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スクール・バス  作者: 野宮ハルト
35/45

第35話

遊泳区域を通り過ぎると、やわらかな砂の中に硬くゴツゴツとしたものを踏みつけるようになった。


「うわッ」

砂の隙間から顔を覗かせた岩につまづくと、すかさず合田さんに身体を支えられた。

「気を付けて、岩場になってきたから」


以前の僕だったらきっと、こんな些細な触れ合いだけで、ばくんと鼓動が跳ね上がっていた。

嬉しい気持ちと恥ずかしい気持ちが同時にやって来て、まともに合田さんの顔なんて見れなかった。


「はい…」

合田さんの手を借り、前のめりになった身体を起こすと、僕は隣に立つ合田さんの顔をじっと見詰めた。


「あの…」

「座って話そうか」


今日の目的が単なるドライブでないという事は、メールの返事を貰った時点で分かっていたはずなのに、いざ『話そう』と言われてしまうと、ほんの少しだけ身構えてしまう。


「あの辺がいいかな…」

今居る場所から少しだけ戻ると、白く乾いた砂の上に腰を下ろした。



「あのさ…」

「ごめんなさい」

僕が謝罪の言葉を述べるのと同じタイミングで、合田さんが口を開いた。

「えっと…」

「あの…」

再び口を開けば、またもや同じタイミングで飛び出す言葉に、思わず顔を見合わせ笑ってしまった。


「山郷くんから話して」

この前は僕が一方的に喋ってしまったから、今日は合田さんの話を先に聞いてみたい。

「いいえ、合田さんからお願いします」

笑顔に緩んだ顔をきゅっと引き締め、真剣な眼差しで見詰めると、合田さんの顔にも真剣な表情が浮かんだ。


「それじゃ、僕から話そうか…」

僕を見詰めていた視線が、目の前に広がる海原へゆっくりと向けられた…。



「前に言ってくれたよね?『合田さんの中にある気持ちが分かるまで、僕と付き合ってくれませんか?』って」

「はい…」

それは、恋愛経験値ゼロで幼稚な僕が言い出した、とてつもなく我侭な願いだった。

「僕はまだ、自分の気持ちに答えを見出せていないんだけど…」

端正な横顔を見詰めていたら、海を見ていた合田さんの顔がゆっくりとこちらに向けられた。


「山郷くんの方が先にギブアップ?」

細いフレームの奥にある瞳をふっと綻ばせると、合田さんの顔にやわらかな笑顔が浮かんだ。



「マリカから電話があったんだ。山郷くんに酷い事言ったから、謝っておいて欲しいって…」

「え…?」

「それで≪さよなら≫なんて言い出したの?」

「それは…」


みなと祭の夜、僕と合田さんの気持ちは、一瞬だけ繋がった。

だけどその後すぐに、僕と合田さんとの間には、深くて大きな溝が出来た。

だから…先にギブアップしたのは、合田さんの方でしょ?


「マリカとは高校が同じだったんだ。その頃はたまに話す程度の仲だったんだけど、同じ大学に進んだ事もあって一緒に居るようになったんだ」

僕を見詰める合田さんの瞳に、昔を懐かしむような表情が浮かんだ。

「飾 らない性格だから、男友達と同じ様な感覚で付き合えたし、色んな事を相談し合えた。気が付かないうちに周りの人を傷付けてしまう僕の事を、誰よりも理解し てくれていた。そんな彼女に対する気持ちが、友情から愛情に変わるのなんて、あっという間だった。僕の気持ちを告げると、直ぐに彼女も受け入れてくれたん だ…」


胸の内にしまっておいた秘密を、こっそり話すような合田さんの口調に、僕の胸がどきどきする。


「マリカと付き合う 様になってからも、相変わらず僕の周りには、根も葉もない噂が流れていた。だけど何があっても、どんな噂を流されても、彼女だけは変わらない…そう思って いたんだけど…。マリカは昔から勝気な性格でね、自分が一番じゃなきゃダメなところがあったんだ。自分という存在があるにも関わらず、そんな噂が流れると いう事が、彼女のプライドを傷付け、僕に対する不信を生んだ。そこから先は、あっという間だった…」


