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スクール・バス  作者: 野宮ハルト
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第6話


「その手…離して貰えませんか?」

いつもより数段低いトーンで話す朝見の声からは不機嫌さが滲み出ていて、氷のように冷ややかな表情を浮かべた顔は、端正な顔つきも手伝ってやけに凄味を増している。


『うわぁ、何でこんなに機嫌悪いの?出来れば今は構わないで欲しいのに…』

何だか今日はやけにいろんな人に絡まれる日だなぁ…。

きっとこういう日を≪厄日≫って言うんだよね。


何故だか分からないけど、朝見は合田さんに対して敵意剥き出しっていう感じで睨みつけている。

授業が始まる前は『皐月の恩人だったら挨拶しないと…』なんて言ってたじゃないか。

一体合田さんの何が気に入らないんだろう?

朝見がこんなに感情的になるなんてめったにない、というか初めて見た気がする。

そんなに嫌なコトでもあったのかな?


「手…?ああゴメンね、痛かった?」

「大丈夫です…」

強く握られていたわけではないからちっとも痛くないのに、合田さんは僕の腕から手を離すと掴んでいた場所を数回擦ってくれた。

「すみません合田さん、皐月とは俺の方が先に約束してるんですけど…」

朝見の大きな手が僕の手をがっちりと掴んだ。

「え!?」

険悪なムードになってしまったこの状況を何とか理解しようとしていたのに、気が付けば朝見に引き摺られるようにして図書館の外へと連れ出されてしまった。



「ちょっと、朝見!」

掴まれた手を無理矢理解くと、ぎっと朝見を睨み付けた。

「約束って何?僕、朝見と何か約束してたっけ?」

不機嫌さに僕の声のトーンが下がっていくの分かった。

「おまえが嫌がってる様に見えたんだ…あいつに誘われて…だから、助けてやったんだよ」

軽く舌打ちをしながら、掃き捨てるようにそう言うと、朝見はプイと顔を背けてしまった。


いつから僕達のやり取りを聞いていたんだろう?

なんで僕が嫌がってるって分かったんだろう?

でも…。

「だからってあんなのは失礼だよ!嫌だったら自分で断れるし、それに…」

「…それに?」

『機嫌が悪い朝見とも一緒にいたくないんだ…』

口から出かかったその言葉をぐっと飲み込むと、ガラス越しに見える合田さんに一礼をしてその場から走り去った。



「待てよ!皐月」

大声で呼び掛ける朝見の声を無視して、青々とした芝生に燦燦とした日差しが差し込む中庭を駆け抜けていく。

逃げる様にして飛び込んだ校舎の中、後ろを振り向くことなく上履きに履き替えると、自分の教室へ向かって歩き出した。


廊下を歩くたびにリノリウムの床で摩擦を起こした上履きのゴム底がキュッキュッと音を立てる。

僕が立てる足音と微妙に違うリズムの足音が後ろから近づいてくるのが聞こえた。

ズンズンと勢いよく歩いていた僕は、歩いていた勢いそのままにクルリと後ろを振り向き、立ち止まった。

「うわッ!」

突然振り向いた僕に、ぶつかりそうになった朝見が驚きの声を上げている。

いつも冷静な朝見が動揺しているなんて姿なんて滅多に見ることができないから、実は面白かったりしたんだけど、こうやって追い回されるような真似されたら、僕だってちょっとキレそうになってくる。


「だ・か・ら、一体何?何で朝見はそんなに機嫌が悪いの?僕が何かしたっていうの?」

背の高い朝見を真下から睨んでみても、あんまり迫力がないんだろうか?

朝見は僕の顔を見るとプッと吹き出してしまった。

「なんだよ、なんで笑うんだ?人が怒ってるっていうのに!」

「ごめん、あんまりにも迫力がなくて…」

必死で笑いを堪えているのにクスクス笑いが漏れるから、余計カチンと来る。

「失礼過ぎだよ朝見!っていうか、ちゃんと説明してくれよな…正直に言うけどさ、僕は機嫌が悪い朝見となんか一緒にいたくないんだよ」


飲み込んでしまった本心を吐き出した僕に、朝見は笑うのを止めると真剣な表情で見つめてきた。

「皐月、話があるんだ…」


怖いくらいに真剣な表情の朝見は再び僕の手首を掴むと、教室とは反対方向に向かって歩き出してしまった…。






「離せっ!」

朝見は僕の言葉なんか無視して、廊下をずんずん進んでいく。

しんと静まり返った廊下には僕と朝見の足音だけが響いてた。


「ここで話そう…」

朝見に連れて来られたのは特別教室が並ぶ東棟1階の空き教室。

ここは茶道室と被服室、それに調理実習室しかないから、授業でもない限り人の出入りはほとんど無い。

授業がない日は廊下もトイレも教室も、全ての灯りが消されている上にシンと静まり返っていてちょっと薄気味悪い。

「なんでこんな所…教室じゃ話せないの?」

普段の朝見からは想像も付かないほどの強引さと荒々しさを目の当たりにし、その迫力に怖気付いた僕の声は微かに震えていた。

「ここのほうがいいんだ…」

そう言いながら僕の手首を掴む手に力が込められた。

「った…離してよ…」

掴まれたままの手を朝見の目の前に突き出すと、込められていた力が緩められた。

「ごめん…」

力を込めたのは無意識だったのかもしれない…緩められた手から慌てて腕を引き抜くと、掴まれていた部分に赤く指の跡が残っていた。



「ねえ…何なの?」

カーテンの閉じられた薄暗い教室では、朝見の表情をはっきり読み取ることができない。

目を凝らして朝見の顔を覗き込むと、朝見の顔が近付いてきた。

「…いつから?」

「…何?」

「さっき言ってただろ?どきどきしたり、苦しかったりするって…」

「… あ」


『病気かもな…しかもどんな名医にも治せない、不治の病だな…』

そう言いながら表情を曇らせた朝見…。

もしかして僕は病気なの!?

