第39話
「出発前に注意しておく事がある」
集合場所となった駅構内にある花屋の前で、朝見が徐に口を開いた。
「んだよ、注意って。修学旅行かっつうの」
Tシャツにハーフパンツ、足元にはクロックスという、この夏定番の格好で現れた涼太は、朝見の言葉を聞いて不満げに口を尖らせた。
「泊りがけの旅行だからといって、無闇にはしゃがない」
朝見は涼太の言葉など無視して、まるで引率の先生のように旅行中の注意事項を滔々と述べ始めた。
「必要以上のスキンシップ禁止」
「は、それって俺達に言ってんの?」
「そうだ、おまえ達に言ってんだ。いいか涼太、今回はあくまでも友達同士の旅行であって、恋人同士の旅行じゃない。その辺よーく心しておけよ、バカップル。俺や皐月がいるって事忘れるなよ」
釘を刺すようにびしりと指を差すと、涼太の顔は益々不安気に歪められる。
「嫌だなあ、朝見。俺とレナのどこがバカップルなんだよ。なあ、レナ?」
「そうよ、失礼発言取り消して」
涼太の彼女、レナちゃんの存在は以前から知っていたけど、実際に会って話をするのは今回が初めてだった。
夏 休みの補修が終わった途端、明るい色に髪を染め、耳にピアスを空けた涼太と、瞬きする度バサバサという音がしそうなほど濃くマスカラを塗った目元と、金髪 に近い髪をくるんとキレイにカールさせたレナちゃんは、見事なまでにちゃらちゃらとしていて、どちらもスゴク軽そうに見える。
バカップル…涼太とレナちゃんには悪いけど、確かにそんな言葉が似合う2人だと思う。
「おまえ達にとっちゃ普通の事でも、あいつにとっちゃ刺激が強過ぎる事もあるだろ?」
わざとなのか、それとも偶然なのか、そっと涼太に耳打ちする朝見の声が、僕の耳にまで届いてきた。
「あ、そうか。んじゃ、気をつけるわ」
なんて言ってるそばから、隣に立つレナちゃんの肩を抱く涼太を見て、朝見が深い溜息を吐いた。
…いちゃつく程度じゃ、動じないよ。
こっそりと交わされた会話に、男としてのプライドを傷付けられた気がした。
「もういい、行くぞ」
呆れた様に涼太に背を向けると、僕の背中を押して歩き出した。
「相変わらず、子供扱いだよね…」
「だっておまえ、お子様だろ?」
隣を歩く朝見をじろりと睨み付けたら、涼しい顔して笑い返された。
急遽計画を立てた旅行は、観光と海水浴を兼ねた2泊3日のお泊り旅行となった。
行き先は、白い砂浜が綺麗だという伊豆の白浜、本当は温泉旅館に泊まりたかったけれど、僕達の予算じゃとても手が出ないから、宿泊先は学生のお財布にやさしい値段で泊まれる、海からちょっと離れた場所にある民宿。
当初の予定では1泊だけのつもりだったけど、参加人数が増えた事で一人当たりの単価が下がった。
そのお陰で、1泊から2泊に日程を変更した。
「ホントにいいのかな?」
「何が?」
「レナちゃん…」
参加人数が増えて、旅費が安くなるのは嬉しいけど、それはとても気掛かりな事でもある。
「本人が良いって言ってんだから、いいんじゃねえのか?」
「うん、そうだけど…」
宿泊料金のシステムは、一部屋当たり何人泊まるかによって、一人分の支払い金額が変わってくるというものらしい。
つまり、参加人数が増えて旅費が安くなった理由は、涼太の彼女であるレナちゃんも同じ部屋に泊まるから、という事なんだ。
僕と朝見、それに涼太は友達同士だから気兼ねなく過ごせるけど、初対面のでいきなり同じ部屋、しかも自分以外は全員男というお泊り旅行へ参加する気になったレナちゃんの考えがいまいち理解できない。
「あのバカップルは、お互いの事しか見えてないみたいだから、気にしなくてもいいだろ」
そうは言っても、女の子と同じ部屋に泊まれば、着替える時や、それ以外のちょっとした事でも気を使ってしまいそうで、何だか気が重い。
「なあ、朝見。昼飯ってどこで食うの?俺、弁当とか嫌なんだけど」
「レナ、喉乾いた」
「昼前に下田に着くから、昼飯は現地で適当に食う。何か飲み食いしたいって言うなら、そこの売店で何か買って来い」
全部お任せ状態な2人を相手に、朝見は添乗員の如くてきぱきと指示を与えると、「はーい」と気の抜けた返事をしてバカップル…もとい、涼太とレナちゃんは駅のホームにある売店へ向かった。
「飲み物買って来るけど、何か要るか?」
出発前から既にお疲れ状態な僕を気遣って、朝見が売店へ向かおうとしている。
「大丈夫、飲み物もお菓子も持ってきたから…」
脇に下げたカバンを探ると、荷物に潰されかけたコンビニ袋が顔を出した。
「そっか。でもそれ、冷たくないだろ?何か適当に買ってくるわ」
「ありがと」
涼太が行けなかったらきっと、朝見と2人で出掛ける事になっていたかもしれない。
それは僕的に避けたいシチュエーションだったけど、まさかこんな展開になるなんて…予想外。
「お待たせ」
2本の缶コーヒーと共に、1組のバカップルを連れて戻ってきた朝見の姿を目にすると、何とも言いようのない気持ちが生まれてくる。
「じゃあ、行くか」
「そうだね」
