第2話
僕の通う学校では、体育館やグラウンドなどの施設を、中学校から大学まで共有で使用する為、体育の授業がある日は高等部の校舎から離れたその場所へ移動しなければならない。
「面倒臭いなあ…」
ジャージを身に纏い、体育館用シューズ片手に体育館へ向かっている途中、中庭を歩く合田さんの姿を見つけた。
同僚らしき女性と親しげに会話を交わしながら歩く合田さんの腕には、今にも崩れ落ちそうなほど沢山の本が抱えられていた。
「ホント困った人ですよ、中村教授って。返却延滞の常習犯なんだから!しかも自分じゃ絶対に図書館へ返却しに来ないし…」
抱えた本に顔を半分埋めながら、女性がぼやいている。
「仕方ないよ、中村教授も今年で還暦なんだから、少しは労わってあげなくちゃ。それに、積み上げた本の山が雪崩を起こして、破損する前に回収出来ただけでも良かったと思わなくちゃ」
沢山の本を涼しい顔で抱えた合田さんは、ぼやく女性を宥めるようにやさしく微笑み掛けていた。
「合 田さんてば、優しーんだ。そんな風に優しくするから教授達にこき使われちゃうんですよ!教授が相手だからって気を遣わず、もっと毅然とした態度で接しても いいんですよ。それに、合田さんは図書館唯一の若手男性職員なんだから、他にもやって欲しい仕事もあるんです。教授の本は、ゼミ生でも使って返却して貰い ましょ」
二人のやり取りは、手に持った本のせいで聞き取ることが出来ないけれど、大量の本を抱えて歩く姿に、『図書館って、実は力仕事もあるんだ…』なんて新たな発見をした気分だった。
僕なんかじゃとても持ちきれそうにない量の本を手にしながら、それを苦も無く運ぶ合田さんは、本を運ぶことに集中しているのか、それとも女性の話を聞くのに忙しいのか、すれ違う僕に気付く事はなかった。
「なあ、今の見た?」
すれ違った二人の姿を目で追っていると、不意にクラスメイトの涼太に話し掛けられた。
「何を?」
涼太と同じく、クラスメイトである朝見は、涼太の話に興味が無いらしく、気の無い返事をしている。
「今の二人、なんか終わってるってカンジじゃねぇ?女の方なんかさ、髪振り乱しちゃってるし、化粧も服装もヤバイよなー。あれって絶対、男と付き合った事無いぞ。ああいう女は確実に処女だな。しかも一生独身だったりして、ぷぷッ」
「ふッ」
「ひどッ」
涼太の失礼過ぎる発言に、僕と朝見は思わず吹き出してしまった。
確かに、すれ違った女性は地味な茶色のタイトスカートに飾り気の無いカットソーと、よく見なければ分からないほど薄い化粧を施している姿がいかにも、≪学校の職員≫という雰囲気を醸し出していた。
派手目で強目な年下が好みの涼太にしてみれば、学校の職員なんて恋愛どころか興味の対象にすらならないと思う。
そもそも学校で働いている人達は、僕等より10歳以上離れていると思うから、僕から見ても恋愛対象外ではあるけれど…。
「んー、いいんじゃねえの?別に興味ねーし。つうか、学校で働いてる女が涼太好みだったら、逆に引きまくりだろ?」
朝見は涼太の発言に笑いを漏らしながらも、もっともらしい事を指摘した。
もしも涼太好みの派手目な女性が職員だったら、仕事そっちのけで服装や髪形ばかり気にしてそうだし、そんな大人って信用できない気がする。
「一緒にいた男も微妙だったな。スーツはまあ良かったけど、銀縁メガネはナシだろ?オレならもっと太目のフレームとか、細めのレンズとか選ぶのになぁ」
それはファッションでかけるメガネであって、仕事用じゃないだろ?
それに、一日中そんなメガネ掛けてたら、鼻の付け根が痛くなりそうだよ。
っていうか、何で涼太は、いちいち他人にケチを付けたがるんだよ。
「むっ… そうか?ああいう格好の方が、学校で働いてるってカンジだし、落ち着いてるし、大人っぽいし…あれはあれでカッコいいと思うぞ…」
恩人のことを涼太に悪く言われ、僕は内心ムカついていた。
「ふーん、皐月はああいうのが好みなんだ」
ムッとむくれる僕に、ニヤリ、意味ありげな笑みを浮かべた朝見の言葉の意味も分からないまま、僕はこくりと頷いた。
「俺も皐月の意見に賛成だな。あの人達はショップの店員じゃないんだから、あのくらい地味目の方がいいと思う」
僕の意見に味方してくれた朝見の顔には、何故かニヤニヤ笑いが張り付いてる。
「なんでそんなニヤついてるんだよ?何か変な事言った?」
「いいや、何にも…。ま、いいんじゃないか。皐月の好みはクールな大人って事だろ?」
そうだよ朝見!
