「目覚め」
『飛ぶ!』
力強い声が聞こえた――勢いよく開いた目に、いきなり大量の光が押し寄せてきた。反射的に目を閉じて、恐る恐る開ける。何度か瞬きしていくうち、光しかないと思っていたなかに、きらめく白銀の髪に縁取られた輪郭を見つけた。
「カナン」誰かが自分を覗き込んでる。
「ル…カ?」
「……。目覚めの第一声がそれ? 妬けるね」
その声にカナンは目を落として、傍らに跪く人物を見た。島民みなが生成り色の生地を二つ折りにして首を通す穴を空け、両脇を縫い合わせただけの簡易な衣を着ているが、腰に巻き付ける帯で個性付けをしていた。目に入った琥珀色の帯と刺繍の柄で、カナンはその人を正確に認識した。
「なんだ……。ショア、か」
大きく息を吐いてそう呟くと、深い琥珀色の目がぐっと近づいてきた。鼻先が触れそうになる。
「なんだ、とは随分じゃない? おはよカナン」
「……。なに? この近すぎる距離」
もつれる舌が言葉をたどたどしくしたが、通じたらしい。ショアと呼ばれた銀髪の青年はふいっと身を起こし、ニッコリと笑うと、
「お誕生日おめでと。いよいよ二十歳、成人だね」
「……。なんかめでたい? ソレ」
「昔は成人式? やって、めでたかったらしいじゃん。着飾ったり、お酒飲んだりしてたって本に書いてあった」
「めんどくさいことしてたんだな、外界の連中って」
「まあ昔の人って、寿命が短かったっていうじゃん。無事に成人できたら、それはめでたいことだったんじゃないの?」
「――だったらここじゃ成人式なんてないわけだよな。百は生きてそうな大人がゴロゴロしてるのに、二十歳なんてめでたくもなんともない」
カナンはあくびを噛み殺しながらそう言うと、目線を真上に移す。
「はあ……」
ゆっくりと息を吐きだしながら、力を込めて翡翠色の目を開けた。
天井と左右の壁はゴツゴツとした灰色の岩。足元からまっすぐに差し込む日差しが、明確な陰影をつけている。
無造作に投げ出されている両手を動かしてみると、ひどく柔らかなものが指先に触れた。空気をたっぷり入れてゆるやかに編み込んだロアの蔦だ。身が沈むほどに厚く、しかしある程度の弾力も備えたそれは日を浴び、深い緑が艶やかに輝いている。
「からだ、バキバキ……」
そういう口さえ強張ってうまく回らない。今回はどれくらい眠ったんだろ。思いながら傍らに目を向けると、ショアがまっすぐに自分を見下ろしている。滅多に見ることがない、真剣な目で。
「ねえ、ルカはどこ?」
ショアの声が、少しだけ低い。
「何だよ唐突に。寝てたんだから知るわけないだろ」
「……そっか。やっぱり、そうか……」
呟くような声は、ため息にかき消されそうなほどだった。
「ルカがどうかした――」
にわかにざわめく心のまま声を上げ、勢いよく起き上がった、つもりだった。
だけど上体を起こそうと地面を押したはずの両腕はガクッと抜けた。声を上げる間もなく、カナンは後ろに倒れこむ。無防備だったので頭も背も強かに打ちつけた。
「大丈夫!?」
「……なんとか」
そうは言ったものの、寝起きの弛緩しきった身体には結構なダメージだ。しかも左腕は敷布を外れ直接岩肌にぶつけてしまったようで、そこに心臓が移動したのかと思うくらい、激しく脈打っている。
その腕を、いきなり掴まれた。
「すっごい血が出てる。岩でこすったんだ、大丈夫?」
「……おまえに掴まれてる方が痛い」
「あ、ごめん」
舌は回るようになってきたが、今度は声がかすれてきた。喉が乾燥してる。
当たり前か、思いながら、ショアの力が緩んだのを見計らい、カナンはとられた左腕を取り戻した。それをショアの前に突き出してみせると、
「それにホラ、もう治ってきたし」
言葉通り、つい先ほどまで左腕に縦横無尽に走っていた赤く濡れた線が、次第に色が薄れてピンク色になり、渇いていく。浅い傷は、もはや跡形もない。ショアが「安心した」とばかりに大きく息をついた。
「起き上がれる?」
「手、貸してくれれば」
「了解」
カナンはショアの手を借りて身を起こした。自立できるかかなり怪しかったので、岩に背を預けることにする。距離を測ろうと背後に手を伸ばし――思い出す。
『飛ぶ!』
自分の背を、指先でなぞってみる。触れたのは肩甲骨――名残だけだ。
もう翼はないのに。もう誰も持ってはいないのに。
歪みそうになる口元を隠そうとうつむいたら、髪が視界を狭くする。随分伸びてるな――思いながら、表情を整える。そしてゆっくりと岩肌に背を預けた。
「――で?」
カナンは軽く首を振って髪を払うと、正面に対峙するショアをまっすぐに見据えて、訊いた。
「ルカがどうしたって?」