【幻想千夜一夜06】マグダと猫達のロンド
4歳になったばかりのマグダには大切なものが3つあった。
1つ目はパパとママがくれたクマのぬいぐるみだ。ヨルクと名前を付けて毎日一緒に寝ている。
2つ目はこの前の誕生日にマグダの祖母であるロゼッタおばあちゃんがくれた遠見筒だ。
30センチくらいの筒で、眼を付けて覗いてみると遠くが近くに見えるという不思議な筒だ。
最近寝る前には自室がある2階の窓から空に浮かぶ月を遠見筒で見るのが、マグダのお気に入りだ。
3つ目は猫のウラ。真っ白できれいな毛に後脚だけ黒い色をしている。まるで靴下をはいているみたいなメスの猫だ。
マグダが生まれた直後から一緒に育ってきた猫でマグダの遊び相手でもある。
マグダとウラは同じベッドで寝て、一緒に昼寝をし、喧嘩をして、遊んで、同じように愛情を両親から受けて育ってきた。それはまるで姉妹のようだった。
そして両者は、その日まではとても良好な関係を築いていた。
その日のウラは、様子がおかしかった。あまりマグダに近寄ってこないし、機嫌も悪そうだった。
何かの病気にでもかかったかとも思ったが、ご飯はちゃんと食べていたし、むしろいつもより勢いよく食べていたようにも見えた。
夜になり、マグダが自室のベッドでクマのヨルクを抱えていると、ウラが窓から部屋へ入ってきた。
「ウラ、今日はなんかおかしくない?」
そう言って、ヨルクを抱えていた手とは反対の手でウラに触ろうとした瞬間、マグダはウラに引っかかれてしまった。
マグダは大好きなウラに引っかかれたことにショックを受けると同時に、引っかかれた拍子にウラの爪がヨルクに引っかかり少し破れてしまったことに、猛烈に腹を立てた。
マグダはその時の感情をどうすればいいのかわからなかった。
怒っていいのか泣いていいのか、頭が混乱した状態で癇癪を起してそれをウラにぶつけてしまった。
「もう!ウラのバカ!あんたなんか大嫌いなんだから!どっかいっちゃって!ウワーン!!」
マグダの泣き声に気付いたママが部屋にやってきたときにはウラはすでに姿を消していた。
ほつれたクマのヨルクはその日のうちにママが縫い直してくれた。
引っかかれた手はちょっと赤くなった程度だった。翌日にはほとんど目立たない程度に治った。
マグダはウラが帰ってきたら絶対に仲直りしようと思った。びっくりしてああは言ってしまったけど、本当はウラのことが大好きだったから。
でもその後、3週間経ってもウラがマグダの元に帰ってくることはなかった。
パパとママも、いなくなったウラを探してくれたけど、ウラは見つからなかった。
ウラと喧嘩した日から、マグダは高台に建つ自宅の2階の自分の部屋の窓に張り付き、ロゼッタおばあちゃんがくれた遠見筒でウラの姿を探すようになった。
昼でも、夜でも、時間があればマグダは遠見筒を覗き続けた。
パパとママは、そんなマグダといなくなったウラを心配して、色々と知恵を絞ったけれども良い解決方法を思いつかなかった。それで遂にはロゼッタおばあちゃんに相談をすることにした。
夕食を終え、マグダが早々に部屋に引きこもるのを心配しつつ、パパとママとロゼッタおばあちゃんの相談は始まった。
「母さん、僕たちも何もしていなかった訳じゃないんだよ。伝手を頼って探し猫の張り紙もお願いしているんだ、でも見つからなくって、一体どうしたらいいんだろうか」
「いいわ、私もウラを探すのを手伝いましょうかね。あんなマグダをいつまでも見ているのは辛いもの。そうね、王都新聞に探し猫の広告を懸賞金付きで乗せるなんてどうかしら。うん、いいわね。早速明日にでも手配しましょう。もちろん懸賞金は私が出すわよ」
「でも、お義母様にそこまでしていただくわけには……」
「いいのよ、可愛い孫のためだもの。それにウラは私が連れてきた子よ。マグダと引き合わせた責任もあるわ」
そのように3人の話し合いが行われている一方で、夕食を食べ終わって早々に2階の部屋に引きこもったマグダはいつものように遠見筒を覗き込んでいた。
