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スクール・バス  作者: 野宮ハルト
29/45

第29話


海を吹き抜けていく風を思わせる爽やかな香りが、埋もれかけた記憶を掘り起こす。


屋上、太陽…思い出しかけた記憶を必死で追いかける。

失恋、涙…ゆるりと伸ばされた指先の感触。


「…あ」


自分の中に生まれた不思議な気持ち。

合田さんに対する気持ちを≪恋≫だと自覚した途端、それが叶わぬものだと思い知らされた。

苦い痛みから逃げ出して、一人泣いている僕の元へ来てくれたのは・・・。


…あれはリアルな夢のはず。

零れる涙を拭ってくれた指先の温度と、あやす様なキスの感触、夏空を思い起こさせる爽やかな香り…。


…夢にしてはあまりにもリアル過ぎる。

失恋の痛みに気を取られ、夢だと思い込んでたあの日のキス。



「ねえ…」

朝見の手の中で転がる青い小瓶。

「何で使うのやめちゃったの?」

「ん…?」

「それ…」


ころころ、小瓶を転がす朝見の手の動きが止まった。


「…飽きたから」

「そっちの方が似合ってるのに…」


…あの日のキスは、本物なの?

ストレートに聞いてしまいたいけど、今の僕にはその勇気が無い。


「そうか?でもなあ…使ってるヤツ多いし」

「でも…朝見のイメージって、そっちなんだけど」



纏う香りを変えても、僕の中に居る朝見はいつだってその香りと同じイメージ。

透明感のある爽やかさと、どっしり構えた大地…自然の力強さと優しさを兼ね備えてる。

ダメな僕には勿体無い位、出来すぎた友人…。



「ふーん…」

掌の上で転がしていた小瓶をテーブルに置くと、朝見はそのまま考え込んでしまった。


「今日はつけてないの?」

「は?」

「コレ…」

手元に残ったスマートなボトルを振って見せると、朝見が小さく首を振った。

「いや、今日は何も…」


…だったら。


「ねえ、ちょっとつけてよ」

フローリングの上を膝でじりじりと進み、朝見の側へ近付いて行く。

「締め切った部屋でつけたら、臭いだけだぞ」

「それでもいい」


青い小瓶にさっと手を伸ばし、朝見の首筋目掛けてシュッと吹きかける。

「うわ、やめろッ」

「ふふ、もう遅い」

身を捩って逃げる朝見の首筋で、小さな水滴がきらりと光り、部屋の中にウォーターフルーツの爽やかな香りが広がった。



「ったく、ガキか…おまえは」

呆れた顔しながら、朝見は僕の手から小瓶を取り上げた。

「ほら…やっぱり」


吹き付けられた液体が、朝見の肌の上で香りを変え、ふわり、馴染みのある香りとなって漂ってきた。


「やっぱりって…何が?」

「あれって…夢じゃなかったんだよね?」


僕の言葉に、掌で首筋を拭っていた朝見の動きが止まる。


「あの日…キスしたでしょ?」

「……」

「屋上で…」


知らん振りする事だって出来るのに、なんでわざわざ聞いちゃってるんだろ?


困惑する朝見以上に、困惑してる僕がいた…。






「気付いて…たのか?」

「…ううん」

「じゃあ…何で?」


困惑顔の朝見が、微かに眉を顰めた。


「コレ…」

「な…にしてんだ」

手にした小瓶を振って見せながら、首筋に吹き付けたフレグランスに顔を近付けると、朝見の身体が僕から逃げる。


「夢にしてはリアル過ぎると思ったんだ…この香りも…」

逃げる朝見の腕を掴み、首筋の香りを吸い込む。

「この感触も…」

そっと指を伸ばし、形の良い唇に触れる。



「非常階段でキスされた時、初めてなのに、初めてじゃない気がするって言ったよね?」


梅雨が明けてもじめじめしてた僕を、励まし、慰めてくれた朝見。

校舎北側にある非常階段で抱き締められて、キスされた…。


「あの時朝見は、≪勘違い≫だって言ったけど…勘違いじゃなかったね」


揺れる朝見の瞳を見詰め、にこりと微笑んだら、強張る顔にやわらかな笑みが浮かんだ。



弱くてダメな僕を、いつも、どんな時でも支えてくれる…強くてやさしい親友、朝見。

朝見がいなかったらきっと、恋する気持ちに気付かないまま、苦い痛みを抱え苦しんでたはず。



「ふ…今更嘘吐いても仕方ねえよな。そうだよ…屋上でしたキスは≪本物≫だ」



自分の気持ちを抑え込み、僕の恋を応援してくれてる朝見のほうが、もっと苦しかったはず。

≪溜め込んでばっかりいないで吐き出せ≫…なんて言ってる朝見のほうが、僕よりずっと溜め込んでいるはず。



「ふふ…やっと白状したね」


朝見だって僕と高校生なんだ…。

僕の為だからと言って、無理して笑ったり、黙って愚痴を聞いてくれなくてもいいんだよ。

もっと素直になっていいんだよ…。


朝見の言葉に、胸の痞えが取れた様な気がして、ほんの少しだけ気持ちが軽くなる。


「他にも隠してる事、あるんじゃない?」


寡黙な友の心に隠された鬱屈を晴らすなら今しかない…僕は畳み掛けるように質問した。


「うーん…それ位じゃないか?おまえに隠し事してたのって…」

「ホントに?」

「ああ…」


どんな隠し事も見逃すまいと、朝見の顔を必死で追いかけたら、急に真面目な顔して見詰め返された。


「あ…ひとつだけあった」

じいと見詰める視線の先で、朝見の眦がすうと細められた。


「いつも思ってたんだけど…」


…なに?

って言う前に、小鳥が啄ばむみたいなキスされた。


「ちょ…」

「そうやって見詰められたら、キスしたくなるの」


にやり、悪戯っぽい笑顔を浮かべながら、呆気に取られてる僕にもう一度キスしてきた。


「もう…」

むくれながら睨み付けたら、朝見は肩を小さく竦めた。

「これで隠し事無くなったな…」


そう言って笑う朝見の顔は晴れやかで、見ている僕の気持ちまで楽になった。


「キスされたくなかったら、そんなに近付いて来んなよ」

…冗談めかしてたけど、それが朝見の本心なんだ。

トンと胸を押し返されたら、僕達の間にいつもの距離が戻ってくる。

「したくても、させません」


いつもと同じはずなのに、今迄以上に心地よく感じるのは…何故なんだろう?



本心を明かしてくれた事に安堵しながら、僕に向けられた気持ちを嬉しく思ってしまう僕は…ずるい人間なのかもしれない…。


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