楽園のはずなのに、いつのまにか「ただの日常」になって慣れてしまう――この島の美しさや優しさを思い出したくて眠ってるようなものなのに、ルカを振り切ってまで眠ったのに、今の景色をまともに見られない。
輝く風景全てが自分を責めているかのようで――痛い。
『カナン、話があるんだけど』
『あー、俺今から寝ようと思ってるんだよね。急ぎ? 起きてからじゃダメ?』
ルカの声に、表情に、ただならぬ気配が漂っているのを感じた。
だからちゃんと、万全な体調の時に訊いた方がいいと思って――俺は逃げた。ルカが「分かった。じゃあ待ってる」そう言うしかない、ずるい言い回しを使って。
なんで――その言葉だけが頭をグルグルする。だけどもう――遅い。
山裾にはやわらかいクローバーに覆われた平地が広がっていた。山肌を伝いおりて来た裸足の足を柔らかく包む。
海から吹く風は、島民特有の銀髪をなびかせ、衣の裾をはためかせた。
岩を歩いても痛みはさほどなく、何かの拍子にケガをしてもすぐに治る。体に害をなす虫類が地を這うこともない。そもそも、この島には、「彼ら」以外の生命体は存在していなかった。
「ルカの両親は、どうしてる?」
どこにも危険はなく、時はあり余っている。島民のほとんどが家族という枠を離れ、自由に暮らす中、ルカの家族は同じところに住み、ともに暮らし続ける数少ない人たちだった。
「彼らは血眼でルカを探し回っていたよ。でも何の手がかりも見つけられなくて、母親は寝込んでしまった。ルカの父親は妻の世話をしながら一人で島のあちこちを訪ね歩いている。無理してるんだろうな、随分とやつれてしまったよ。みんなが彼を島主と見間違ってしまうくらいにね」
いつもにこやかで、見るからに頼もしいルカの父が、よりにもよってあのこけた頬がその酷薄さを表してるかのような非情な島主と間違われるほどになるとは、痛ましすぎる。
きっとショアのように、「カナンなら知っているかも」と一縷の望みを抱いているに違いない。それを自分が断ち切ることになるなんて。
あの、『ありえない不幸な事故』の悲しみがまだ癒えきらない彼らが、再び悲しみに沈むのを見ることになるなんて――カナンは知らず唇を噛んでいた。
『ありえない不幸な事故』――ルカの弟は果実を取ろうと木登りをしていたとき足を踏み外し、地に落ちるときに不幸にも、枝が心臓近くに突き刺さった。治癒と出血の速度が拮抗するなかで、彼は長いこと苦しんだらしい。しかしその時、父とルカは他の島民たちのようにふらりと出かけていた。
母はオリアの葉で傷口を強く押さえたり樹液をふりかけたりと、できる限りの手は尽くしたのだが、溺愛していた幼い息子が苦しみ抜いた末に消え去るのを、ただ一人で看取ることとなった。
以来、ルカの母は極度な不安性となり、ルカと父は贖罪の気持ちを持ち続けた。だから彼らは眠るときも基本は家の中だし、出かけるときには必ず所在と不在期間を明らかにした。出かける際も、母が一人になることがないようにと父と息子は決めてさえいた。
この楽園で、気の毒だとしかいいようのない不運を背負った彼らは、互いを慰めあうように寄り添い、支えあって生きてきたのだ。
そんなルカが、どうして――。
「『主の島』にさ、海水が湧きでてるところがあるじゃん?」
声に顔を上げれば、数歩先を歩いていたはずのショアが、いつしか横に並んでいた。
「そこの白浜にルカがいつも腕に巻いてた、レタの蔓で作ったブレスレットが千切れて落ちてたんだ。でもあそこには海水と砂以外、何もない。だから、ルカは自分で胸を貫いて――消えたんだって」
カナンは、知らず自らの左手首に触れていた。そこにはレタのブレスレットがあった。ルカと工芸団に遊びに行き、邪魔をしたり手伝ったりして一緒に作りあげ、完成品を交換したものだった。
消える。
そう、この島の人は命が尽きると消えてしまう。
みんな寿命が来ると、起き上がれなくなって数日ほどで消えてしまう。身につけていたものだけが、パサッと遺される。その人自身のものは、髪の毛一本さえ残らない。
まるで、最初から居なかったみたいに。
「あ」
「なに?」
カナンが思わず上げた声に、ショアが反応する。カナンは周囲を忙しく見渡しながら、
「そういやあいつら、どこ?」