そう言って足元の砂をぎゅっと掴むと、掴みきれなかった砂が指の間からさらさらと落ちていった。


「一方的に告げられた別れで、僕は相当なダメージを受けた。もう恋なんてしたくない、そう思ってしまうほど落ち込んだ」


それがどれだけ苦しいか、どれだけ悲しいか…今の僕なら分かる。


「色々あったお陰で、打たれ強くなっていたから、失恋の痛手からの立ち直りも早いと思っていたんだけど…僕は案外引き摺る性質だったらしい。あの日、杉田と一緒にいるマリカと会って、やっと気付いたんだよ…」


きれいな顔に自嘲気味な笑みを浮かべた合田さんが、やけに儚く見えた…。






「誰かを傷付けるのが恐いから…なんて言い訳して、本当は自分が傷付く事を恐れていたんだ…」


合田さんは大きく溜息を吐くと、細い銀のフレームに手を掛け、ゆっくりと眼鏡を外した。



少しキツい印象を与えてしまう細い銀フレームのメガネは、偽りの姿を演出するため、わざと掛けていると聞かされた事がある。

だけどそんな事したって、本人が思っている程の効果は無かったと思うよ。


だって僕は、細いフレームの奥に浮かぶ花のような笑顔に見惚れ、あなたの事が気になる様になった。

隠そうとしても溢れてくる、あなたのやさしさに惹かれ、好意を寄せる様になった。



「山郷くんは、僕がマリカの事を今でも好きだと思っているみたいだけど、あの日マリカに会えた事で、未練がましい気持ちにやっと区切りを着ける事が出来たんだよ」

「え…?」

「あの二人、いい組み合わせだったと思わない?」


高い所から見下す様な態度のマリカさんと、体育会系なノリで豪快に話す杉田さん。

一見アンバランスに見えた二人だけど、交わす会話の端々に、互いの事を気遣う様子が見えた気がする。


「あんな幸せそうな姿を見せ付けられたら、いつまでも過去に囚われる自分が哀れに思えたよ」

左右対称のアーモンド形をした瞳や、すうっと通った鼻筋、程よく丸みを帯びた唇…メガネを外した合田さんの顔は、柔和で少し中性的に見える。

「いつか僕もマリカ達の前で、幸せ自慢してやろう…なんて、思えるようになった」

そう言って決意を固める合田さんの顔に、強く男らしい表情が浮かんだ。


「だから、いい加減逃げてばかりいないで、自分の中にある気持ちと向き合おうと思ったんだけど…」

合田さんはふっと小さく笑いながら、肩を竦めた。


それって…。


あの夜マリカさんと再会したのがきっかけで、ずっと引き摺ってきた気持ちを清算できたって事なの?

なのに僕は、合田さんの言葉や態度から、昔の恋が再燃した…つまり逆さに捉えてしまったという事なの?

それじゃあ僕は、合田さんの為に身を引く必要は無かったという事?



恋をすると臆病になる。

ついついネガティブな考えに走ってしまう。

散々悩んで、溜息吐いて、やっと導き出した答えが…これ?



「勘違いさせる様な態度とって、ごめんね」


どうしてだろう?

やさしく笑ってくれる顔も、気遣ってくれる声も、全部僕だけに向けてくれたものなのに、ちっとも胸が弾まない。


「僕の方こそ…ごめんなさい」

向けられた眼差しに耐え切れずふっと視線を逸らしたら、その後を追うようにして顔を覗き込まれた。


「山郷くん…」

頬に掛かる髪に手を伸ばされたら、そっと触れた指先に身体がビクリと震えた。

「僕の中にある気持ちの答え…出してもいいかな?」

近付いてくる合田さんの体温に、息をするのが苦しくなった。

「僕は…」

その先を聞くのが恐くて、ぎゅっと目を閉じると、合田さんの声が耳元に低く響いた。


「山郷くんが…好きなんだ」


聞きたかった言葉なのに、欲しかった気持ちなのに、合田さんのくれた言葉が錘となって、僕の心に重く圧し掛かった。


「僕と付き合ってくれるかな?」


膝を抱えた手の上に、合田さんの掌が重ねられると、その重みで、砂浜に身体が沈み込んでしまう様な気がした。


このまま胸に飛び込んでしまえば、僕の初恋は成就する。

幸せな未来が待っている…はずなのに。


その先へ踏み出す勇気の無い僕は、膝を抱えた姿勢のまま、その場で更に身体を小さく丸めた…。


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