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スクール・バス  作者: 野宮ハルト
19/45

第19話


「おまえ…溜まってんのか?」

「ぶッ!!」


突然の質問に、僕は飲みかけのウーロン茶を噴出してしまった。

「なッ、なに涼太みたいな事言ってんのッ!」

涼しい顔してさらりと下品なことを言ってのける朝見の態度に、聞かれた僕の方が恥ずかしくなる。

「ばーか、何変なこと想像してんだよ!」

「へ?」

顔を赤くしながら濡れた口元を拭う僕を見て、朝見の顔に悪戯な笑みが浮かんだ。

「そっちじゃなくて、ス・ト・レ・ス!」

「ストレス?」

「そ、ストレスだよ…ったく、何想像してんだ?」

「何って…≪溜まってる?≫なんて聞くから…」

「あ~あ、純情少年皐月もすっかり色気付いちまったなぁ…」

わざとらしく溜息を吐きながら、つんとおでこを弾かれた。

「だって、変な質問の仕方するからだよ…」

むっとむくれると、『ゴメンゴメン』なんて謝りながら、クシャリと髪を撫でられた。


…冗談めかしたけど、その指摘、あながち外れていないかも。



水飛沫を上げなら軽やかにイルカたちがジャンプすると、歓声に沸く客席。

少し湿度の高い気温の中、勢い良く走り抜けるジェットコースターに、垂直落下するブルーフォール。

海を眺めながら、お腹いっぱい食べたシーフード…。

合田さんと2人だけで過ごした時間は、最初に生じた不安の分だけ、楽しみも大きかった。

楽しくて、嬉しくて、家に帰ってもその興奮はなかなか収まらなかった。


それなのに…高揚した気持ちが落ち着いていくと、心の中に、ぽかりぽかりといくつも隙間が空いている事に気が付いた。

2人だけで過した楽しかったはずの時間の中に、僕は物足りなさを感じていた。

…一体何が足りなかったの?

それが何だか分からないから、今度は心の中にもやもやとした気持ちが生まれた。


一生懸命考えたけど、結局分からないまま、昨夜はなかなか寝付くことが出来なかった。

やっと掴んだ浅い眠りを貪り、スッキリしないまま目覚めた僕は、朝一番で朝見を呼び出していた。



「で…少しはスッキリしたのか?」

決して座り心地が良いとはいえないカラオケ屋の粗末なソファに、足を組みながらゆったりと腰掛けている朝見。

「うん…まあ少しは…」

日曜日の朝10時からカラオケ行って、ノリノリ発散系の曲をたて続けに5曲も歌っておいて、スッキリしないほうがどうかしてる。

「少しは…か…」

端から歌う気がないのか、朝見は掌の中でリモコンを弄びながら呆れたように笑ってる。

「だってさ…」

そこまで言い掛けて、僕は口を噤んだ。


ダメだ…これ以上喋ると愚痴になる。

僕の事を好きだと言ってくれた朝見の前で、他の人…僕の好きな人…と過ごしたデートの愚痴なんて言えるわけない。

吐き出しかけた言葉をぐっと飲み込むと、次の曲を選ぶフリして視線を逸らした。



「で…何が気に入らないんだ?」

「え…?」

そうだった。

どんな事だって、朝見には全部お見通しなんだ。

朝見の前で嘘や隠し事なんて出来っこないんだ。

そんなの重々承知しているくせに、こうやって朝見を呼び出してる僕って…酷いヤツ。

「それは…」

朝見は優しい、優しすぎるんだよ…。

≪何でも聞いてやるぞ≫って顔して微笑まれると、全部話したくなるじゃないか。

できるだけ、朝見の前で合田さんの話題は避けよう、なんて自分の中に引いておいた境界線をあっさり超えてしまいそうになる。


だけど…日曜の朝一から呼び出しておいて、不満アリアリな態度見せ付けておいて何も言わないって言うのも…なんだかアレだよね…。

「聞きたくなかったら聞き流していいからね…今から言うのは独り言だから…」

そうやって、いつもみたいに朝見の優しさに流されてる僕がいた。



片思い中の彼の車で出掛けて、水族館と遊園地を満喫して、一緒にご飯食べて、最後は家まで送ってもらって…まさにデートの王道だった。

そうやってスゴク幸せな時間を過ごせたはずのに…何かが足りないんだ。

何かが足りないのっていうのは分かるのに、その何だか分からない。

分からないからもやもやしてきて、イライラする。

イライラするから、発散したくなる。


「なんかね…せっかく2人きりで過ごせたのに…楽しかったのに…何かが足りないって感じちゃうんだ…」

朝見の顔を見るのが怖くて、自分のつま先をじっと見つめてた。

「僕じゃない誰かとあの場所へ行った事あるんだって感じたら、すごく悲しかった…。朝見と一緒だったらもっと楽しかったかも、なんて考えてた…。男同士で歩いてたら、急に周りの視線が怖くなった…何でなんだろ?何がいけないんだろ?」


独り言だなんて言っておきながら、最後は質問までしてた。


「≪友達≫から始めるんだろ?今更だけどさ、年が離れてる人と友達になるのってそんな簡単じゃないと思うぜ…意気投合して仲良くなるのとワケが違うし、今回の場合特に、おまえの恋愛感情も絡んでるわけだし…」

