表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スクール・バス  作者: 野宮ハルト
17/45

第17話


暑苦しいブレザーを脱ぎ捨て、ワイシャツにネクタイという軽装に衣替えした僕達。

だけど可愛そうな大人達は、相変わらず暑苦しいジャケットにネクタイという姿で、湿気と熱気のたっぷり詰まった車内でじっくり蒸されている。


そんなサウナみたいな電車内の一角に、僕のオアシスある。


毎朝同じ時間、同じ電車の車両に乗り込むと、つり革を軽く握りながら読書に耽る合田さんの姿が見える。

その姿を見つけたら、他人の迷惑なんてお構いなし、僕は合田さんの元へと突進していく。


「おはようございます!」

「おはよう」


隣に滑り込むと、合田さんは栞を挟んで本を閉じ、鞄の中へとしまいこむ。

会う度に繰り返されるのその仕草、繊細で流れるような指先の動きは何度見ても僕を虜にするんだ。

さっきまで本を持っていた手が体側に添って下ろされる所まで見届けていると、くすり、合田さんの笑い声が聞こえた。

「面白い?いつも見てるよね」

こっそり見てるつもりだったのに…バレバレな自分の行動に顔が赤くなる。


こうやって意識して見てる時もあるけど、無意識のうちに合田さんを目で追ってしまうことも多いんだ。

これってさ、僕の習慣て言うよりも、本能みたいなものかもしれない。

だってさ、体が勝手に反応するんだもん、仕方ないよね。


「面白いっていうか…合田さんて、動作が綺麗なんですよね・・」

「綺麗?」

「はい、何て言うかその…男の人のガサツさがないっていうか…」

「ふふ…ありがとう」


夏に向けて衣替えをするように、合田さんの纏っていた香りが変った。

僕の大好きだった香り…ふわりとやさしく漂う花のような香りは、夏の到来を感じさせる涼しげで爽やかなものへと変った。

初めはなかなかその香りに馴染めなかったけど、時間が経つにつれ、徐々に馴染みの香りへと代わっていった。

それと同様に、合田さんの隣に立つだけで精一杯だった僕も、気が付けば自然と会話が出来るようになっていた。


あの告白から暫くは、合田さんを前にすると妙に舞い上がってしまって、声が上ずったり、ちゃんとした会話が出来なかったりして、恥ずかしい思いをたくさんしてきた。

だけどもう、合田さんの隣にいるだけで胸が苦しくて仕方ないっていう事はなくなった。

だけど、揺れる車内でお互いの身体が触れ合ったりすると、おかしなくらいドキドキしちゃうけど、それは緊張や病気なんかじゃなくて、嬉しいドキドキなんだって分かった。

恋愛初心者の僕だって、ちょっとずつ成長してるんだ。


そういえばこの前、『おまえ達ってどうなってるワケ?』なんて朝見に聞かれたけど、相変わらずこの時間だけが僕と合田さんを繋いでくれる貴重な時間…。

≪ お友達≫なんだから、どこか遊びに行って来いって言われた。

ちょっとだけ近付いた様で、実はちっとも埋まらないこの距離を何とかしたいのに、その方法が分からないから何だかもどかしくてスッキリしない。



「7月に入ったら期末だよね?」

電車からバス乗り場へ向かう途中、そんな事を聞かれた。

「はい、第2週が期末試験期間ですけど…」

僕の答えに暫し考え込んでいた合田さんがニコリと微笑んだ。

「じゃあさ、6月中にどこか出掛けようか?」

「え!?」

僕の心を読んだかのようなお誘いに、僕は驚きと共に固まってしまった。

「試験前は忙しいのかな?」

「い、いえ…全然忙しくありません!」


天にも昇る気持ちって、こういう状態なのかもしれない。

臆病者の僕にそっと手を差し伸べてくれた合田さん。

そんな合田さんの優しい気遣いに感謝しながら、足取りも軽く学校へ向かった。



『6月中にどこか出かけようか?』なんて誘われた。

お互いの予定を確認し合い、都合がついたのは翌週の土曜日。

待ち合わせは、僕の家の最寄駅前ロータリーに10時。

何着ていこうかな…なんて散々迷った挙句、デニムにTシャツ、その上にシャツを羽織っただけという普通の格好で落ち着ついた。

女の子じゃないからこれといった持ち物もなくて、財布と携帯を尻ポケットに突っ込むと手ぶらで家を出た。


『車で迎えに行くからね』なんて言われたけど、うっかり車種まで聞くのを忘れてしまった。

仕方ないから、車の出入りが確認しやすい場所に立ち、合田さんが来るのを待っていた。


暫くすると、白い車体のレガシィが僕の前で停まり、助手席のウィンドウが開けられた。

「ごめん、待った?ギリギリ遅刻だね」

運転席から身を乗り出した合田さんがちょっと照れたように笑うから、つられて僕も笑った。

「大丈夫です、僕もさっき来た所です…」

「良かった!じゃあ乗って」

助手席のドアを開け身体を車内へ滑り込ませると、車の中全部合田さんの香りに満ちていた。


普段かっちりしたスーツ姿の合田さん、私服はさりげなくオシャレだった。

ボーダーのポロシャツに黒のチノパン、ポロの裾から差し色のTシャツがさりげに覗いてるし、いつもと違う太めのフレームのメガネがさらに印象を違ったものにしている。