空にはお月様が浮かんでいる。白い毛色のウラなら月明かりがあれば十分に探せるかもしれない。
その時、遠見筒を通してマグダの目に飛び込んだのは、5軒向こうの屋根の上を優雅に歩くネコの姿だった。
「あ!ウラ!」
しかし、次の瞬間、マグダはおかしなことに気が付く。それは確かにネコだったが黒い色をしているようだった。そして、ネコなのに何か上着のようなものを着ているように見えた。
「変なの!服をきてるネコちゃん?ウラじゃないのかな」
暗闇の中、見失わないように遠見筒でその姿を追い続けると、黒ネコは屋根からにょきにょきと生えている煙突の向こう側に一瞬姿を消してしまった。
すぐに煙突の反対側から出てきた黒ネコは、先程よりももっとおかしなことになってた。いつの間にか”帽子”をかぶっていたのだ。
それは羽飾りが付いたチロリアンハットと呼ばれる帽子だったがマグダは帽子の名前を知らなかった。
尚も、マグダが遠見筒で黒ネコを追い続けていると、再び煙突でその姿が見えなくなった。
そして、再び姿を現した黒ネコにマグダは目をまんまるにして驚くのだった。
黒ネコは”2本足"で立って歩いていたのだ。しかも、身体もふた回りほど大きくなっている気がする。
「えー!!」
その時驚きのあまり、遠見筒から目を離さなかった自分をマグダは褒めてあげたかった。
しかし、次の瞬間、2本足の黒ネコはマグダの方に顔を向けると、ネコが嗤うとこんな顔になるのか、という表情をした。
そして、マグダが驚きのあまり忘れていた瞬きをした瞬間、黒ネコの姿は幻だったかのように消えてしまっていた。
(あの変なネコちゃんは、絶対に私を見て笑ったわ!)
マグダはしばらくの間、消えてしまった2本足で歩く黒ネコを遠見筒で探し続けたが結局、再び見つけることはできなかった。
マグダは勢いよく部屋から飛び出すと一気に階段を駆け下りた。
「ママー!変なネコちゃんがいた!」
1階のリビングで話をしていたパパとママとロゼッタおばあちゃんは、この頃沈みがちだったマグダが興奮した様子でリビングに駆け込んできたことに驚いた顔を見せた。
「ママ!パパ!変なの!変なネコちゃんがいたの!」
「マグダ、少し落ち着きなさい。ウラが見つかったのかい?」
「違うの!ウラじゃないの!ウラを探していたら変なネコちゃんがいたの!」
「どんなネコちゃんだったんだい?」
「普通に!普通に歩いてて!服着て!帽子かぶって!あと!歩いててこっち見て笑って、パッて消えちゃったの!」
一向に話が見えてこないマグダの言い分にパパとママは目を合わせて首をかしげるだけだ。
「もしかして、マグダは夢を見ていたのかもしれないね。遠見筒でウラを探すのもいいけど、夜はちゃんと寝ないとだめだよ」
パパは優しくマグダを諭すが納得がいくわけがない。
「もー!絶対!絶対に絶対にいたの!変なネコちゃん!」
聞き分けのないマグダにパパとママも困り顔だ。
「マグダ、ちょっとこっちへいらっしゃいな。おばあちゃんと少しお話ししましょう」
ロゼッタおばあちゃんがニコニコしながら”おいでおいで”をしてマグダを呼ぶと、ちょっと落ち着いたのかマグダは大人しくロゼッタおばあちゃんが座っていたソファの隣に腰かけた。
「マグダ、もう一度おばあちゃんに不思議なネコちゃんのことを教えてくれるかしら」
「うん、あのね……」
マグダは2階に上がってウラを探し始めてから自分が見たことを、もう一度ロゼッタおばあちゃんに話をした。さっきよりも、今度のほうが上手に話せたような気がする。
「おばあちゃんも、やっぱり夢だったと思う?」
不安そうに見上げてくるマグダにロゼッタおばあちゃんは、パパとママとは違う答えをくれた。
「マグダ、それはきっと猫妖精よ。なかなか会えない妖精なのよ。マグダはとても運が良いのね」
と重大な秘密を告げるようにそっと、それでいて茶目っ気たっぷりにウィンクして教えてくれた。
それを聞いてマグダは嬉しくなった。
「やっぱりあれは夢じゃないよね!」
「えぇ、そうね。夢ではないわよ。猫妖精はいい子のところにしか現れないの。マグダはとってもいい子だものね」