焦っても仕方ないだろ?なんて言いながら、テーブル越しに伸びてきた手が僕の頭にぽんと置かれた。

「無理に合わせようとするから難しくなるんだろ?」

「…うん」

「もう少し気楽に行こうぜ…」

頭に置かれた朝見の手は、暖かくて、大きくて…僕の心はその感触に励まされ、慰められた。



いつも、どんな時でも、僕の事を支え、助けてくれる朝見の優しさは、綿あめみたいにふわふわ甘くてクセになる。

これ以上甘えちゃいけないって思っても、結局今の僕が頼れるのは、朝見しかいないんだ…。






梅雨明けと同時に始まった連日の夏日。


かんかんに照り付ける太陽は、ぐんぐん気温を上げていき、狭い教室に詰め込まれた生徒達は蒸し風呂のような熱気に辟易しながら、ぼんやり授業を聞いている。

開け放たれた教室の窓から覗く青空は何処までも澄んでいて、既に夏が始まっていることを知らせてくれる。


「はぁ…」

からりと晴れ上がった空を見つめて溜息一つ…。

7月に入ったというのに、僕の心は相変わらず梅雨のまま。

じめじめじとじと…ちっともスッキリしてくれない。

どんより、不幸満載のオーラを纏ったまま机に突っ伏した。


「おい皐月ッ!いい加減、溜息ばっかり吐いてんなよ、こっちまで気が滅入ってくるだろ」

次の授業の宿題を写していた涼太が、腑抜けた僕の頭をノートの角でこつんと叩いた。

「イタッ!」

「イタッ!じゃねえよ…ったく、ココ間違ってんぞ」

「…ホント?」

涼太に指摘された箇所を書き直しながら、無意識にまた一つ溜息を吐いていた。

「おまえさぁ…最近おかしくね?朝見とはとっくに仲直りしたんだろ?今度は何を悩んでんだ」


一見チャラチャラとした軽い男に見えるけど、案外涼太は面倒見が良いんだ。

こじれていた僕と朝見の関係を修復するのに一役買ってくれたのも涼太だったし…。


「朝見とは何も無いよ、今迄通り仲良くやってるし…」

仲良くっていうよりも、むしろべったり甘えっぱなしって言った方が良いかも。

「じゃあ何なんだよ?まさか…とは思うけど、おまえ恋でもしてるのか!?」

涼太の言葉に、僕はうっと言葉を詰まらせた。


ピンポーン!その通り!大正解!

っていうかさ、恋愛百戦錬磨って自負してる割に、気が付くの遅くない?…涼太って。


「そういや、今迄聞いたこと無いよな?皐月が誰かを好きになった、なんて話」

「そうだっけ?」

「まさか…と思うけどさ、この年で初恋とか言い出すんじゃねえだろうな?」

鈍感なのか敏感なのか、涼太の質問は的を得ていたり外れていたり…。

「べ、べつに…恋とかしてないし…っていうかさ、早く写さないと休み時間終わっちゃうよ」

自分でも笑っちゃうくらいしどろもどろになりながら、何とか話を逸らそうとした。

「怪しーな、その慌てぶり…で、誰なんだ?相手は…」

一旦興味を持ったら、涼太はなかなか食い下がらない。

「だからさぁ、そんなんじゃないってば…」

嘘吐くのは得意じゃないんだ…このまま問い詰められたら、そのうちボロが出ちゃうよ。

「おまえが好きになったヤツって誰なんだ!?あーッ、気になるだろッ!!誰にも言わないから教えろよッ」

涼太としては密談のつもりみたいだけど、『おまえが好きになったヤツ』なんて大きな声で叫ぶから、教室中の視線が僕達に集まってるのが分かる。


確かに涼太の言うとおり、僕は誰かをちゃんと好きになったことが無いから、そんな話をしたことがなかっただけ。

だからって、そんなに珍しがらなくてもいいんじゃないのかな?

今迄涼太の恋愛話なら散々聞いてきたけど、こういう話って自ら進んでするものじゃない気がするし、まして僕が好きになった人の話なんて…そう簡単に出来るわけないよ。



「なーあ、教えろってば!」

「もう、しつこいってば…」


残り少ない休み時間、宿題の事などすっかり忘れ、ひたすら僕を質問攻めにしてくる。

面倒見の良い所が涼太の長所だとすれば、必要以上に干渉してくるのは短所かも…。

一生懸命はぐらかしても、口下手な僕じゃ涼太の攻撃をかわしきれない。

このままじゃ、本当のこと吐露してしまうのも時間の問題かも…なんて不安になってくる。


「おい涼太、その辺にしとけよ…」

白旗を揚げそうになった僕に助け舟を出してくれたのは、やっぱり朝見だった。

「お、朝見~ッ!おまえ知ってんだろ?皐月の好きなヤツ!」

「皐月の好きなヤツ?初耳だな…おまえって誰か好きなヤツいたっけ?」

そんなヤツいないよな?って顔して聞いてくる朝見の表情は完璧。

「うん、いないよ…」

「だよな」

僕の恋話で一人盛り上がっていた涼太は、有無を言わせない朝見の態度と声に、あっという間に大人しくなってしまった。


…上手くできたかな?


タイミング良く入ったフォローに感謝しつつ、そっと朝見を見上げると、静かに涼太を威圧する朝見の横顔が見えた。

そんな朝見を見てるだけで、僕の不安は嘘のように消え去ってしまう。


「なんだ、本当にいないのかよ…あんまり動揺するから、てっきりいるのかと思ったよ」

「おまえがしつこく聞くからだろ?あんまり皐月を苛めるなよな」

「そっか…悪かったな、皐月」

怒られた後の犬みたいにしょぼんと項垂れると、涼太は黙って宿題を写し始めた。

「べつにいいよ…」

その姿に、僕はほっと胸を撫で下ろしていた。



「皐月…ちょっといいか?」

「なに?」

残り少ない休み時間、朝見に促されるまま僕達は教室を後にした…。


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