第22話
期末試験を目前に控え、覚えなくちゃいけないことや、解かなきゃいけない問題が山積みになってきた。
「おーい皐月、生きてるか?」
教科書とノートの山に埋もれ、うわ言の様に英単語を繰り返し暗誦する僕の目に、不気味なものでも見ような涼太の姿が映った。
「…なんとか…」
暗誦する単語と単語の切れ間にあやふやな返事をすると、
「疲れた頭には糖分だ!とりあえずコレ食え」
半ば強引にこじ開けられた口の中に、ふわり、甘い味と香りが広がった。
「ん…ありがと…」
口の中で溶けていくチョコレートの風味をゆっくりと味わいながら、凝り固まった体を大きく伸ばした。
「そんな根詰めたって、頭の回転鈍るだけだぞ…ほらコレ」
自分の口にもひとつ、ぽいとチョコレートを投げ込むと、涼太は書店のものらしき濃紺のビニール袋を差し出してきた。
「…何コレ?」
「おっと!ここで開くなよ、お楽しみは家に帰ってからだ」
にやり、下卑た笑みを浮かべた涼太は、
「たまには気分転換も必要だろ?」
なんて言いながら、ぽんぽんと僕の肩を叩き去って行った。
「気分転換…ねぇ」
帰宅した僕は、袋の中身を見て大きな溜息を吐いていた。
本にしてはやけに軽いと思った袋の中身は、アイドル顔の女の子が、全裸で男性と絡んでる…所謂AVっていうシロモノだった。
「これでどうしろって…」
って…することは一つしかないんだけど…。
思うように勉強が捗らない僕は、正直焦ってた。
得意科目の国語はなんとかなりそうだけど、苦手な英語と数学にかなりてこずっていた。
それというのも、僕の頭の中には勉強以外の事・・・つまり、合田さんのことや朝見の事…で目一杯になっていて、それ以上何かを詰め込む余裕なんて無くなっていたんだ。
そんな僕の姿を見るに見かねたんだと思う。
原因は分からないけど、とにかく何だか悩んでて、そのせいで勉強が捗っていない。
だったらAVでも見て、イロイロ出してスッキリすれば少しは勉強も捗るだろう…なんて、相変わらずの世話焼き振りと、ピントのずれた励まし方にふふっと笑いを洩らしてしまった。
「でもなぁ…」
僕の家にはDVDデッキが一つしかない。
しかもそれは、家族が集まる居間のテレビに設置されてるんだ。
夜中家族が寝静まってから見るっていう方法もアリなんだけど、そこまでして見る勇気もなくて…。
結局そのDVDは1度も観る事なく、涼太の手元に戻っていった。
こっそり手渡ししたら、『どうだった?』なんて聞かれた。
正直に『観なかったよ』って答えたら、『アイドル系は趣味じゃなかったのか?』なんて切り返された。
『興味ないっていうか…』って言い澱んだら、『これも社会勉強だと思って観なきゃダメだ』なんて言われた。
もしかしたら涼太は僕のことを、そういった事に興味を持てないほど子供だと勘違いしたかもしれない。
もちろん僕にだって年相応にそうゆう欲求だってあるし、興味もある…。
だけど、そういうの観てスッキリしたいとか、スッキリしなきゃいけない程悶々としてるわけでもない。
そういう『社会勉強』も必要なんだろうなって思うけど、なんとなく今は観る気になれない。
必要に迫られた情報じゃないから、敢えて受け入れないだけ。
ただそれだけなんだけど…。
世の中ってさ、『知っておくべき事』、『知っておいたほうが良い事』、『知らなくても良い事』があると思うんだ。
様々な情報が溢れる現代社会。
分からないことがあったら、あらゆる媒体を通じて即検索…。
パソコンを使えない僕だって、携帯さえあればおよその事は調べられる。
そんなお手軽な世の中だからこそ、僕達は時々迷ってしまう。
簡単に辿り着いた答えの中には、時としてどれが必要で、どれが必要じゃないのか見極められないものもある。
だからこそちゃんと見極めて、正しい答えを導き出さなきゃいけないんだ。
あの日以来、朝見の姿を見るだけで、声を聞くだけで、僕の心臓は破裂しそうな程ドキドキするようになってしまった。
どんなに平静を装ってみても、この肌が、唇が、あのぬくもりを覚えていて、ふとした瞬間、鮮明な記憶とともにあの感覚が蘇ってしまうんだ。
『いつも通り…今迄通り…』
ふうと大きく息を吐きながら、呪文みたいに数回唱えて心を落ち着かせる。