そう言うロゼッタおばあちゃんの話を聞いて、マグダは急に不安に思い始めた。
「どうしよう……私、あんまりいい子じゃないかもしれないわ」
「あら、そうなの?どうしてそう思うのかしら」
「だって、ウラと喧嘩しちゃったもの。まだ”ごめんなさい”って言っていないもの」
「大丈夫よ。だってウラのことをとても心配して、ちゃんと”ごめんなさい”って言いたいのでしょ。マグダはとても優しくていい子だとおばあちゃんは思うわよ」
「おばあちゃん、猫妖精はウラがどこに行ったか知らないかなぁ」
「そうね、猫妖精なら知っているかもしれないわ。今度会ったらウラのことを聞いてみなさいな」
「うん、そうする」
こうしてマグダは、遠見筒でウラを探すことに加えて、不思議なネコちゃんこと猫妖精を探すことになったのだった。
マグダが猫妖精を見てから1週間がたった。
その夜も自分の部屋の窓から遠見筒でウラと猫妖精探していたマグダは、遠見筒で覗いていた景色が急に真っ暗になり何も見えなくなったことに驚いた。
ぱっと遠見筒から目を離したが、自分の目が悪くなった訳ではないらしい。依然、そこには夜の街並みが広がっていた。
首をかしげつつもう一度、マグダが遠見筒を覗くと今度はちゃんと景色が見えた。
「おかしいわねー」
「おかしいことなんてないわよ」
自分の独り言にまさか返事があるとは思わず、驚いたマグダは危うく大切な遠見筒を窓から落としそうになった。
声がした方を向くとそこにはベッドの枕元に座っているクマのヨルクがいるだけだった。
「だれかいるの?」
「いるよ」
また返事があった。ヨルクの置いてある方向から声が聞こえてくるのは間違いなさそうだ。
不思議なネコちゃんの次は、しゃべるクマのぬいぐるみなのかしら。でも、ヨルクは男の子なのに声は女の人の声よね。と興味津々でヨルクを見つめていると、月明かりに照らされて出来ていたヨルクの影が、もぞっと動いたような気がした。
少し不安になってもう一度、ヨルクに向かって声をかける。
「誰なの?」
「私はクロネよ」
3度目の返事を受けて猫妖精のときと同じに、どうやら夢でも気のせいでもなさそうと結論した。
次の瞬間、ヨルクの背後から影がのそりと起き上がった。いや、よく見れば影だと思っていたのは黒々とした綺麗な毛並みだった。
それは不思議な光景だった。どうやって体を隠していたのか、ヨルクの背後からその大きさの倍はあろうかという大きさのネコが立ち上がったのだ。
その大きさは身長が100cmのマグダよりも頭1つ分よりも少し小さいくらいだろうか。
黒い毛並はつやつやと輝き、その瞳はトパーズ色、長い尻尾が機嫌がよさそうにゆらゆら揺れている。
それは確かにあの晩にマグダが見た不思議な黒ネコだった。
「変なネコちゃん!」
「変じゃないわ。クロネよ」
「クロネコちゃん?」
「違うわ、ク・ロ・ネ」
「ふーん、クロネちゃんは私に会いに来てくれたの?」
目をキラキラと輝かせて問いかけるマグダにクロネは小さくため息を吐いた。
「まあいいわ。そうよ。私はあなたに会いにきたのよ。初めまして、ではないわね。少し前に会ったものね。そういえば、まだあなたのお名前を聞いていないわ」
「あ!私はマグダよ。よろしくね」
名乗ってなかったのに気が付き慌てて名乗ると同時に、慣れない仕草でちょこんと淑女の礼を披露する。
クロネは意外なものを見たような表情をすると髭の生えている口元をほころばせた。
「これはこれは、ご丁寧にありがとうございます、お嬢様。改めて自己紹介をさせて頂きます。私は猫妖精のクロネと申します。以後お見知りおきを」
そう言うと、クロネは被っていた帽子を取り、見事な紳士の礼を返した。
その姿は、実に様になっていて中々に見ものだった。何しろクロネの恰好は普通のネコではあり得ない。
羽飾りのついたチロリアンハットに赤と黒の糸で刺繍された前面黒、背面紫のベストを着込み、胸のポケットからは赤いハンカチーフが覗いている。
手には柔らかそうな黒皮でできた手袋、足元は赤いリボンのついた編み上げのショートブーツで、腰には細剣が下げらえている。
