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スクール・バス  作者: 野宮ハルト
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第41話


ビーチサンダルに足を突っ込んで宿の外へ出ると、湿り気を帯びた夜気が肌にじとりと纏わり付いてくる。


「面倒臭いなあ。何で僕が…」

ゲームに負けた悔しさと、人気の無い通りを歩く寂しさを、愚痴と文句で紛らしていると、パタパタと駆ける足音が近付いて来た。


「皐月ッ」

声を掛けられ振り向くと、僕に追い着いた朝見が軽く息を弾ませていた。


「あれ、どうしたの?」

「俺も一緒に行くよ」

「大丈夫だよ、僕一人で行けるって」


…また子供扱い?

大した買い物でもないのに、付き添おうとする態度が気に食わないから、僕はむっとむくれた顔を朝見に向けた。


「なーにむくれてんだよ。ったく…買出しより、あの部屋に残された方が罰ゲームだったぞ」

「何、どういう事?」

「おまえが戻って来るまでずっと2対1だぞ。それじゃ俺の気力が続かないって」

「あー、分かる気がする」


所構わずいちゃついて、その場の雰囲気をいかがわしげなものに変えてしまう2人と一緒に居ると、無意味に気を揉んでしまい、変に気疲れしてしまう。

それならいっそ、外の空気が吸える分だけ買出しの方が楽かもしれない。


「それに…あんまり早く帰ってもアレだから、少しゆっくりしてこうぜ」

「え、あ…そうだね」


…早く帰ってもアレって、どういう事?

まさかとは思うけど、あの部屋で始めたりしないよね?

変なタイミングで帰ったら、そんな場面に遭遇なんて…カンベンだよ。

そんな事してた部屋で寝なきゃいけないなんて…ビミョウな気分だよ。


次々に浮かんでくる妄想を頭の中から追い出そうとしていると、隣を歩く朝見がくすりと笑いを漏らした。


「何、変な顔してんだよ」

「だって…」

「ふふ…心配すんな。『部屋ではヤるな』って、釘刺してきたし」

「ヤるなって…や、それは…ッ」

単純な僕の思考回路を先読みする朝見の発言に、日焼けで火照った頬が益々熱くなってしまう。


「せっかくだから、買い物の前に、夜の浜辺散策でもするか?」

「うわ、海?行きたい、行きたいッ」


朝見の誘いに軽くなった足取りで、宿から続く道を抜けると、国道135線を渡った。

闇夜に響く波音と、ほの白く浮かび上がる白浜の向こうに、月の光に鈍い輝きを放つ波が打ち寄せて来るのが見えた…。



遠くで引く波、近くへ寄せる波…人気の無い浜辺に波音が響くと、砂を踏みしめる足元の感触と相まって、ふわふわ、不思議な浮遊感に包まれる。


「うわ、なんか神秘的~ッ」

「暗いんだから、足元気を付けろよ」

「分かってるって」

はしゃぎながら渚へ駆け寄ると、引く潮と共に砂が流されて、足裏をむずむずとくすぐられた。


「ほら、朝見もおいでよ。何か面白い」

空と海との境は見えず、耳に響く波音が方向感覚を鈍らせ、波に足元を浚われると、無重力空間に居るような錯覚に陥ってしまう。


「素足の方が気持ち良さそうかもッ」

身を屈め足元のサンダルに手を伸ばそうとしたら、波に足を掬われて、身体のバランスが崩れた。


「うわあッ」

「何やってんだ」

傾斜の付いた砂浜を海に向かって転げそうになると、傾いだ身体を朝見の腕がぐいと引き戻してくれた。


「はあ、危なかった」

「危なかった…じゃねえだろ。あのまま波に持って行かれたら、助けてやれる自信ねえぞ」

「う…ごめん」

「分かればいい」

はしゃぎ過ぎた行動を反省し、しゅんと項垂れると、潮風に揺れる髪をくしゃりと撫でられた。


「ほら、貸せよ」

「え?」

「手」

「あ…うん」


差し出された朝見の手を握り返すと、波打ち際にそってゆっくりと歩き始めた。



…どうしてだろう?