一見地味に見えるけど、合田さんて近くで見たら、ホントはかなりのオトコマエなんだぞ。
ああいうのをクールビューティって言うんだろうな…知的な感じの良さが分からないなんて、涼太もまだまだ子供だよ。
心の中で恩人である合田さんを一生懸命褒めまくっていると、僕の一人百面相に朝見が気が付いた。
「皐月、鼻の下伸びてるぞ…」
「へ、鼻の下…?」
朝見の言葉に鼻の下を触ってみたけれど、特に変わった様子はなかった。
「どういうこと?」
「ふッ…自覚がないならいいよ」
またまた意味ありげに笑う朝見を訝しげに見つめていると、始業のチャイムが聞こえてきた。
「ヤバイ、遅刻!」
鳴り響くチャイムに煽られながら、僕達は体育館に向かって走り出した…。
今日の体育はバスケだった。
僕は体育館の壁に寄り掛かり、自分の番が来るのを待ちながら、奮闘するクラスメイトを眺めていた。
そんな僕の横には、隣のコートでボールを追い掛ける女子達をイヤらしい目つきで見ている涼太がいた。
「うは、いい眺めッ」
だらしなく鼻の下を伸ばす涼太の姿を見ていると、ムカムカとした気持ちが湧いてくる。
…涼太みたいなヤツが、碌にスーツも着こなせないチャラチャラした社会人になるんだよ。
床に腹ばいになった涼太を睨み付けていると、すぐ脇に腰を下ろす人の気配を感じた。
「さーつきちゃん、そんなにピリピリしてたらせっかくの美人が台無しだよ」
声の主は朝見だった。
「なんだよ、美人って…」
「ふふ、お前自覚無さ過ぎだ…。自分の顔、鏡でもっとよく見てみろ」
そう言って笑う朝見は、人差し指で僕のおでこをついと押した。
「はあ…?」
「去年だけで、何人に告られたんだ?」
高校に進学してからの1年間で、僕は8人の女の子に告白された。
そのうち学内の子が5人、学外の子が3人。
そんな僕だけど、17年間の人生で付き合った人数は0人。
素性も名前も知らない相手に告白されても、嬉しなんて思わないし、それどころか、逆に『ストーカーか!?』って思ってしまう。
だってそうでしょ?
1度も話した事が無い僕の、何を知っていると言うんだろう?
そんな僕の、どこを好きになったわけ?
『前から好きでした』、『一目惚れです』…。
告白される度耳にしてきたその言葉は、僕にとっては理解不能で、とても気味の悪いものに思えた。
無理矢理押し付けられる気持ちにうんざりしていた僕は、ある事を決めていた。
それは…もしも誰かと付き合うとしたら、自分から好きになったヒトがいい。
そんな人が出来たら、いきなり告白するんじゃなくて、徐々に距離を近付けいきたい…と。
僕はそんな自分の恋愛感を、涼太と朝見に話したことがある。
そしたら涼太は、『とりあえず付き合っちまえ、気持ちは後からついてくる』なんて言ってきた。
つまり涼太は、来るもの拒まず、去るもの追わず…告白されたらとりあえず付き合ってみるタイプらしい。
一 方朝見はというと、『皐月は今迄本気で人を好きになった事が無いんだろ?だからそんなこと言えるんだよ。ホントに好きな人が出来たら、お前だって告白して くる女の子達と同じ様に、周りが見えなくなっちまうぞ。ほら、恋は盲目…って言うだろ?』なんて、僕の子供じみた理想をやんわりと否定しながらも、ちゃん とアドバイスをしてくれた。
チャラチャラした涼太と違い、どこか大人びた雰囲気を持つ朝見の態度と言葉に、僕はホントに好きな人が出来たら、朝見に相談しようと思った。
「ピーッ!」
ホイッスルの音が、目の前で行われていた試合の終了を知らせた。
「皐月、涼太、出番だぞ」
床に腰を落ち着けてしまっている僕達に、朝見が声を掛けてきた。
「うん…」
僕は胡坐をかいていた姿勢から立ち上がり、うーんと大きく伸びをした。
「ほらほらさつきちゃん、女子にいいトコ見せようぜ」
イヤらしい笑い顔の涼太にムカついた僕は、試合早々パスする振りして涼太の顔に思いっきりボールをぶつけてやった。
そして、僕の当てたボールのせいで鼻血が止まらなくなってしまった涼太は、試合早々保健室行きとなってしまった。
痛々しい姿に少し良心が痛んだけど、去って行く涼太の後姿を眺めていたら、僕の気持ちは清々しいものになっていった…。




