第8話
よく考えたら、僕はこの年になるまで本気で人を好きになった事がない。
僕にだって、≪いいな≫とか、≪カワイイな≫なんて思うコはいた。
その時はそれが恋愛感情だって思ってた。
異性に興味を示すのが恋だって思ってた。
でもその気持ちがそれ以上発展することって無かったから、いつもそこでおしまい。
今時のコは早熟だから、小学生どころか幼稚園や保育園に通う子供ですら彼氏・彼女がいるって聞いたことがある。
そんな時代に生まれておきながら、その辺の感情が鈍いのは、多分恋愛感情の発達が遅れてるからなんだと思う。
もしくは単純に、僕の興味を惹くような人に出会わなかっただけなのかもしれない。
自分でも良く分からないんだけど、とにかく人から告白された事はあっても、自分から告白した事もなければ、女の子と付き合ったこともなかったんだ。
≪来る者拒まず≫の恋愛が出来るほど器用じゃないし、『とりあえず付き合えば、気持ちは後から付いてくる』なんて言う涼太みたいに、安っぽい恋愛をしたいとも思わない。
だからなのかな…付き合うなら絶対自分から告白したいと思うし、ちゃんとお互いの事分かってる相手がいいと思ってた。
高校生にもなって未だにそんな夢みたいな事考えてたり、ちゃんと誰かを好きになった事がない僕って、やっぱり遅れてるのかもしれない。
だけど、結局僕だって同じこと考えてた。
親切にされたからって、合田さんの事勝手に≪優しくて、カッコいい大人≫だって考えてた。
良く知りもしないのに、良い人だって決め付けてた。
これじゃあ、僕に告白してくれた女の子たちと同じだね。
合田さんの側にいるだけで心臓がドキドキしてきて、息が苦しくなっちゃって、まともに顔も見れなくなってる…。
そんな状態になるのは『好きな人の側にいるから』だって朝見は言った。
もしそれが当て嵌まるんだとしたら、僕は合田さんに恋しちゃってることになるよ。
だけど相手は男の人なんだ。
いくら今迄人を好きになったことが無いって言っても、それだけは無いと思う。
男が男を好きになるなんて有り得ない。
…わけじゃないんだ。
そうだ…朝見は僕のことを好きだって言った。
あの時の朝見の言葉と態度は、嘘や冗談で言ってる様に聞こえなかった。
朝見の性格を考えれば、冗談のためにわざわざ人気の無い教室に僕を連れ込んで、抱きついてきたり、告白なんかしないはず。
本気だから…人には言えない秘めた思いだからこそ、あんな風にしか伝えられなかったんだ。
だけど、何で急にあんなタイミングで…。
明日、朝見に合ったらどんな顔すればいいんだろう?
何て声を掛ければいいんだろ?
朝見の事、友達にしか見れないって言ったら、もう元には戻れないのかな?
考えれば考える程、僕の気持ちは堂々巡り、入り込んだ迷宮から抜け出すことが出来ず、ベッドに入ってからもずっとその事ばかり考えていて、やっと眠りに就けたと思ったのは明け方近くになってからだった…。
「寝坊したッ!」
目覚まし時計は既にセットした起床時間を30分も過ぎていた。
明け方まで悶々と悩み続けボーっとした頭が、寝坊した現実から逃避しようとする。
それでも、染み付いた習慣のおかげで、体は勝手に支度を始めてた。
ここ最近の僕は、合田さんと過ごすほんの僅かな時間の為、わざわざ始業ギリギリのスクール・バスを選んで乗っていた。
だけど今朝は合田さんに会いたくなかった。
だからいつもより早く起きるつもりだったんだ。
自分の中に芽生えた新しい気持ち…。
本当の事を知りたいけど、まだ心の準備が出来ていない。
今合田さんに会ってしまったら、その答えを強引に目の前に突きつけられそうで怖かった。
まだ今は、自分の気持ちと対面したくないから、僕は駅まで必死に走った。
1本前のバスに間に合う電車に乗ろうと頑張ったのに、無常にも僕の目の前で電車の扉は閉まってしまった。
走り去る電車が起こした風が僕の前髪を揺らすと、逃げ出そうしていた気持ちと向かい合えと言われている様な気がした。
逃げ出すつもりでいたはずだったのに、結局いつも通りの電車に乗り込んだ僕は、改札からバス乗り場へと向かう人の流れに乗ってゆっくりと歩いていった。
いつもならこうやって歩いていると、合田さんに背中をポンと叩かれるんだ。
合田さんだって分かっているのに、僕はわざと≪誰?≫って顔して振り向くんだ。
そうするとそこには、やわらかな花の香りをまとった合田さんが立っている…。
そんな些細なやり取りが楽しみだったはずの僕が、今朝はいつ背中を叩かれるのかとビクビクしながら歩いていた。
ホント、おかしな話だよね。
僕が同性である男の人に憧れるなんて。
しかも、その人の事が好きかもしれないなんて…。
その答えを知るのが怖いからって、ビクついても仕方ない
だって、いずれは答えは出る事なんだから…逃げても無駄だよ。
そう自分に言い聞かせてみるけれど、進む速度は自然と遅くなっていた。
『今朝はこのバスじゃないんだ…』
合田さんと合わずに済んだ事にほっと胸を撫で下ろし、満員に近いスクール・バスのステップに上がった僕は、発車しかけたバスに駆け込んできた人によってバスの中へと押し込まれてしまった。
「うわッ!」
ステップに足を取られ、前のめりに倒れ込む僕の体を、後ろから力強い腕が抱え込んだ。
「大丈夫か?」
聞きなれた心地よい響きの声と、覚えのある腕の感触に、僕は全身がカッと火照るのを感じた。
心の準備もできないままゆっくり振り返ると、そこにはいつもと同じように高い位置から僕を見下ろす朝見がいた。
「おはよ」
朝見が乗り込んだのを確認した運転手が扉を閉めると、扉に押された朝見の体が僕のほうへと押し付けられ、僕と朝見の距離はさらに近くなってしまった。
「うッ…狭いな…」
狭いステップ部分に2人で立っていると、その辺でいちゃいちゃしてるカップルなんかよりよっぽど密着した態勢になる。
「うん…」
僕より背の高い朝見の吐息が耳の辺りにかかるから、なんだかくすぐったい。
「これじゃ…話しにくいね…」
あんな告白をされたせいで、この距離感を妙に意識してしまい、僕の心臓はドキドキいってる。
なのに、背中に伝わる朝見の鼓動は至って平静。
この位置から朝見の顔は見えないけど、きっと涼しい顔して立ってるんだろうななんて思ったら、なんだか昨日のことが嘘みたいに思えた。
ぼんやりそんなことを考えていた僕は、自分の腰に朝見の腕が回されたままなのだという事に気が付いた。
「もう離しても大丈夫だよ」
なんて言いながら、朝見の腕を剥がそうとしたら、腰に回されていた腕にぎゅっと力が込められた。
「へ…!?」
なにしてるの?
朝見の腕の意味が分からなくて、もっとどきどきしてきた。
「この手は…?」
戸惑っている僕の耳元で、朝見の悪戯っぽい声が響いた。
「ん?この方が楽だから…もう少しこのままでいさせろよ…」
戸惑いながら振り向くと、今迄見たことの無い様、意味ありげな笑みを浮かべた朝見がそこにいた。
僕を支えてる姿勢、絶対楽じゃないでしょ?
でも朝見が楽だって言うなら、このままでいいのかな?
まるで別人のような朝見の表情に、僕はうろたえるしかなかった。