そんなクロネに淑女扱いされてマグダはくすぐったそうに身体をもじもじさせながらも要件を切り出した。
「クロネちゃんに会えて嬉しいわ。だって聞きたいことがあったのだもの」
「あら、そうなの?じゃぁ私の用事は後でいいわ。あなたの聞きたいことからお話してちょうだい」
そう言うと、クロネはふわりと窓枠へ腰をかけると話を聞く姿勢を見せた。
そしてマグダは拙いながらも事情を話した。
ウラの様子がおかしかったところから喧嘩をしてしまったこと、それ以来ウラが帰ってきていないこと、探すために遠見筒を毎日覗き込んでいること。
それらを話終わるころには夜も更け月も正中に差し掛かろうかという時刻になっていた。
幼い子供特有の、まとまりが無くあちこちに飛ぶ話を、クロネは促し内容を補完しながら、いかにも幼い子供の相手に慣れた様子で上手に聞き役をこなした。
「なるほどね。つまりマグダは私にウラのいる場所を教えてほしいってことなのね」
「そうなの。ウラにちゃんとごめんなさいしたいの。クロネちゃんはウラのいるところ知らない?」
「残念ながら知らないわ……あぁ、そんな泣きそうな顔をしないで話は最後まで聞いてちょうだい」
クロネは座っていた窓枠からひょいと降りるとマグダの前まで来て手を差し出した。
「いるところは知らないけど、一緒に探すのを手伝ってあげることはできるわ。黒い靴下をはいた白いネコよね。これから私は探しに出るけどあなたも来る?」
マグダは差し出された手を全く迷わずに取った。
「ウラは私の大切な家族なの」
その返事にクロネは小さく、しかしとても満足そうに頷いた。
「そうね、家族は大切よね。じゃ、行きましょうか。あ、でもその前にそのままだと困るわね」
クロネはマグダと向かい合わせで両手を取ると、その目をじっと見つめた。
「私の目を見ててちょうだい。ネコの目と脚をあなたにあげる」
そう言われてマグダは自分の両手をクロネに預けつつ、真剣な眼差しでクロネの目を見つめた。
クロネは唄うように、呪文を唱え始める。
『昼の三宝、夜の三宝、月は太陽、星は雲、闇は風、夜の帳は我が夜明け、開け"猫の目"』
そうクロネが唱え上げるとマグダの眼は周りが明るくなった訳ではないが、夜の闇を見通せるようになり、暗闇を親身に感じるようになった。
マグダは夜の闇がこんなにも清々しく優しいものだと初めて知った。
クロネの魔法は続く。
『狭き隙間に猫の道、塀の上の目抜き通り、屋根の上の舞踏場、そびえる壁を越えるその脚は"猫足"』
「さぁ、これでいいわ。行くわよ」
そう言うと、クロネはマグダの手を取ったまま窓から夜の王都に飛び出した。
脚が地についていないふわりとした感覚と顔に当たる風の感覚にマグダは危うく悲鳴をあげるところだったが、気が付いたら向かいの家の屋根の上に音もなく立っていた。
隣では得意顔でクロネがマグダを見ている。
マグダは悲鳴を上げ損なったまま、口を空きっぱなしで固まっている。
クロネを見るマグダの顔は驚いた状態から徐々に変化して、ついには胸の前でブンブンと腕を振りながら捲し立て始めた。
「すごい!クロネちゃんすごい!ふわっとなったらぶわ!ってなっていつの間にか屋根に来ちゃった!」
「ふふ、マグダ、静かにしないとパパとママに気付かれてしまうわよ。それと私は手を引いていただけ。屋根に飛び移ったのはマグダが自分でした事なのよ」
そう言われて慌てて両手で口を閉じるマグダは、それでももごもごと言い募った。
「でも、クロネちゃんの魔法なんでしょ。やっぱりクロネちゃんはすごい!」
「褒めてくれてありがとう、マグダ。次は手を引かないから自分で跳んでごらんなさいね」
そう言ってクロネはマグダを誘うように隣の家の屋根にふわりと飛び移った。
それを見たマグダに既に迷いはない。屋根の上を勢いよく走るとクロネの待つ隣の屋根へ飛び移った。
「あら、マグダ。上手に出来たじゃない。その様子なら心配なさそうね。ちゃんと私に付いてきてね」
