第21話
酸素ボンベ無しで潜水したら、このくらい苦しくなるのかな?
息継ぎの仕方が分からなくて酸欠状態になった頭に、そんな考えが浮かんでた。
唇も身体の一部。
だからキスだって、手を繋いだりするのと同じ感覚だと思ってた。
涼太が教えてくれたキスの感覚、そんなのがちょこっと上乗せされるだけだと思ってた。
キスする相手が大好きな人だったら、それにすごいドキドキ感が加わるんだろうなって考えてた。
唇を触れ合わせるだけ、たったそれだけの行為なのに、新しく知ってしまったその感覚は僕の身体をぐずぐずに蕩かしてしまう。
なんで?
どうして?
相手は朝見だよ?
頭の中を疑問符が飛び交うけれど、心地いい朝見とのキスに身を任せてみると、頭の中が真っ白になっていく気がした。
「はあ…」
朝見の唇が離れていくのと同時に身体の力が抜けて、膝からガクリと地面に落ちそうになった。
「大丈夫か?」
崩れ落ちる寸前僕の身体を朝見の腕がしっかりと支え、力ない身体を再びぎゅうと抱きしめられると、なぜかほっとした気持ちになった。
「だいじょうぶ…」
そう答える僕の声は、少しも大丈夫そうじゃなくて、微かに震えてた。
知らなかった…朝見の胸に身を委ねる事がこんなに心地良いなんて。
側にいてくれるだけ、それだけで僕の心は十分休まっていた。
だからこそ、甘えるだけの立場から卒業しようと思ってたのに、こんな居心地の良い場所を知ってしまったら、また甘えるだけのダメ人間に戻ってしまう。
揺れる気持ちで朝見を見上げると、そこには不安げな瞳をした朝見の顔があった。
「なんだろ…不思議なカンジ」
徐々に力の戻ってきた指先で朝見の制服の裾を掴むと、自立できる体勢をとった。
「不思議って…何が?」
「僕さ、今迄キスしたことないって言ったの覚えてる?」
「ああ…」
「それなのに…なんでだろ?知ってるんだ…この感覚…」
じいと見つめた視線の先で、朝見の瞳が一瞬揺れたような気がした。
「それとね…朝見に抱きしめられるのも、キスされるのも、ちっとも嫌じゃないんだ…」
「……」
「おかしいでしょ?僕には好きな人がいるんだよ?それなのに…」
身体に回されていた腕が解かれ、そのまま両手が肩にかけられた。
「勘違いだろ?」
それまで密着していた身体をぐいと引き剥がされると、2人の身体が離れていく分だけ寂しさが生じていく気がした。
「勘違い?」
「そう、勘違いだ…今でも俺がおまえを好きなのは変らない、そんな気持ち込めて抱きしめてるんだから、嫌だって感じるはずないだろ?おまえは俺のそんな気持ちにちょっと同調しただけ…それだけだ」
「…同調?」
「キスだって同じだ…まあ、キスが嫌じゃないって感じたのは、俺が上手かったからってのもあるんだろうけどな…」
そう言って得意げな笑みを浮かべた朝見の顔はどこか嘘臭くて、なんだかはぐらかされてる気がした。
僕への気持ちを押し隠して、ずっと僕を見守ろうとしてくれた朝見。
どれだけ苦しい気持ちでいたんだろう?
この先もずっとそんな気持ちで僕を見守っていくつもりなの?
朝見の気持ちを知りながら、それでもこの関係を続けていくのはお互い辛くなるだけじゃないの?
同調…朝見は外れてしまった箍を戻すため、そしてこの場を取り繕うため、そんな言葉で全てにカタを付けようとしている。
だったら僕もその言葉に乗るしかないよね?
「そっか…そうだよね、うん、そうかも…」
「だろ?先にキスしといて言うのもなんだけど…俺とのキスなんか忘れちまえ、おまえが一番好きなヤツとするキスが最初のキスだって思えばいいんだ」
僕の言葉を受けて満足そうに笑う朝見の顔を、複雑な気持ちで見つめていた。
≪親友≫なんて言葉で括ってしまうには、あまりにもちぐはぐで不安定な僕達の関係。
この先僕達の関係はどうなっていくんだろう?
「はぁ~、授業戻りたくねえな…」
再び大空を仰ぎ見ながら、そんな事を呟く朝見。
「そうだね…」
僕も同じ様に大空を見上げた。
雲ひとつ無い青空を眺めている僕の心の中は、不安、切なさ、寂しさ、愛しさ…色んな気持ちがごちゃ混ぜに渦巻いていて、まるで嵐が訪れる直前の酷く不安定な空みたいな状態だった。
朝見の気持ちと、僕の気持ち。
想いの先は違っても、抱えた気持ちは同じはず。
同調…シンクロ…多分そう。
熱い瞳で見つめられた。
抱きしめられた瞬間、2つの気持ちが重なった。
優しく抱きしめられて、キスされた。
触れ合った肌を通じて、朝見の気持ちが入り込んできた。
それが大きなうねりとなって、僕の心を揺さぶった。
僕に施される行為全てに、朝見の気持ちがこもってた。
あの瞬間、僕は朝見に恋をした。
大好きだって思ってた。
でもそれは、朝見の気持ちに≪同調≫しただけなんだよね?
その場の雰囲気に流されただけなんだよね?
だけど、そう簡単に割り切る事が出来ないんだ。
≪同調≫という言葉で片付けてしまう事が出来ないんだ…。
キスする事の嬉しさや、抱き合うことの心地良さ。
新たに知った感覚は、僕の記憶にしっかりと焼き付けられた。
きっと朝見も同じだと思う。
ううん、もしかしたら僕以上かもしれない。
だから分かるんだ…。
このキスはきっと、今迄以上に朝見を苦しめてしまう。
もっと辛い思いをさせてしまう。
でもね、僕はそんなの望んでない。
出来る事なら朝見には、ずっと側にいて欲しい。
いつでも側で笑っていたい。
そんな風に考えるのは、僕の我儘だって分かってる。
驕りだって知ってる。
だから僕は決めたんだ。
この気持ちが何なのか、ちゃんと突き止めてみせるって。
突き止めた上で、きちんとけりをつけるって。
それがどんな結果を招くか分からないけど、最後は胸張って朝見の横に並ぶんだ。
…『ここまで来れたよ』って笑いながら。
「そろそろ教室戻ろっか?」
どのくらいこの場所にいたんだろう?
風に吹かれ続けた肌はすっかり冷えてしまい、新たに吹き付けてくる風にぶるりと身を震わせると、肌がざわりと粟立った。
「そうだな…」
僕の言葉に、朝見がのろりと歩き出した。
僕から視線を逸らしながら…。
朝見と僕は恋人同士じゃない。
だけど、僕にとって朝見は一番大切な存在。
失いたくない存在。
このまま気まずい雰囲気を引き摺れば、前回みたいに…前回以上に拗れた関係になってしまうかもしれない。
…僕が動かなきゃ。
「競争しよ!」
ニコリと笑いながら、『いつも通り、いつも通り』と自分に言い聞かせる。
「え!?」
呆然とする朝見の腕を取ると、一気に階段を駆け上がった。
「先に教室着いたほうが勝ちだからねッ」
「マジかよ…」
「マジッ!」
非常口から校舎へ入ると、どちらからとも無く全速力で駆け出していた…。




