使い捨てキャラは生き延びたい!
とある世界のとあるマンション。
「ふんふんふ~ん。」
夕食の準備中に思わず鼻歌がこぼれる。
私、五島若葉は刑事の兄と二人暮らしの専門学校生だ。
デザイン系の学校に通っている。
両親を早くに亡くした兄妹は今まで二人で支えあって生きてきた。
正義感のあった兄は警察に入り、私は小さいころからの夢であった
服飾デザイナーになるために必死で勉強している。
必死で勉強している割に中々認められることのなかった私だが、
先日ついに努力が報われ大きなコンテストで入賞を果たした。
いよいよデザイナーとしての一歩を踏み出すことができるのだ。
小さいころから兄と支えあってきたが、
ようやく自分も兄のために家事以外のことをしてあげられるかもしれない。
未来は明るい、私はそう信じている。
公務員とはいえ若い兄の収入はそう多くはなく、まだまだ贅沢はできない。
入賞したとき、どこかレストランでお祝いでもしようと言う兄に
ウチにそんな余裕はないと叱りはしたが、その実とても嬉しかった。
「かわりに、お兄ちゃんがいつもより早くうちに帰って来てくれればいいよ。」
そう告げたときの兄の顔の照れくさそうなことと言ったらなかった。
モーレツ刑事、な兄だがいつも刑事の激務のためか中々早く帰って来てくれず
、そのことだけにはちょっとだけ不満を抱いていた。
そんな兄を困らせてしまったが…でも、あの顔は可愛かった。
(お兄ちゃんがもてるのもわかるなぁ。)
ふふ、と私は思い出し笑いをする。
兄はいつも自分を応援してくれていた。
家で課題をやっているうちに寝落ちしてしまった自分にそっと布団をかけてくれたり、
徹夜で作業しているときなども自分もつかれているだろうにずっと一緒に起きていてくれた。
『友達からはあれだけかっこいいお兄さんならブラコンになるのも仕方ないな~』などと茶化されるが、
実際兄のことは大好きなのだ。
今日の晩御飯はいつもよりちょっぴり豪華だ。兄が帰ってくるのが待ち遠しい。
ぴんぽーん、とチャイムが鳴る。
「お届け物でーす。」
郵便かな、とぱたぱたと玄関に行く。
ドアを開けるとそこには人相の悪い男。
「ちょっと、お兄さんへのプレゼントになってください。」
男はそういって邪悪に笑った。
悲鳴を上げた。
助けを呼んだ。
命乞いをした。
刑事の兄への復讐だとして若葉を襲った男は、私の必死の願いを聞いても
むしろ嬉々として暴力を振るうばかりだった。
男はどうやら以前兄に逮捕された腹いせに、私を殺し、見せしめにするつもりらしい。
私の目の前で、私をどうやって殺し、
どうやって兄に見せつけようとしているか、自慢するように話している。
男の笑い声が遠くなっていく。
若葉は激痛と薄れゆく意識の中、兄のことを想いながら死んだ。
~~~~~~~~~~
気づけば、私は不思議な空間にいた。
ずらりと並んだ書物、古めかしいが清潔な雰囲気のする書庫のような場所。
そして、目の前には豪華な衣装を着た金色の髪の美少女と、メイド服を着た黒髪の美少女、
シルクハットをかぶったどこか嫌な感じのする中年の男がいた。
ぼんやりする意識の中、金髪の少女と中年男性が会話をする。
「この方が、その、今回の…扉ですの?」
「そうでしょう。今見た限りだと…なるほど、ある意味私が殺した少女に似た状況なのかもしれません。
…私の死の遠因とも言えますからね、これがキーとドアのつながりなのか…。」
目の前の人たちが何を言っているのか意味がわからない。
(ただ、私は生きている?)