マグダを待たずにクロネは次々と屋根を越えて移動していく。マグダも負けずに後を追いかけるとすぐにクロネに追いついた。
空には美しい顔を見せている月と、ピカピカと光る星々が地上を見守っている。風は闇を纏いつつも屋根を行く2人を優しく撫でて通り過ぎて行った。
「ねぇ、クロネちゃん。どこに行くの?」
「ウラを知っていそうな人に話を聞きに行くのよ」
やがて、2人は家からそう離れていない場所にある空き地を眼下に確認すると、屋根から地上に降り立った。
そこはそう大きな空き地ではなかったが、ざっと見ただけでも10匹以上のネコ達が集まっていた。
突然、空から降りてきた2人に当初ネコ達は警戒の目を向けたが、その相手がクロネだとわかると再び興味なさげにくつろぎ始めた。
クロネはネコ達と”にゃぁにゃぁ”と話し始めたが、マグダは何を言っているのかさっぱり理解が出来ない。
話が途切れるのを待って、ちょいちょいとクロネの肩を叩くと、所在なさげに問いかけた。
「クロネちゃん、ウラのいる所わかりそう?」
「あ、ごめんごめん。マグダは何を言っているのかわからないものね」
クロネは三つ目の魔法を唱え始める。
『刻は丑三、集う猫は三々五々、喧々諤々大いに語り議論しよう。"猫はかく語りき"』
「さぁ、これであなたは猫の耳と声を手に入れたわ」
そう言われ、マグダが改めてネコ達に意識を向けると驚いたことに”にゃぁにゃぁ語”が理解できるようになっていた。
「ふーん、後ろ足だけ黒い白猫か。俺はみたことないな。お前は知っているか?」
「いや、この辺では聞いたことないな。なぁ、クロネ、その子って可愛い?」
「さぁ、どうかしら。私は会ったことないもの。ウラを探しているのはこの子なのよ」
クロネの後ろに控えていたマグダは、促されてネコ達の集会に加わることにした。
「はじめまして、私はマグダです。家族のウラがいなくなっちゃったのでクロネちゃんにお願いして探しにきました。誰かウラを見た人はいませんか」
「あら、なかなか礼儀正しい子じゃない。ウラねぇ。残念だけどあたしも知らないねぇ」
「俺も知らないなぁ。この辺の区画にはいないのじゃないか?」
「その可能性が高いな。今日の集会は区画の主だったものは全員来ているし、そのウラって子がこの辺にいたら誰かしらは知っているはずだぞ」
「そう、楽しんでいるところ邪魔したわね。これはお話を聞かせてもらったお礼よ」
そう言ってクロネはどこから出したのか、枝に数枚の葉が付いたものを、ぽいっと放った。
「お、この匂い、マタタビか。これはいい!」
我先と争うようにマタタビに群がるネコ達を尻目にクロネは塀を蹴って屋根へと登ると、早くもネコ団子と化したネコ達を呆気にとられて見ているマグダに声をかける。
「マグダ、次に行くわよ!」
そうして2人は次々とネコ達の集会所を周ってみたものの、まもなく夜半になろう頃になってもウラの手がかりは見つからなかった。
この頃になると、マグダも疲れて頭がぐらぐらと揺れてはじめている。クロネはこれ以上聞き込みは無理と判断すると、マグダを家まで送ることにした。
「マグダ、今日のところはここまでにしましょう。また明日、探すのを手伝ってあげるわ」
「うん、ありがとう……」
クロネは、目をコシコシと擦るマグダの手を引きながら家まで送り届けると、そっとベッドへ寝かしつけた。
クロネは独り言ちる。
(うーん、猫達の縄張りが概ね200m、今日周った集会所が5カ所。マグダの家から近い順に集会所を周ってウラは見つからなかった)
(もし200m以上離れていたりすると自力で帰れなくなっている可能性が大きいなぁ)
(考えたくはないけど、馬車に撥ねられて・・・すでに・・・いや、それはそれで目撃しているネコがいてもおかしくはないわよね)
(普段から割と外を歩きまわっていたことを考えると、付き合いのあるネコの一人や二人いそうだし、もう少し探して見るかな)
(どうせ、夜は特別やることもないし、よし、そうしよう)
そこまで考えをまとめると再び夜の王都の住人達を訪ね歩くことにした。そして、気が付いた。
