第7話
「うそ…だよね?」
薄暗い教室に一人残された僕は、呆然と立ち尽くしていた。
「好きって…だって…」
一番の親友だと思ってた。
一番信頼出来る人間だと思ってた。
そんなヤツが自分のことを恋愛対象として見ていたなんて…。
『好きだ…』
頭の中で何度も繰り返される朝見の言葉に、僕の心は乱れていた。
今迄一度だってそんな素振り見せたこと無かったじゃないか。
朝見はいつだって冷静で、僕なんかよりずっと大人で、色々相談に乗ってくれて…。
とにかく、一番の親友だと思ってたんだ。
それなのに…。
「なんで僕なの?」
親友からの告白は、僕に新たな疑問の種を植えつけていった。
大体さ、朝見の言ってることはおかしいと思うんだ。
僕は男だし、もちろん朝見も男なわけで…それなのに何で僕のことを好きになるわけ?
もし朝見が言うように、『胸がどきどきしたり、苦しくなったりするのは、特定の誰かが側にいる時』で、そうなる相手が『好きなヤツ』だって言うなら、僕は合田さんのことが好きって事になるんじゃないのかな?
違う…この気持ちは恋なんかじゃなくて、ただの憧れだよ。
上手く話せなかったり、どきどきしたりするのはきっと、合田さんがあまりにも素敵な人だから、側にいるだけで緊張しちゃうからなんだ。
これは親愛の情であって、恋愛感情なんかじゃない。
そうだ、そうに決まってる、それ以外考えられないよ…。
朝見は何か勘違いしてるんだよ、きっと。
そうやって一生懸命自分に言い聞かせても、それだけじゃ説明しきれない部分があることに気が付いた。
合田さんの事を考えると胸が苦しくなるのは何故?
合田さんが他の誰かと居るのを見ると、胸が痛くなるのは何故?
合田さんに触れられると、ぞくぞくするような、くすぐったいような不思議な感覚を覚えるのは何故?
この気持ちを説明するには、どうしたらいいんだろう?
朝見の言葉を認めたくなくて、その言葉を追い出すように大きく頭を振ってみても、朝見に抱きしめられた感触や、耳にかかった熱い息、真剣な声が蘇ってくる。
「そんなの有り得ないよ…信じたくない…」
僕は女の子が好きだし、男の人を好きになったりするような人種じゃないし、朝見もそうだと思ってた。
だってそれが普通のことだし、当たり前だから…。
朝見もきっと、何か勘違いしてるんだよ。
いきなり機嫌悪くなったと思ったら、抱きついてきたり、好きだって言ってきたり…。
それって友情と愛情の穿き違えなんじゃないのかな?
そうやって自分に言い聞かせてみても、朝見の真剣な告白が脳裏に浮かぶと、それが嘘や冗談じゃないって事を嫌って程思い知らされた。
「どんな顔して会えばいいんだよ…言い逃げなんてずるいぞ、朝見…」
深い溜息を吐き出しながらガクリと肩を落とすと、薄暗い教室を後にした…。
昼休みの校舎はすごく騒がしいはずのに、廊下を歩く僕の耳には何も届いていなくて、『朝見に会ったらどうしよう…』ってそれしか考えていなかった。
俯き、鼻をすすりながら歩いていると、ふいに肩を掴まれた。
「なーに深刻そうな顔してんのッ、さつきちゃん!」
無理矢理振り向かされた視線の先にいたのは、こんな時に一番会いたくないヤツ…涼太だった。
「なに?」
搾り出すように口にした自分の言葉がひどく平坦に聞こえる。
「なに…って、随分冷たくねぇ?なあ、一緒に教室戻ろうぜ」
そう言いながら肩に回された涼太の手の感触にゾクリと悪寒が走り、肩に置かれた手から全身に向かって鳥肌が立っていった。
こうやって何気なく施される過度な涼太のスキンシップ、実を言うとあまり好きじゃないんだ。
それでもこんな風に鳥肌が立つほど嫌だと思ったことは今迄一度も無かった。
「腕どけてくれるかな…」
嫌がれば嫌がる程、かえってエスカレートする性格の涼太だから、なるべく穏やかに聞こえるような口調で話した。
「ええッ、これくらいいいだろ?俺はさつきちゃんにくっ付いてたいのぉ」
これでもかっていう位落ち込んでる僕の事情なんか全く知らない涼太。
「なあ、いいだろ~」
適当にやり過ごそうする僕を羽交い絞めにして、ぐりぐりと頭を押し当てられた瞬間、僕の中で何かが切れた。
「その手をどけろって言ってんだ!キモイんだよ、涼太ッ!」
声を荒げたことの無い僕の怒声に、涼太が怯んだのが分かった。
「なに怒ってんの?さつきちゃん…」
ヘラヘラと笑ってその場を取り繕おうとする涼太の顔が、更に僕をイラつかせる。
「さつきちゃんなんて呼ぶな!オレは男なんだ」
涼太に向かって吐き出す言葉は、そのまんま自分に向かって言っている様な気がした。
そう、僕は男なんだ。
だから好きになるのは当然女の子で、男の人なんて好きになるはず無い。
たとえ男の人を好きになってしまったとしても、僕は女じゃない。
「そんなに怒ったら、かわいい顔が台無しだよ」
いつもと変らぬ軽口が、僕の全てを見透かして、嘲笑うかのように聞こえてきて無償に腹が立った。
「かわいいなんて言うな!」
「かわいいもんにかわいいって言って何が悪い?」
どうして涼太はこうも悪いタイミングで、僕の気分を逆撫でするような事ばかり言うんだろう。
男の人を好きになった僕の事からかって楽しいか?
