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スクール・バス  作者: 野宮ハルト
32/45

第32話

学校から戻ると、そのまま部屋へ直行した。


部屋の扉を閉めて、ベッドの上にダイブすると、閉め切ってあった部屋の熱気で、身体中から汗が滲む。

電源を切ったままの携帯を取り出して、ベッドの上に転がすと、こめかみから流れて来た汗と一緒に、涙が流れ落ちた。


「ふ…」

ズキズキ疼く胸の痛みも、息苦しいほどの悲しみも、涙と一緒に流れてしまえばいい…。


枕に顔を埋めて、嗚咽を漏らさないようにしながら、ぽたぽた落ちる涙の音に耳を傾けていた。



「皐月ッ、皐月!」

強く身体を揺さぶられながら、誰かに名前を呼ばれてた。

「大丈夫なの!?」

脇と項にヒヤリとしたものをあてがわれ、その感触に朦朧としていた意識が少しだけハッキリした。

「かあ…さん?」

「ああ、何やってんの…この子は。閉め切った部屋で昼寝なんかしたら、熱中症になるわよ。とりあえず、これ飲みなさい」

差し出されたコップを受け取ろうとしたら、可笑しいくらい指が震えてた。


「やっぱり、病院行ったほうがいいかしら…」

普段はあっけらかんとしている母さんが、心配そうな顔で僕を見詰めてる。

「何で病院?別になんともないよ…」

起き上がろうとした途端、軽い眩暈と吐き気を覚えて、そのままベッドの中に沈み込んだ。

「とりあえず、リビングに行くわよ。エアコンかけてあるから…」


母さんの肩を借りて階段を下り、エアコンの効いたリビングのソファに寝かされた。


「衣服を緩めて、足を高くして、水分補給…ですって」

「ちょ…母さん!」

何かの冊子と睨めっこしながら、おでこと項に熱取りシートを貼られ、きっちり閉めていたベルトを緩められた。

「頭痛くない?吐き気は?」

「ちょっとガンガンいってるけど…さっきよりマシかな?」

部屋で感じた眩暈と吐き気は、冷えたこの部屋に移動したお陰で治まった。

「夏の暑さをなめちゃダメでしょ。家の中だって熱中症になるし、命を落とす人もいるのよ…」

そう言う母さんの目元が、微かに潤んでいるのを見たら、鼻の奥がツンとして、息をするのがちょっとだけ苦しくなった。


「ごめん…」

「分かればいいのよ、今度から気を付けなさいね。まったく、何時まで経っても世話が焼ける子ね」

しんみりしてしまった空気を払拭するように、わざと大きく笑って、僕の髪をくしゃりと撫でる母さんの手がやさしいから、堪えていた涙がちょっとだけ溢れた。

「ありがと…」

両腕で顔を覆って涙を隠したら、その上にバサリとタオルを掛けられた。

「汗拭いときなさいよ」


キッチンに消える足音を聞きながら、渡されたタオルに顔を埋めた…。



母さんが気付いてくれたお陰で、大事は至らなかったものの、僕の身体は酷くだるくて、何もする気が起きなかった。

翌日も、翌々日も、エアコンの効いたリビングでダラダラ過ごしていたら、『そんなに具合悪いなら、病院行きなさい』と母さんに怒られた。



…具合が悪いわけじゃないんだ。

体調が悪かったのは1日だけで、それ以降は僕の気持ちの問題。


ズキズキする頭の痛みが取れたら、チクチクする胸の痛みが戻ってきた。

朦朧としていた思考回路がスッキリしていくほどに、思い出したくない事ばかり考えるようになった。

母さんのお小言を聞き流し、次々と浮かんでくる考えを押し遣って、怠惰な日々を送っていると、胸を蝕む痛みからちょっとだけ逃れられるような気がした。



「皐月、電話!」

リビングのソファに寝転がり、何度読んだか分からない漫画をぼんやり眺めていると、子機で頭を小突かれた。

「へ…誰から?」

「朝見くん」

「何で…家の電話?」

「さあ…?」