(あ、私の要件を伝えるの忘れてた……まぁ、今度でいっか)
ある意味ネコらしく、深くは考えていない。そうして夜は更けていく。
一方、ベッドに収まったマグダは、少し奇妙な夢を見ていた。
幼子の声が母親を呼び、おなかが空いたと騒いでいる夢だ。子供の姿は見えないが、子供の声は1人や2人ではない。もっと多い人数の声が聞こえてくる。
やがて子供らの母親らしき声が聞こえてきた。母親は子供たちへ乳を与えているようだった。騒がしかった子供の声が大人しくなった。
マグダにとって全く聞き覚えのないはずの母親の声が、なぜかとても身近に感じる。
そんな、良くわからない不思議な夢だった。
翌朝、妙に記憶に残ったままの夢の事を起きたばかりの寝ぼけた頭で考えていたマグダだったが、昨晩の出来事を思い出すと夢の事はあっという間に忘れてしまった。
「あ!ネコちゃん魔法!」
急いでベッドから飛び降り数回飛び跳ねてみたが、昨晩屋根の上を走り回った身軽さが感じられずクロネの魔法が解けていることはすぐに分かった。
マグダはそのことを残念に思いながらも、昨夜の奇跡のような出来事を思い出す。
出来れば、昨晩のことはちゃんと話しを聞いてくれそうなロゼッタおばあちゃんに話したかった。
だから結局パパやママには何も話さずいつもと変わらず日中を過ごすことにした。
しかし、隠し事をしながらいつもの通りに過ごすといっても4歳児のやることだ。
いつもよりソワソワしているマグダにパパもママも気付いていたが、ここの所、暗い表情をしていることが多いマグダが落ち着きが無いながらもどこか楽しそうにしていたため、結局何も聞かずに見守ることにした。
そしてその日の夜、マグダは再び自分の部屋の窓から遠見筒で街を見まわしていると妙なものを見つけた。
小さな編み上げのショートブーツが履き主も無い状態でこっちにスキップして向かってきているのだ。
妙なものとは言いながらも屋根を撥ねるようにスキップするそのブーツには見覚えがある。
昨日の夜にクロネが履いていたブーツに違いなかった。
それにしてもクロネはどんなつもりでブーツだけをスキップさせているのか。ブーツはマグダの家の目の前まで来ると、ひらりと宙を舞いマグダの待つ部屋の窓から音もなく入り込んできた。
ブーツを目で追うマグダに、クロネの不思議がる声が応える。
「あれ?もしかして私のこと見えてるのかしら?」
「うん、クロネちゃんのブーツが見えているわ」
「あ、本当だ。失敗失敗、消すの忘れていたわ」
ブーツがくるりと宙返りをするとそこに昨日と同じ姿のクロネが現れた。
「改めてこんばんは、マグダ。今日も良い夜ね」
「こんばんは、クロネちゃん。今日もお月様がきれいね。ねぇ、今日もネコちゃんたちにお話を聞きに行くの?」
「うん、そうしたいところなんだけどね、実は昨日マグダをお家に送った後に近所はあらかた聞いてきちゃったのよ」
「えー、じゃぁ今日は魔法なし?」
「うん、まぁ場合によるけど……あとね、ちょっとウラの手がかりになりそうな話が聞けたの」
「ウラ見つかったの?!」
「いいえ、見つかっていないわ。でもウラのことを知っていたらしい人がいたのよ」
クロネの話によると、ウラには彼氏ネコがいたらしいのだ。
「らしい」というのは、クロネはその彼氏ネコには会っていないからだと言う。
その話は彼氏ネコの友達だというネコから聞き、そして、残念ながら彼氏ネコは3週間ほど前に馬車に轢かれてすでにこの世にはいないという。
「ウラにボーイフレンドがいたの?!」
「そうみたいね。ただ、さっきも言ったけどその人はもう亡くなっているみたい。で、話を聞いた人はその彼氏さんのお友達なんだって。残念ながらウラに会ったことは無いみたいだけど、彼氏さんが亡くなる前に、可愛い彼女が出来たって喜んでいたって」
「ふうーん」
返事はするもののマグダは所詮4歳だ。半分以上は聞き流している。大事なことはウラがどこにいるかということだけなのだ。
結局、この日は昨日回りきれなかった比較的遠方の集会所を回ったが、収穫は何もなかった。