ふと、自分の足を見た。
半透明に透けている。
分かりやすいくらいに幽霊だ。
「そうか、私、死んじゃったんだ…。」
まだやりたいこともあった。
お兄ちゃんにも会いたかった。
でも、あんな男のせいで、私は。
溢れる涙が、止まらない。
私が滂沱の涙を流し始めたのを見て、
金髪の少女と黒髪の少女が悲しそうな顔をし、シルクハットの男性が少し気まずそうにした。
金髪の少女が声をかけてくる。
「その…お察しの通りあなたはお亡くなりになりました。大変悔しいことかと思います。
私の名前はアトラル・ディスポーサ。五島若葉さん、まずは状況を説明します。」
落ち着いた声で話しかけてくるアトラル。
私が落ち着いたのを待って、少しずつ、状況を説明してくれる。
やはり、私は死んだのだということ。
自分たちは死んだ人間と出会うことができる別の世界の人間だということ。
そして…
「これは…何の本ですか?」
アトラルが渡してきたのは一冊の小説。
「この本は、貴方たちの物語。辛いかもしれませんが、良ければ読んでみてください。」
黒髪の少女が紅茶を入れてくれる。
それを飲んで落ち着いた後、恐る恐る本を手に取る。
そこに書かれていたのはある冒険譚。
好奇心旺盛な少女と、心に傷を持つ探偵の話。
事件に巻き込まれた少女が、探偵と出会って様々な事件に出会っていく。
兄も出てきた。
兄は妹…私を殺されたことで復讐者となり、私を殺した男や、似たような犯罪者を裁く人物となっていた。
やがて、兄は探偵に捕まる。
探偵は兄を捕まえた後、再び別の事件に巻き込まれていく。
私は、兄の回想の中で出てくる過去の人物だ。
小説を読み終わった後、私は自分の立ち位置を反芻する。
物語の登場人物の回想の中の人物。
端役もいいところだ。
まるで、私の人生が舞台装置の些細な一つに過ぎなかったような気すらする。
小説を読み終わったのを見計らってアトラルが声をかけてくる。
「読み終わりましたか。…その、すいません、不愉快な話だったかと思います。」
こくり、と頷く。
確かに、普通に読めばケレン味の強い推理小説だが、それは何も知らない人の見た場合の話。
自分が無残に殺され、兄が犯罪者を裁く犯罪者となって刑務所に叩き込まれる話だ。
そう考えると、他の事件の被害者たちも可愛そうに思えてきてしまう。
ひどい話だ。冗談ではない。
今でもあの最低の男が自分に何をしたかを鮮明に思い出せる。
震えが来て、吐き気がした。
「本当にごめんなさい。でも、これらはすべて真実なのです。これを…」
アトラルはさらに一冊の本を渡してくる。
どうやらまた小説のようだ。
中世風の世界の話らしい。
どうせ死んでいる身、時間は惜しくはない。
ゆっくりと読ませてもらう。
皇国と言う侵略国家におびえる東の小国が舞台だ。
東の小国の若者が、世界を支配しようとする皇国に立ち向かっていく話。
剣と魔法のファンタジー。
デザインに忙しくなってからはこういう本は読んでいないが、面白い話だった。
人死にも少なく、希望にあふれている。
物語の中盤で東の小国から遠く離れた西の王国が侵略されて滅亡するらしい。
皇国の暴挙に主人公は怒りを抱く。
ふと、悪役らしき皇国の将軍の言葉が気になった。
『アトラル姫の自害は見物だったな。まあ、祖国を焼かれ、家族を皆殺しにされれば死にたくもなるか。』
目の前の金髪の少女と同じ名前だ。
つまり…
「アトラルさんも、死んでいるということですか…?」
異世界だとか何とか言っていたが、やはりここはあの世だったのだろうか。
「いえ、私はまだ死んではいませんよ。でもこのままいけばあなたと同じようになることでしょうね。
見て下さい。私とリン…こちらの私のメイドは透けていないでしょう?
でもそこの男性、赤城さんは透けている。」
確かに、アトラルさんとメイドのリンさんは透けておらず、シルクハットの赤城さんは透けていた。
「私が何もしなければまさに私もこの本の通りになるでしょうが、
本の通りの未来にならないように私は戦っています。
私は、貴方たち異界の魂の力を借りて、運命を変えたいのです。
私の魔法は召喚魔法、貴方たちは召喚されたのです。
私の願いは一つ。対価を支払い、貴方たちに戦ってもらいたいのです。」
アトラルさんが私に手を差し伸べる。
「五島若葉さん。もう一度、生きてみたくはありませんか?」
無残に奪われた私の全て。
それを取り返せるというのだろうか。
「言うことを聞けば、元の場所でまた暮らしていけるということでしょうか?」
希望の光が芽生える。
また、またやりなおせるというのだろうか。
「それはできないと思います。あなたは事実、その世界では死んでしまっているのです。
以前いろいろ試しては見ましたが、私に今のところできるのは、
貴方を健全な姿で私の世界に呼び寄せることと、
貴方が元の世界でいなくなる時…つまりお亡くなりになる時まで貴方を元の世界に滞在させること、
その二つのみです。
五島若葉さんが元の世界で亡くなった先の時間を生きることはできないのです。
元の世界で平和な一生を送ってもらうことは…もう…。」
「そ、そうなんですか…。」
世の中やはりそううまくはいかないものだ。
「あと、私が戦うって、戦争でってことですか?」
「そうです、皇国の強大な軍勢と戦っていただきます。命の危険もありますし…
それに、命もたくさん奪うことになります。
その覚悟を決めていただく必要もありますね。
若葉さんはあまり殺し合いの無い国から来たようですから恐ろしいかもしれません。」
なるほど、確かに殺し合いなど私には恐ろしくてできないかもしれない。そもそも…
「ちなみに、アトラルさんに力を貸す?ことをお断りした場合はどうなるのでしょうか?