朝見とのキスは、僕にとって『知らなくていい事』だったはず。
だけど一度知ってしまった感触は忘れることなんて出来なくて、それが僕を悩ませる。
今更無かったことになんてできないから、せめて今迄どおり振舞おうとしてみる。
だけど、不器用な僕にとってそれは至難の技。
必要以上に噴出す汗と、不自然に裏返る声をどうやって誤魔化すか…それが今の課題になった。
「はあ~ッ」
チャイムが鳴り響くのと同時に、教室のあちこちから溜息が聞こえてきた。
今日で期末試験も終わり。
結果が出るまでの数日間、僕達は自由の身になったんだ…そんな安堵感が、教室中に溢れてた。
「よおっ皐月、遊び行こうぜ!」
のろのろとした仕草でペンケースを片付けていると、開放感に満ち溢れた涼太がやって来た。
「…うん」
「お?元気ねぇな…もしかして、あんまり出来が良くなかったのか?」
図星を突かれ頷くと、勢いよく背中を叩かれた。
「そんな時こそ遊んで発散、だろ?」
「でも…」
僕の答えなんて聞く前に、僕と朝見の腕を掴むと、急いで教室を飛び出していった。
「で…なんで俺達がこんな事につき合わされてるんだ?」
「まあまあ、気にすんなって」
呆れ顔の朝見なんか無視して、涼太はショーケースの上に並べられたアクセサリーを真剣に見比べてる。
「≪遊びに行こう≫って言ったのはおまえだろ?」
「だから、それはこの後!っつーかさ、どっちがいいと思う?」
そう言う涼太の手には、オープンハートの真ん中に大粒のキラキラ石がはめ込まれたペンダントと、青い石に銀の翼をあしらったピアスが載せられていた。
「おまえにしては随分…少女趣味だな」
「ま、まあな…」
照れくさそうに笑う涼太の顔には、今度のコは真剣なんだっていうのがアリアリと浮かんでた。
「そのピアスじゃ、着る服選びそうだな…となったら、やっぱコッチかな」
朝見の指先が銀色に輝くハートを指差すと、涼太は満面の笑みを浮べた。
「やっぱそうだよな~」
「ったく、最初から決まってたんだろ?いちいち人に聞くな」
2人のやり取りは定番のコントみたいで面白かったけど、なんとなくそこに参加する気になれなかった。
好きなコの事考えて、好きなコが喜ぶ顔思い浮かべて、好きなコの為にプレゼントを選ぶなんてとっても素敵な事。
そんな素敵な事に、僕達を巻き込みながら、堂々とそれを行える涼太が羨ましかった。
「あいつ一人じゃ恥ずかしかったんだぜ…」
僕の元へやって来た朝見が小声で囁いた。
「≪遊びに行こう≫なんて口実作って、俺達を連れ出したんだ」
涼太の密かな策略を見抜きながら、ふふふと笑う朝見の横顔に、涼太の事を羨ましがっていた自分が少しだけ恥ずかしくなった。
「そっか…ああ見えて、涼太って案外純情なんだね」
綺麗にラッピングされていくプレゼントを、ウキウキした様子で眺めている涼太の姿を眺めてたら、なんだスゴクおかしくなって、朝見と2人で顔を見合わせてくすくす笑ってた。
「お待たせ~ッ!」
ショップのロゴが入った袋を大事そうに抱えてる涼太を見て、僕達は笑いを堪えるのに必死だった。
「じゃ、さっさと行きますか~」
「そうしようぜ」
お店の外へ出ようとした時だった。
ブブブ…。
制服の尻ポケットに収めてあった携帯が、着信を知らせた。
「なに?」
「ゴメン、ちょっと待ってて…」
片手で謝罪のポーズをとりながら、慌てて携帯に出た途端、僕の心臓が喧しいくらい騒ぎ始めた。
『…もしもし、山郷くん?』
久しぶりに聞く声に、手が震えた。
『今、大丈夫?』
小さな機器を通して聞こえてくる、少しくぐもった声に、胸がぎゅっとなった。
『もしもし…?』
返事をしない僕の様子を訝しむ様に、電話の向こうで何度も『もしもし』と繰り返す声が聞こえてくる。
「…はい…大丈夫です…」
やっとの思いで絞り出した声は、恥ずかしいくらい小さくて、酷く頼りなかった。
『今日で試験終わりだよね?』
「…はい」
電話番号交換してるけど、こうやって電話で話するなんて初めてだ。
電話越しの会話は顔が見えない分、かえって緊張するって事に気が付いた。
『あのさ…』
緊張しながら交わした合田さんとの会話は、さらに僕を舞い上がらせた…。