その後も毎日ではないがマグダとクロネは夜の街に繰り出した結果、最近ウラらしき姿を見たというネコには何人か会うことはできたが、足取りはというとさっぱり情報は得られなかった。
しかし、ウラが生きているということはどうやら確定のようだ。それだけでも明るいニュースと言えよう。
そうしてウラの足取りを探す日々の間も、マグダは例の子供が母親を呼ぶ不思議な夢を見続けていた。
そのことに不思議に思っていたマグダはある日の夜、クロネが来た時にそのことを相談してみることにした。
「クロネちゃん、最近変な夢を見るの」
「どんな夢を見るの?」
「えっとね、子供?あかちゃん?がお腹が空いた!ってママを呼んだり、子供同士で喧嘩?したり遊んだりする夢なんだけどいつも子供もママも姿が見えないの」
身振り手振りで夢を説明するマグダの話をまとめると、かなり幼い子供が4人くらいいて、1人の母親が声だけ夢に出てくる。子供は毎回いるが、母親は出てこない日もある。そして母親の声はとても親しみが持てる声だということということが分かった。
「ふーん、何回も似たような夢を見るというのは不思議ね。それは昨日も見たの?」
「昨日は見てないわ。一昨日とその前の夜はみたかもしれないわ」
「その前は?」
「見てない……と思う」
そこまで聞いて、クロネは気が付いた。
「もしかして私が会いに来た夜にその夢見てるのじゃないかしら」
「あ!そうかも!」
「と言うことは……もしかして……マグダ、今日の探索無しよ。ちょっと調べたいことがあるの」
そう言うとクロネは「少し待っててね」と言い残し、窓から飛び出していった。
クロネはものの10分ほどで帰ってくるとあっさりと言い切った。
「マグダ、ウラが見つかったわ」
「え、本当!?」
「えぇ、でもすぐには戻ってこれないそうよ。そうね、来週には戻ってくるって言っていたわ」
「なんで?すぐに戻ってこれないの?」
「すぐには動けないそうよ。でも心配はしないでって」
「ウラ、怪我してない?」
「してないから安心していいわ」
「そっか……あ、クロネちゃん!ウラを見つけてくれてありがとう!」
「ふふ、どういたしまして。今日はもう帰るわ。早くウラが帰ってくるといいわね」
「うん!」
この夜以降、マグダが不思議な夢を見ることは無くなった。
翌朝、起きたマグダは「もうすぐウラが帰ってくる!」それだけでご機嫌た。
いつにも増して機嫌のいいマグダにパパもママも不思議そうにしている。
「おはよう、マグダ。何かいいことでもあったのかい?」
「あのね!もうすぐウラが帰ってくるの!」
「ウラが見つかったのかい?」
「うん!クロネちゃんが見つけてくれたの!」
「クロネちゃん……お友達かい?」
「そうよ!とっても素敵な友達よ!」
パパもママも、マグダの交友関係は把握していたが、クロネという名前に聞き覚えは無かった。
しかし、ウラがもうすぐ帰ってくると言い、マグダもウラがいなくなる前の明るさを取り戻している。それだけで悪いことではあるまいと、細かいことを聞くのは止すことにした。
「そうか、良かったね、じゃぁウラを探してくれているロゼッタおばあちゃんにも見つかったことを教えてあげないとね」
「うん!あー、早くウラが帰ってこないかなぁ」
その夜、パパとママに呼ばれたロゼッタおばあちゃんが家に遊びに来ると、マグダは早速ロゼッタおばあちゃんの隣に座りいろいろと話し始めた。
猫妖精のクロネに会ったこと、クロネの魔法で夜の街を飛び回ったこと、クロネがウラを見つけてくれたらしいこと。
ロゼッタおばあちゃんは、いちいち頷きながらニコニコとマグダの話しを聞いている。
「ウラが帰ってきたらそのクロネって猫妖精にはちゃんとお礼を言わないとねぇ」
「もうお礼は言っちゃったわ!でももっとたくさんお礼言うわ!」
「そうね、そうすると良いわ」
それからの1週間、マグダはずっとソワソワしながら過ごした。
そしてついにクロネが言った1週間がたった夜、マグダはウラやクロネを探すためでなく、夜空の星を眺めるために部屋から遠見筒を覗き込んでいた。