僕の手に子機を押し込んだ母さんは、掃除機を引き摺りながら部屋を出て行った。


「もしもし…?」

『皐月?』

「何で、家に電話してんの?」

『おまえの携帯、ずっと繋がんない』


…あ。


忘れようとしていた痛みが、朝見の言葉で戻ってきた…。






携帯の電源をオフにする事で、外界との繋がりを絶ち、自分の世界に引きこもっていた。

頭の中をからっぽにする事で、チクチクする胸の痛みをやり過ごそうとした。


だけど…そんな事したって、ムダだった。


『どうした?』

電話越しに聞こえてくる朝見の声が、怠惰に過ごした時間を撒き戻し、あの日の僕を呼び戻す。

「うん…」

やさしく話し掛けられたら、息が詰まるような苦しさと痛みに襲われて、その場にぺたりと座り込んでしまった。


『何かあったのか?』

「うん…」

『会いに…行って来たのか?』

「うん…」

何を聞かれても≪うん≫としか答えない僕を気遣う様に、朝見は直接的な質問を避け、当たり障りのない会話へ話題を変えていった。



『また電話するよ…って、こっちに掛けたほうがいいか?』

「ううん…後で携帯の電源入れておくよ」

『分かった…』

通話を終えた子機を充電器に戻すと、重い足取りで自分の部屋へ向かった。



風の抜け切らない部屋の中はむわりとした熱気が篭り、足を踏み入れた途端、全身の毛穴からじわりと汗が滲み出た。

枕元に放置されていた携帯に手を伸ばすと、訳も無く指先が震え、掌に収まってしまうほど小さな機器が、やけに重く感じられた。


パタリとフラップを開けると、真っ暗なディスプレイに写る自分の顔が、笑っちゃうくらい情け無けなくて泣きそうになる。


…逃げ回っても意味無いよ。

泣き出しそうな自分自身に言い聞かせると、電源のオンボタンに指をかけ、目を閉じ大きく息を吐いた。


「よし…」

ボタンを長押しすると、携帯の起動を示す音楽が流れ出し、心臓の鼓動がドキドキと早くなった。

溜まっていたメールの受信が始まると、汗で滑る掌から携帯が落ちそうになった。


ブルブルと震えるだけの着信は、迷惑メールやお知らせメール。

サビの部分だけ流れる流行歌は、友達からのメール。

そして、オルゴールの音が奏でるクラッシックは…合田さんからのメール。


滅多に聞く事の出来ないメロディが流れてくると、胸の奥がきゅうと締め付けられた。


「見たほうが…いいのかな?」

いらないメールを削除し、朝見や涼太から来たメールを読み上げて…ぐるぐる、いろんな場所へ寄り道しても、行き着く先は結局同じ。

最後まで残した未開封メールが、早く開けろと訴えてくる。


「逃げるな…」

画面を閉じようとする指先を叱り付けると、覚悟を決めて決定ボタンを押した。



「あ、あれ…!?」

タイミングよく掛かってきた電話に出ると、くすくす笑う朝見の声が聞こえてきた。


『何慌ててんだよ?』

「だって…」

『タイミング悪かったか?』

「そうじゃないけど…そうかも…」

『って、どっちなんだよ』


…せっかく覚悟決めたのに。

なんて思う気持ちの片隅で、ホッとしてる自分がいた。


「何か用?」

『生存確認…』

「なにそれ…」

『なんて…ちゃんと電源入れたか確認したかっただけ』

「大丈夫、ちゃんと繋がったでしょ?…って、あ…マズイ、電池切れる」


電池切れを示す音と共に、朝見との会話が中断された…。



電池切れの携帯に充電器のアダプタを差し込むと、充電中を示す赤いランプが点った。

「どうしよう…」

朝見に掛け直すか、それとも先にメールを見るか…決めた覚悟を挫かれると、次への一歩が踏み出せなくなる。


「もう…朝見のばか」


電源を入れ直した携帯を睨み付けると、リダイアルボタンに指を掛けた…。


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