だから朝見の態度がおかしいのかな?

どうしよう…怖い…。


「僕って…病気なの?」

縋る様に見つめた先で、朝見の表情が少しだけ綻んだ。

「病気?ああ…≪不治の病≫って言った事気にしてるのか?」

「うん…だって、どんな名医にも治せないって…」

「ククク…」


こんなに真剣な場面で、どうして朝見は笑い出すんだろう?

それともこれは悪い冗談なのかな?


「ねえ、なんで笑うのさ?僕すごい真剣なんだけど…」

「ああ、悪い…おまえの性格じゃあそう考えるよな…ククク…」

笑いを噛殺しながら答える朝見の態度に、収まっていたはずの怒りが再び顔を覗かせた。


「分かった…」

「分かったって、何が?」

暗がりに慣れた僕の目が、困惑する朝見の表情を捉えた。

「さっきから僕の事からかってるんでしょ?そんな事するなんて朝見らしくない!」

怒りに任せ朝見の胸をどんと押し返すと、教室へ戻る為踵を返した。



「じゃあさ…こんな風に考えたこと無いか?」

歩み去ろうとする僕の背中に、先程までの口調とはうって変って、重く響くような朝見の声が届いた。

「なに…?」

歩みを止めると、ゆっくりと近づいてくる朝見の気配を背後に感じた。

「おまえの…皐月の胸がどきどきしたり、苦しくなったりするのってさ、特定の誰かが側にいる時じゃないのか?」


≪ 特定の誰か≫って言われて最初に浮かんだのは、合田さんの顔だった。

そう、合田さんが側にいるだけで、僕の胸はどきどきしたり苦しくなったりするんだ。

それが何なのか知りたいのに、ちっとも答えが見えないからもどかしい…。

自分じゃ解き明かせない難問の答えを求める様に朝見の方へ振り返ろうとした途端、背後から大きくて温かな体が僕を包み込んできた。

「な…にす…」

「今、誰か思い浮かべただろ?」

後ろから抱きしめた姿勢のままで囁く朝見の声に、僕の心臓はどくどくと激しい鼓動を打ち始め、少し熱っぽい朝見の息が耳元にかかると、くすぐったくて痺れる様な不思議な感覚が走った。


『うわッ、なにこれ…なんでドキドキしてんだろ!?あッそうか…いきなり抱きつかれたから、ビックリしたんだよね…』

自分の体が示した反応の意味が分からないから、そんな理由で自分自身を納得させてみた。


「そんなこと…ないよ」

朝見相手に嘘吐いたって、すぐバレるんだ。

それなのに、今頭に浮かんだ人物の名前を言うことが出来なかった。

確かに僕は、合田さんの側にいるだけでドキドキたり、苦しくなったり、うまく話せなかったりする。

でもそれがどうしたって言うの?

それって、単に緊張してるだけじゃないの?

特別な意味なんて無いよ…。

そう思っても、いつもと違う朝見を前に合田さんの名前を口にするのが恐かった。



「俺にだって…そういう相手がいる」

僕を抱きしめる腕に力が込められた。

「え…?」

「そいつの些細な行動で俺の心は乱れるし、側にいたいって思う気持ちと同じくらい、嫌われたくないって気持ちが働くから、いつだって緊張してるんだ」


どんな時でも冷静沈着、それが僕の朝見に対するイメージ。

そんな朝見でさえも、僕みたいに緊張したりすることってあるんだ。

なんだか意外な気がしたけど、朝見も僕と同じなんだって思ったら、ちょっとだけ安心できた。


「でもさ…その話と、この姿勢にどんな関係があるの?」

僕の疑問を解明する為に、男同士で抱き合う必要って無いと思うんだけど…。

きつく回された腕を解こうとした僕の手を、朝見がやんわりと制した。


「好きなヤツの側にいると…そんな気持ちになるんだよ」


朝見の言葉に僕の動きが止まった。

好きなヤツの側にいるとって、そんな気持ちって…?


「俺はな、皐月…おまえが側にいるだけで、いつだって緊張するし、うまく話せなくなるんだ…」

「それってどういう…?」

僕を抱きしめる腕が微かに震えてた。

「好きだ…皐月…」

そう言いながら、朝見は僕の頭に顔を埋めた。



『なに冗談言ってるの』なんて言えないほど、朝見の声は真剣だった。

噛み締めるように一言一言紡ぎ出した言葉には、朝見の深い苦悩と決心が込められている気がして、茶化すことが出来なかった。


だってそれは、僕が今迄聞いた中で、一番気持ちのこもった告白だったから…。


「朝見…?」

「ずっと好きだったんだ…」

朝見はもう一度だけ僕を強く抱きしめると、ゆっくりと腕を解いていった。



教室を去っていく朝見の後姿を呆然と見送る僕は、戸惑いを隠せずにいた…。


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