なんの力もない女子学生の私が戦争に参加できるとは思いませんが…」
素直な疑問を出す。
「それは…」
口ごもるアトラルさん。
その時、今まで黙っていたシルクハットの男性、赤城さんが声を上げた。
「それは、恐らく再び死ぬのではないかな。君が死んでからここに来るまで何かを感じたかな?
恐らく何も感じていないと思う。
その何も感じていない状態が続く…感じる自分がないということじゃないだろうか。
主観の問題だから確かめるすべなどないのだけれどもね。」
落ち着いた声で喋る赤城さん。
彼もどこかの世界で死んでしまった人だというからこそわかるのだろう。
確かに、この悲しい気持ちのまま死ぬのは嫌だ…。
「まぁ、断ったらどうなるか、ということを客観的に観察するすべは今まさに目の前にあるがね。」
そう言ってにやりと笑う赤城さん。
「だって、私はまた死ぬのだからね。」
え、と驚く私に顔を伏せるアトラルさん。
「私がアトラル姫君に出した条件はこうだ。
もう一度想い人に会わせてもらう代わりに、戦争に一回出陣すること。
あとは死なせてくれること。」
折角助かった命を再び捨てるというのかと驚く私に、
赤城さんはアトラルさんの説明を引き継ぐ形で話を始める。
ちょっと複雑な話だから、と赤城さんが小説を渡してくる。
これは彼の世界の話らしい。
しばらく読書をするとわかったことはこうだ。
赤城さんの世界では、ヒーローと言う存在と怪人と言う存在が闘っているということ。
愛を知らぬ怪人たる赤城さんは、そこでヒーローの妹を殺したことで
ヒーローと宿敵同士になったということ。
物語の終盤、別の怪人と心を通わせ赤城さんは愛を知るも、そこでパワーアップしたヒーローに倒されたということ。
愛を知ったからには自分が死んだ理由も何となく理解はできるということ。
愛ゆえにヒーローは自分を倒したのだと。
つまり愛を知った赤城さんは自分の死をそれなりに受け入れてしまったのだ。
元々は恐ろしい犯罪者だったのだろうが、赤城さんのどこか憂いを秘めた表情は、
そういう思いの果ての達観じみた物なのだろう。
最初赤城さんを見たとき感じた嫌な雰囲気はきっと彼が犯した罪の残り香だったのだろう。
そしてそれは愛を知ってしまった彼を苦しめている。
「折角だから説明しておくとだね、アトラル姫君の召喚魔法で呼び出した相手は、
アトラル姫君に願いを聞いてもらう代わりにディスポーサの戦争に力を貸すのさ。
そしてこのやり取りが終わると、アトラル姫君は相手から「キー」というアイテムを手に入れる。
それは相手の世界の何かの物質だ。
実際鍵の形をしているとは限らないがね、私の場合は例えばこのカードだ。」
赤城さんの持った一枚のカードが怪しく赤く光った。
「キーとペアになるものが私たち「ドア」である被召喚者だ。
アトラル姫君が召喚をし、契約を完了するとキーが手に入る。
キーを使うと新たな「ドア」の世界の人物を召喚することができる。
そうやってディスポーサは戦力となる異界の力を揃えていくのさ。」
もっとも、と赤城さんは区切る。
「何の因果か私のような犯罪者が呼び出されてしまったようだがね。
多くの被召喚者はどちらかと言えば未練のある犠牲者だ。
「物語」という残酷な舞台の装置として使い捨てられた、ね。
しかし君が次の「ドア」だとわかって何となく理解したよ。
キーとドアはペアの関係。ドアが無力な人間である場合はキーがそれに力を貸す。
そら、これが君のキーだ。受け取るといい。」
赤城さんは私に硬いカードを渡す。
「私の世界の話を読んだから理解しているかもしれないがそれは、
我々が怪人に変身するときに使っているディバイン・レコードという品だ。
それは私がかつて組織からくすねた最上位の怪人に変身するディバイン・レコード「ネメシス」だ。
私には使いこなせなかった。使うといい。」
本を読んだときに分かったのだけど、ディバイン・レコードは人間をむしばむ悪夢のカード。
次第に悪の心理に落ちて人間ではなくなっていく恐ろしい代物だ。
余程の悪人でない限りカードに乗っ取られ、発狂してしまう。
恐ろしくなっている私に赤城さんは苦笑する。
「ディバイン・レコードは確かに恐ろしい代物だが適合率の高い人間なら浸食されることもない。