マグダはふと”夜”に頬を撫でられたような気配を感じて振り向くと、そこにはいつの間にかクロネが佇んでいた。
「こんばんは、マグダ。約束通り、ウラがもうすぐ帰ってくるわよ」
「クロネちゃん、こんばんは。本当?もうすぐ?」
「ええ、ほら」
クロネがそう答えるのと同時に、背後から”久しぶり”と言わんばかりの「にゃぁ」という懐かしい声が聞こえてきた。
窓から入ってきたのは真っ白な毛並に後ろ脚だけ靴下をはいたような黒色をしたネコ。
「ウラ……ひどいこと言ってごめんなさい……お帰り」
そういって迎え入れようと両手を伸ばしたマグダを見つめていたウラは、ふいっと再び窓の外に出て行ってしまった。
「え……?」
「ふふ、マグダ心配はいらないわ。ほら」
ウラは怒っているのか。そう不安がるマグダにクロネが安心させるように言うと、ウラが再び窓からひょいと姿を現した。
それを見てマグダは目をまんまるにして驚く。
「ウラあなた……」
窓枠から飛び降りたウラがマグダの足元に咥えていた仔猫をぽてっと置いた。そしてチラっとマグダを見ると再び窓の外へ出る。
それを更に3回繰り返しマグダの足元には白、白黒、黒、キジトラの4匹の仔猫が小さな声でにゃぁにゃぁと鳴きながらマグダの足にじゃれ付いて来るという状態になった。
「ママになったのね……」
「にゃぁ」
返事をするウラはどこか誇らしげだ。
「マグダ、ウラはどこにも行っていなかったのよ。ずっとこの家の屋根裏にいたの。私と会った日の夜から不思議な夢を見ていたこと覚えているわよね。あれは"猫はかく語りき"の魔法でウラと仔猫達の言葉を夢うつつで聞いたから見た夢なのよ」
「クロネちゃん、お願いがあるの。ウラにちゃんとごめんなさいをしたいから、にゃぁにゃぁ語の魔法を私にかけてほしいの」
「その心配はいらないわ。もう、充分伝わっているし。『子供たちを動かせるようになるまでは帰る気は無かったの。心配かけて本当にごめんね』って言っているもの」
「そう……クロネちゃん本当に、本当にありがとう。ウラもがんばったね。お帰りなさい」
マグダの足元には寛ぐウラとじゃれあう4匹の仔猫達がいる。
「さて、仲直りもできたようだしもう大丈夫よね。私はそろそろ帰るわ。あ、そうそう私の用事を忘れないようにしないとね。えっとね、私のことは他の人には内緒にしておいて欲しいのよ」
「え、どうしよう!ロゼッタおばあちゃんに言っちゃったわ!」
「あら、そうなの?まぁいいわ。ロゼッタおばあちゃんにも内緒にしてねってマグダから伝えておいて頂戴」
「うん!約束するわ!ねぇ、クロネちゃんまた会えるわよね!友達よね!」
「マグダが約束を守ってくれている限りまた会いに来るわ。マグダとは秘密の友達よ」
「秘密の友達……」
「それじゃぁ行くわ。マグダおやすみなさい」
クロネは、ふわりと浮きヒゲでチクチクとする口でマグダの頬にやさしくキスをするとそのまま闇に溶けて消えてしまった。
マグダは部屋の窓から見える優しい闇に向かってそっと「おやすみなさい」とつぶやいた。
翌朝、マグダは頬に当たる懐かしい感触で目を覚ました。そっと目を開けると予想通りウラがマグダの頬を前足でフミフミしていた。ウラがいなくなる前はいつもこうして起こしてもらっていたのだ。
枕元にはクマのぬいぐるみのヨルク、足元には4匹の仔猫たちが寝ている。
「おはよう、ウラ」
ウラはマグダが起きて気が済んだのか、踏むのをやめるとマグダの足元に向かい仔猫たちを囲うように横座りをした。
ベッドから出たマグダはこれからやらないといけないことを着替えながら考える。
パパとママにウラが帰ってきたことと、子供が産まれたことを話さなければいけない。
仔猫たちの名前を考えないといけない。
名前はロゼッタおばあちゃんと一緒に考えるのはどうだろう。
おばあちゃんにクロネのことは内緒にしてもらうようにお願いすることも忘れちゃいけない。
着替え終わったマグダは階段を一気に駆け下りる。
「パパ!ママ!ウラが帰ってきたー!!」
そして、いつもと変わらぬ王都の朝が始まる。