海という場所は、昼夜問わず人の心を躍らせ、騒がせる。


だからなんだ…。

こんなに胸がどきどきするのは…。


一歩踏み出すたびに、繋ぐ手の温度が上がっていった…。






「おまえと来れて良かったよ…」


僕の手を取り、波打ち際を歩く朝見の足が不意に止まった。


「どうしたの…いきなり?」

「今回の旅行…涼太が来なけりゃ、中止になってたんだろうなと思ってさ」



せっかくの夏休みだから、遠出したいと言い出したのは僕だった。

涼太と朝見、そして僕…男3人でお泊り旅行、なんて気色悪い事を言い出したのも僕だった。

だけど涼太は、愛する彼女と過ごす時間をとても大事にしてるから、色気のカケラもない旅行の誘いになんて乗ってこないと思ってた。

そうなれば、僕と朝見だけで出掛ける事になっていたかもしれなかった。


朝見と僕は友達同士だから、2人で旅行に出掛けるなんて…おかしくない。

おかしくないけど…できればそれは避けたかった。



「う、それは…」

「いくら友達同士でも、俺と2人じゃ不味い…とか思ってただろ?」


そうだ、そうなんだ…。

単純な僕の思考回路を読み取る事なんて、朝見にとっては朝飯前だから、全てを見透かされてる状態で嘘を吐いても…仕方ないよね?


「ゴメン…そう思ってた」

「だよな…。だって俺も、同じコト考えてたし…」

「え…?」


暗がりに慣れた目は、月に照らし出された砂浜の様子をつぶさに見て取る事が出来るけれど、月光を背にした朝見の表情まで読み取る事は出来なかった。


「だから…この旅行に賭けてたんだよ」

「賭け…?」

「そう、賭けだ」


ふうと息を吐いて夜空を見上げた朝見の横顔が、月光を浴びて闇夜に浮かび上がると、見慣れたはずの顔がやけに凛々しく見えて、胸の鼓動が早くなる。


「もしも…おまえと出掛ける事が出来たら、もう一度おまえに気持ちを伝える。それが出来なければ、おまえの事は諦めて、ただの友人に戻るつもりだった」

「……」

「俺は聖人君子じゃないから、いつまでも≪良い友達≫で居られる自信なんて無かった。だから、夏休みが終わるまでに、なんとかしたかったんだ…」

「それって…」

「そうだ、おまえが言った言葉の受け売りだよ」



夏休みに入って直ぐの事、僕は朝見の前である宣言をした。

それは、少しも進展の無い状況から脱する為、『夏休みが終わるまでに…なんとかする』。

つまり、友人から始めた合田さんとの関係を、『なんとかする』するという事。


そして僕は宣言通り動き、合田さんとの関係に…僕の初恋に終止符を打った。


散々悩んで、泣いてたくせに、初めての恋を終わらせた僕の気持ちは、不思議と清々しく、めそめそ落ち込んだりする事も無かった。

そんな気持ちになれたのはきっと、朝見が居てくれたからなんだと思う…。



「こんな状況で告白するなんて、ズルイよな?だけど言わせてくれ・・・。皐月、俺はお前が好きだ。俺と付き合ってくれないか?」

「朝見…」



僕にとって朝見と言う存在は、友達であると同時に、それ以上の存在でもあるんだ。


どこか大人びた雰囲気を持つ朝見は、初めての恋に悩む僕の良き相談相手になってくれた。

上手くいかない恋の悩みや不満をぶちまければ、朝見は黙ってそれを聞いてくれた。

いつだって朝見は、自分の気持ちなんか置き去りにして、僕の事を優先してくれた。


そして、そんな朝見は僕に好意を寄せてくれていた。

それを知りながら、尚も朝見の優しさに甘え続けてしまっていた僕は…最低な人間だ。



「どうして…?」

朝見には、僕みたいに自分勝手で我侭な子供より、もっとお似合いの人が居るはずだ…。


「さあな?」

「さあな…って」

「上手く言えないけど…こういうのって、理屈じゃないだろ?」

「それはそうだけど…」


人を好きになるのに理由や理屈なんか無いって事は、身をもって経験してるから、朝見の言いたい事は十分過ぎる程理解出来る。

理解できるからこそ…。


「どうして僕なの?」

繋いだ手をぐいと引かれたら、傾いだ身体を朝見の胸に受け止められた。

「好きになっちまったんだから…仕方ないだろ?」


潮の香りと朝見の温度に包まれながら、耳元で低く囁かれたら、打ち寄せる波の音さえ掻き消すほど、僕の胸が騒ぎ出した…。


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