小田原行きの急行に乗り込むと、車窓を流れていく見慣れない景色に、自然と気持ちが高揚していった…。
下田の駅からバスに乗っておよそ15分、白浜で下車をする。
先に今夜からご厄介になる民宿へ立ち寄って、荷物を預け、着替えてからビーチへ向かうはずだった。
しかし、バスの窓越しにちらほらと見え隠れしていた景色が、いきなり目の前に広がれば、そんな予定など後回しにしたくなるのも仕方のない事。
だって、白い砂浜と青い海が僕達の心を躍らせ、沖から吹いてくる風が僕達の足を自然と海へ向かわせてしまうんだから…。
「よし、行くか」
誰かが発した声で一斉に駆け出すと、僕達の小さな旅が始まった気がした…。
「ねえ、背中塗って」
「うん、後で痛くなると困るから、たっぷり塗ってあげるよ」
大きく広げたレジャーシートの上で、お互いの身体に日焼け止めを塗り合い、いちゃいちゃしている涼太とレナちゃんの姿に顔を赤くしていると、背中にヒヤリとした感触を感じて身を捩った。
「うわあッ、何!?」
「ほら、おまえも塗っとけ。日焼け止め」
「う、うん…ありがと」
正午を過ぎたビーチに降り注ぐ陽射しは強烈で、ちょっと陽に当たっているだけですぐに肌が熱を帯び、赤くなっていくのが分かるから、僕は顔や肩、腕など、手の届く範囲に満遍なく日焼け止めを伸ばしていった。
「うーん…」
身体の硬さが災いして、肝心な背中部分に手が届かず悪戦苦闘していると、日焼け止めを塗り終えたレナちゃんに大笑いされた。
「あはは、その動きオモシロすぎ。わたしが塗ってあげようか?」
「い、いいよ…自分で出来るから」
胸の谷間を強調するような水着姿でずいと迫られたら、目のやり場に困ってしまう。
「出来ないくせにー。ほら、貸して」
「や、ホントいいから…」
動くたびに揺れるレナちゃんの胸元から目を逸らしつつ、執拗な攻撃から逃げ回っていると、そんな僕達を見て、今度は朝見と涼太が爆笑し始める。
「恥ずかしいからやめて、ホントお願い」
朝見の背中に逃げ込み、涼太に縋るような視線を送ると、やっとレナちゃんの追跡から逃れる事が出来た。
「その辺でカンベンしてやれ。見てみろ、皐月の顔真っ赤になってるだろ?」
「わ、ホントだ」
「皐月は純情少年だから、レナの水着姿は刺激が強過ぎるんだって」
「そうなの?ごめんねー」
「おまえには俺がいるだろ?」
「ふふ…そうね」
僕の追跡を阻止されると、おもちゃを取り上げられた子供みたいに拗ねたくせに、涼太が腰に手を回した途端、レナちゃんの顔に笑顔が戻った。
「あーあ、見てらんねえな」
「でも、幸せそうだよ?」
「まあな…」
「うぎゃッ」
再びいちゃいちゃし始めた2人の姿にほっと胸を撫で下ろしていると、不意に肩甲骨の辺りをなぞられた。
「全然塗れてないな」
「だ…だって、届かないんだもん」
「俺が塗ってやるから、ソコ座れ」
「う、うん…」
戸惑いながらレジャーシートに腰を下ろすと、日焼け止めを手にした朝見が背後に回った。
「おまえ、色が白いからなあ。ちゃんと塗っておかないと、今夜泣き見るぞ。ほれ、下向いて」
朝見の大きな手が僕の項から肩にかけて日焼け止めローションを塗り込んでいくと、ぞくぞく、くすぐったい感触に思わず肩を竦めてしまう。
「うは、ダメ。それくすぐったい」
「我慢しろ」
左右に広がった肩甲骨をなぞり、背骨に沿って掌が滑り降りて行くと、肌がぞわぞわと泡立った。
「やーッ、もうダメ。本気でダメ」
「待て、あとちょっとだ」
片手で肩をガシリと押さえつけられ、もう片方の手で背中を撫で回されると、くすぐったいを通り越して、むずむずとしたむず痒さが生まれてくる。
…うわ、何で?
マズイ状態に陥りそうな身体の異変を察知したボクは、慌てて身を捩り、朝見の手から逃れた。
「どうした?」
「あ、朝見にも塗ってあげるよ。どれ塗ればいい?」
上擦ってしまう声と、赤くなっていく頬を隠しながら、シートの上に転がるボトルに手を伸ばしたら、朝見の掌がその上に重なった。
「あッ」
「あ…」
慌てて手を引っ込めると、僕達の間に微妙な空気が流れる。
「それでいいよ」
そんな空気を払拭するようにニコリと笑った朝見が、僕に背を向けて座った。
「じゃあ、塗るよ」
ココナツの香りがするローションを掌に取り、大きな背中に塗ろうとしたら、朝見の身体がピクリと揺れた。
「もしかして…くすぐったいんでしょ?」
「少しな…」
「ふーん…」
わざとくすぐったくなる様な動きで朝見の背中にローションを塗り込んでいくと、「ちゃんとやれ」って言われた。
それでも懲りずにのろのろやっていると、今度は「いい加減にしろ」なんて怒られた。
「はい、おしまい」
終わった合図の代わりに背中をぺしりと叩くと、振り向いた朝見の顔が少しだけむっとしていた。
「ばーか」
ふざけ過ぎた行為を窘めるように、指でおでこをぴんと弾く朝見の瞳が少し潤んでいて、僕の心がざわついた。
「行こう」
「うん…」
涼太達の後を追って海へ向かう僕の胸は、おかしなくらいドキドキしてて、打ち寄せる波の音さえかすんでしまいそうだった…。