そんな思いが浮かんだのと同時に、涼太の襟元を鷲掴みにしていた。
「二度と女扱いするなッ!」
力を込めた拳を涼太のにやけた顔めがけて振り下ろそうとした瞬間、力強い腕が僕の動きを封じた。
「やめとけ、皐月…」
僕の動きを封じる声の主なんて、振り向かなくても誰か分かる。
「うるさい、放っておけよッ!」
「お前の細腕じゃ、自分の手が痛くなるだけだぞ」
そう言われ、ムキになって振りほどこうとした朝見の腕すら解けなかった。
非力な自分が情けなくて、僕はすっかり戦意喪失していた。
「お前となんか話もしたくない…」
襟元を掴んでいた手をゆっくり離すと、涼太の胸元を拳で押し返した。
涼太の腕から抜け出すと、いつの間にか出来た人垣を掻き分けて教室へと向かった。
後ろから僕の名前を呼ぶ涼太の声も、好奇心丸出しのみんなの視線も無視してただ前だけを向いて歩いてた。
僕の頭の中はぐちゃぐちゃで、午後の授業なんてまったく耳に入らなかった。
朝見は知っていたはずなのに…。
僕が『前からずっと好きでした』とか、『一目惚れです』なんて言われるのを嫌がっていた事を。
『誰かと付き合うなら絶対自分が好きになったヒトがいい、絶対自分から告白したい!』 って言い続けてた事を。
そんな気持ちを知った上で告白してきた朝見の気持ちと、涼太に対して生じたワケの分からない怒りを理解できなかった。
なんで僕は男の人を好きになったんだろう?
なんで朝見は僕の気持ちに気が付いたんだろう?
なんで涼太は僕の事からかうんだろう?
浮かんでは消える様々な疑問の答えを探して、ひたすらうだうだ悩み続けているうちに、今日の授業は終わっていた。
「山郷くん…?」
開こうともしなかった教科書をのろのろカバンに詰めていると、同じクラスの女子が声を掛けてきた。
「なに?」
「あの…ちょっと付き合ってもらえるかな?」
「ここじゃ話せないこと?」
僕の言葉に頬を染め、頷く彼女の姿…何度か経験した事がある場面。
なんでこんな時に…タイミング悪すぎるよ。
こんな気分のままだと、酷い事言っちゃうかもしれないよ。
何か理由を付けて誘いを断ろうとした僕の目に、震える彼女の膝頭が見えた。
…うわ、凄い緊張してるんだ。
そんな姿を目にしてしまった僕は、喉元まで出掛かった断りの言葉を飲み込むと、彼女に促されるまま教室を後にした。
僕が連れて行かれたのは、偶然にも昼休み朝見に連れて来られた空き教室だった。
しんと静まり返ったその部屋に入ると、否が応でも昼休みのことが思い浮かんでしまう。
抱きしめられたときの腕の感触や、髪にかかった少し荒い息使い、囁かれた声と共に生まれた痺れるような感覚が…。
「急に呼び出してゴメンネ…あのね、わたし…」
僕に声を掛けてきたのは、クラスの中でも明るくて元気なタイプの女の子。
男女分け隔てなく接することの出来る彼女は、男子からだけじゃなく女子からも人気がある。
そんな彼女が緊張に脚を震えさせながら僕に声を掛けてきたのかと思うと、申し訳ない気持ちになった。
だって僕はきみの事、クラスメイトの一人としか思わないし、恋愛対象として考えたことも無かった。
そんな僕に対して、自分の気持ちを伝えたところで勝算があるかどうかも分からないのに、必死になって言葉を紡ぎ出している彼女の姿と朝見の姿がなぜかダブって見えた。
『ホントに好きなヒトができたら、周りが見えなくなっちまう』
以前朝見がそんなことを言っていた。
今、僕の目の前で震えながら想いを告げた彼女はきっと、勝算とかそんな事考えてないんだ。
ただ、溢れ出てしまう想いを伝えたかっただけなんだ。
いつもは元気いっぱいな彼女の、こんなにもか弱い姿を見せ付けられて、僕の心は酷く乱れてた。
今まで告白してきたコ達を、ただ気味が悪いと思っていただけの僕は、自分の気持ちの変化に驚いていた。
誰かに対して告白をした経験なんて無かったけど、それって凄く勇気がいる事なんだよね?
まして同性の僕に告白するために要した、朝見の覚悟と勇気は相当なものだったはず。
「ありがとう…キミの気持ち嬉しいけど、その気持ちに応えてあげられないんだ…」
僕の出した答えに彼女は、悲しげな微笑みを浮かべながら教室から出て行った。
肩を落とし去っていく彼女の後姿を見送りながら、僕は朝見の事を思い出していた。
同じ言葉を朝見に伝えたら、やっぱりあんな顔で僕のこと見つめてくるのかな?
そしたら僕と朝見の関係って、友達じゃなくなるのかな…。
そんな事を考えたら、なぜか胸がチクリと痛んだ。