土野
「それからあたしはある時から霊感が強くなっていたことに気がついたの。
そして自分が死んだことに気がつかない思念に出会った。
その思念たちに自分の死を理解させていった時、早苗の、そして早苗に関わった者たちの思念がまだ現実世界に残っている事を知ったのよ」
「もしかして、その受け皿として」
「そう、この裏野ハイツを作ったの。死んだ者たちの過去の記憶と共に」
なぜ。憎しみと復讐心しかなかった彼らに対して、ここまでのことをしてやったのだ。
「別に哀れに思ったわけじゃないのよ。
ただね、まだ平気な顔をして幸せな時間を繰り返している奴らが許せなかったの。
死に目を背け、現実から逃避して、同じとき、同じことを繰り返している奴らが」
死したのちも、その死を感じさせ認めさせる。
それができて初めて、自分の世界から奴らを決別させられる。
「それに、奴らに引きずられて早苗が眠れないことはなによりも辛かったわ」
老婆は自分の幼い頃の姿の写真を見てその深いシワに涙を浮かべる。
「早苗はね、写真がなかったの。
だからあたしは瓜二つだった自分の写真を、弟だと思ってずっと忘れないでいたの」
涙があふれた老婆の顔は、それでも何かをやり遂げた満足感に満たされていた。
「あなたはこれからとてもとても辛い想いをしたの。
あたしが通ってきた道。
でも裏野ハイツにあなたが来て、あたしも自分が役目を終えたことを知ったわ」
「土野……さん」
「霊媒師、土野匕女はこれでおしまい。
あなたが土野を名乗る未来は、あたしが持っていくわね。
あなたは普通の大学生、日影飛鳥として生きていってちょうだい」
二階の窓から朝日が差してくる。
「あたしはあなたの未来。
でもあなたが決して辿り着くことのない未来」
老婆の影が、徐々に薄くなっていく。
精一杯、いきなさい。
心にそんな声が響いた気がした。
気がつくと、私は部屋に独りだった。
「長い、夜が明けた……」
ベッドの脇には、私の子供の頃の写真があった。
土野の婆さんが一生かけて大切に持っていた、弟そっくりだった自分の姿。
「確かに、そっくりだね」
ふふっと笑った私の顔が涙にぬれていた。
辛かった私。
復讐に一生をささげた私。
203号室のベランダから外を見る。
朝焼けの中、高台にあるこの建物からは遠くの街までよく見渡せた。
「ねえ土野さん、幸せだったかなんて聞かないし聞けない。
でも、あなたの生に、納得がいったのかしら」
リリリン……。
「今日も暑くなりそうね」