ヒーローは皆、高い適合率だっただろう?「ネメシス」のカードを見てみるといい。」
恐る恐る「ネメシス」のカードをつまんでみる。
硬質なカードの表面に120%amazing!!!という表記が浮かび上がる。
それを覗いた赤城さんは驚く。
「これは…すさまじい!やはりキーとドアには深い結びつきがあるようだ。
この力があればヒーロー共を…!」
そこまで興奮しながらまくし立てたのち赤城さんははっと気づいて軽く咳ばらいをした。
「…こほん。と、まぁそういうことで五島君とネメシスの相性は抜群だ。
君は最強の怪人、ネメシス・ディバインへと変身することができる。
戦争に行っても活躍できるだろうね。
こちらは私の研究したネメシスのデータと予測される能力だ。今後に役立ててくれ。」
ごそごそと鞄をあさり資料を出してくれる赤城さん。
「あ、ありがとうございます。あの、ずいぶん親切にしてくれるんですね…。」
凶悪な犯罪者とは思えないかいがいしさだった。
私を殺したあの男と同じく刑事の妹を殺していたというが、印象がまるで違う。
おどおどとしている私の態度に納得したのか赤城さんは答える。
「そうだね。私の物語と君の物語の共通点は「刑事の妹を殺した犯罪者が刑事に裁かれる」という点だ。
私は加害者側で、君は被害者側だ。…罪滅ぼしのように見えるかもしれないね。
でも、加害者が殺人を犯して罪滅ぼしなんて、何をしたってできるもんじゃない。
…そうだろう?」
赤城さんの言葉に私は頷く。
許せるわけがない。
「うかつにも愛を知るということは、こういうことまでわかってしまうということだ。
これを理解してしまった以上、少なくとも私には最早生きているのは耐えられない。
あのヒーローの裁きの通り、死んでいなくなったのがお似合いだろう。
…もっとも直接の死因はディバイン・レコードの暴走だけどね。」
暴走、という言葉に思わず手元の「ネメシス」を落としそうになる。
「ははは、適合率100%超えなんてヒーローでも不可能だ。
君が私のような最期を迎えることはまずないだろう。
…話は戻るが、だからまぁ、君を殺した犯罪者も死んで当然。
愛をわかろうともしない屑に生きる価値はない。
愛を壊そうとする屑も同罪だ。
君の世界の物語…君が死んでしまった続きでは君のお兄さんは屑を君と同じ目にあわせていたようだ。
でも、君はあんな屑の血でお兄さんを汚したくはないんじゃないか?」
そういう赤城さんの目は澄んでいた。
「これはね、五島さん。この妙な状況に同じく陥った君に対するただのサービスさ。
ネメシスの力があれば少なくともお兄さんの手ではなく君の手で屑を葬れる。
君は手を汚すことになるが、君は愛したお兄さんの罪を軽減できる。」
そういってにやりと笑うとと赤城さんは気取った仕草でくるりと背を向けた。
生きようとしない彼の命の期限が迫っているのだろう。
ただでさえ半透明の赤城さんの姿は、より一層薄くなってしまっている。
「赤城さん、お力添えありがとうございました。もし「次」があれば良き生を送られますように…」
アトラルさんとリンさんがぺこりとお辞儀をする。
唾棄すべき犯罪者であったとしても、赤城さんと言う怪人は
少なくともディスポーサの未来を守る力添えをしたのだ。
「そろそろ時間のようだ。アトラル姫君、運命を変えられるよう祈っていますよ。
リンちゃんもこんな屑に美味しい紅茶をありがとう。それでは。」
ふっ、と赤城さんの姿が消えた。
消える寸前「頑張れ」と彼の口が動いた気がした。
ディバイン・レコード「ネメシス」を強く、握りしめた。
~~~~~~~~~~
「ひっ!ひぃぃ!お、おい!俺をまた豚箱にぶち込んだろ!?なんでそんなもん持ち出してんだよ!?」
ついに、ついに追い詰めた。妹を、若葉を殺した屑をついに見つけることができた。
こいつには、苦しんで、苦しんで、死んでもらおう。
若葉が昔好きだった怪人ネズミィのお面をかぶり、凶器を持ち出す。
まずはこいつの口を封じることから始めないと。
足を撃たれて動けない屑に一歩踏み出した。
その瞬間。
世界にゆがみが生じた。
ざざっ…ざっ…
「ぐっ…むう…?」
視界にノイズが走り、足がふらつく。
屑が叫ぶ。
「お、俺がお前のはひっ…あれ…?はひゅっ…ひひゅっを殺したのは謝るよ!
一生かけて償うから許してくれよっ!
あれ…俺は何を殺したんだっけ?」
ふざけるな、俺はあの現場を忘れない。
…を、あんな無残な…。
…?
何を?この屑は何を殺したんだ…?
わからない、何故自分は…?
とにかくこの屑を…
その時だった。
「だーれだっ。」
両目を、誰かが塞いだ。
懐かしい、感触がした。
「わ…かば…?若葉なのか?」
何故か、涙があふれる。
急いで後ろを振り返った。
若葉だ。
いとしいたった一人の妹の姿がそこにはあった。
「若葉…!若葉っ……!」
おかしい。
夢でも見ているのか。
だって若葉はもう…。
もう…?
ここにいるじゃないか。
ぐずぐずと止まらない涙を流す私と若葉はしばらくの間抱き合っていたが、若葉はそっと離れる。
若葉が奴の前に佇む。
ダメだ、そいつに近づいちゃいけない、そう言おうとすると奴が喚く。
「はっ!?お、お前は俺が…したはずじゃっ!?…!?…!!確かに…したのにっ!?」
「ごめんね、お兄ちゃん。ちょっと待ってて。まずはこの屑を殺さないと。」
若葉は一枚のカードを取り出す。
カードをかざすと不思議な音が響き渡る。
【ネメシス!】
音とともに若葉の周りに火花と竜巻が暴れる。
あっけにとられた私の前にほっそりとした…怪人、としか言えない不思議な人物が現れた。
その人物の声は若葉のそれだ。
若葉なのだろうか?思考が追い付かない。
「痛かったんだから…私の苦しみ、絶望、返すわ。」
怪人が指をかざすとどこからともなく奴に紅い小さな稲妻が落ちる。
ばくっ!
その瞬間奴の体がはじけた。
異常な姿。一瞬で生きているわけがないと確信できるその姿は、かつて若葉が…の姿…?
…?
若葉は、ここにいる、どういうことだ?確かに…な…?
おかしい、言葉が出てこない。
「お前はこのまま、その姿のまま、苦しみ続ける。
生きているのが不思議なくらいの形で生き続ける。
決められたその時までね。たっぷりと苦しみなさい。」
いつの間にか元の姿に戻っていた若葉は告げる。
「ごめんね、お兄ちゃん。混乱…というかよくわからない感じだよね。
今晩が過ぎたらお兄ちゃんは元の歴史の記憶に戻ってしまう。
でも、あの本の物語が終わったら、きっと思い出す。
このままお兄ちゃんは悪人を裁く怪人になってしまうかもしれないけど、これだけは覚えておいて。」
そういうと若葉が抱き着いてきた。
落ち着く、いつも通りの若葉の香り。
荒んだ心が癒えていくような。
「もう簡単には、会えないかもしれない。でも、ここではないどこか遠くで私は…確かに…生きている。
だから、お兄ちゃんも死なないで。信じていれば、願えば、きっとまた、会えるから。
またね、お兄ちゃん。大好きだよ。」
その日の記憶は、そこで途切れた。
数年後、獄中で私はその日のことを思い出した。
絶望の日々を送ってきた私は、今までなぜこんな大事なことを忘れていたのか。
若葉は、生きている。
さらに数日後、私は起こしてきた事件には何らかの外部のかかわりがあることが判明し、刑が軽くなることとなる。
~~~~~~~~~~
図書館に戻ってきた私、五島若葉を、アトラルさんとリンさんが迎えてくれる。
暖かい紅茶が涙腺にしみた気がする。
怪人ネズミィのマスク。
小さなころ好きだったネズミィを、お兄ちゃんは覚えてくれていた。
遠く離れていても、心はきっとつながっている。
どうやらこれが私から次のドアへのキーらしい。
次はどんな人が悲劇にあっているのだろうか。
その人に伝えるためにもまずはもう一働きをしよう。
未来は明るくないかもしれない。でも明るくできるかもしれない。
そのことを伝えるために。