スーツ姿もカッコいいけど、こんなラフな格好もカッコいいなぁ、なんて思わず見惚れちゃう。

そういえば僕って家族や親戚とか、いわゆる身内が運転する車以外乗った事ないんだよね。

身内以外、しかも合田さんが運転する車に乗っちゃった…思わぬ初体験に、まだ出発してもいないうちから僕の心臓は思い切り跳ね上がってしまった。


無駄な芳香剤や装飾のないシンプルな車内には、適度に音量を下げた音楽が流れている。

「さて…どこに行こうかな?」

シートベルトで押さえられた身体を捩り、少しだけ僕のほうへ近付いて来る合田さん。

外から遮断された空間の中に二人きり、しかもここは合田さんのプライベートな空間…そんな事考えたら、頭の中が真っ白になって、緊張してきて口の中がカラカラになってきた。

「えっと…」

やっとの思いで搾り出した声は掠れてて、緊張してるのが丸分かり。

「ふふ…じゃあ海でも行こうか」


合田さんと一緒ならどこだっていい、そう言いたかった。

だけど今の僕にはそんな事言える余裕なんか無くて、黙ってこくこくと頷くのが精一杯だった…。






梅雨の合間だというのに、今日の空はどこまでも青く澄み渡っていて気持ちがいい。

目的地へ向かう車中、僕達はポツリポツリとお互いの事を話し出した。


合田さんは現在25歳で一人暮らし、お姉さんと2人姉弟で、実家ではゴールデンレトリバーを飼っている。

一人暮らしが寂しくて、本当はペットを飼いたいんだ、なんて言っちゃうところがちょっとかわいい。

普段は学校と家を往復するだけの生活だけど、たまに同期の人や、大学時代の友達と飲みに行ったりする事もあるらしい。

休日はもっぱら読書やDVD鑑賞、気が向いたら買い物、誘われたら友人と遊びに行くこともあるみたい。

僕はといえば、部活に入っていないから遊ぶ時間はたっぷりある。

だから持て余した時間のほとんどを、ぐだぐだと下らない話に費やしたり、ゲーセンやカラオケで騒ぐ事に費やしたりしている。


余暇の過ごし方ひとつとってみても、合田さんは大人で僕は子供だな、なんて違いを感じた。


それでももっと合田さんの事が知りたくて、色んな事聞いてみた。

そうやって話せば話すほど、僕達の間には共通の話題が無いって事に気付かされた。

8歳の年齢差…僕が生まれた時合田さんは小学校2年生で、僕が小学校2年生の時合田さんは中学3年生…。

今更この年齢差を埋めることはできないけど、遅く生まれてしまった自分がちょっとだけ悔しいって思った。



湾岸線から国道へ下りると、少しだけ渋滞してた。

「ベタな選択でゴメンね…」

目的地を示す看板を指差しながら、合田さんが苦笑した。

そこは水族館と遊園地を併設した有名なデートスポット。

でもそこって、男同士で来るにはどうなんだろ?なんて思った。


ああ、そうか…。

僕は男の人に恋してるんだ…。

もしこのまま、合田さんが僕の恋人になってくれたら、恋人同士で出掛ける様な所に行くことだってある得るんだ。

だから今日の選択だって、おかしくないんだって自分の考えを正してみた。


駐車場に車を停め、園内へと続く階段を上っていく。

運河を渡る桟橋を歩いていると、海から吹き付けてくる潮風が髪を揺らした。


「観る?それとも遊ぶ?」

ガイドマップをバラリと広げ、綺麗に整えられた指先が様々なポイントを指し示していく。

『遊ぶ?』なんて聞かれたら、お子様に見られてる気がしてちょっと辛い。

「シロイルカが見たいです…」

「じゃあ先に水族館だね」

手にしたガイドマップを畳むと、合田さんは水族館がある方へ向かって歩き出した。

躊躇することなく歩みを進める後姿に、僕の胸がキシリと音を立てた。

『そっか、前にも来た事あるんだ…そうだよね…』

半歩後ろを歩きながら、僕は見たことも無い相手に嫉妬してた…。



天井まで続く大きな水槽の中に再現された小さな海の中では、魚の群れが忙しなく泳ぎ回り、その合間を縫う様に、ゆったりとエイやサメが泳いで行く。

大型水槽の前に設置されたベンチに腰掛けながら、僕達はしばし水中散歩の気分を味わっていた。


そういえば水族館に来るなんて、小学生以来かもしれない。

分厚いガラス越しに愛らしい海の生き物達を眺めていると、ふつふつと湧き上がったどす黒い気持ちが癒され、薄らいでいく。

『ベタな選択でごめんね』なんて言われたけど、こうやってボケッと水槽を眺めている間はムリに話をしなくて済むし気が安らぐから、内心この選択をありがたく思っていた。


学校以外で合田さんと会うのはこれが初めてだから、『出掛けよう』って誘われた時は嬉しくって、舞い上がって、その日の授業なんか全然耳に入らなかった。

何しようかな、どんな事話そうかなってずっと悩んでたのに、いざ2人きりになってみると、こっそりシュミレーションしてきた会話なんて1個も出来なかった。


水槽の中を動き回る魚達を指差しながら、『かわいいね』とか『面白いね』なんて言う合田さんの言葉に、『はい』とか『そうですね』なんて言って頷くことしかできない自分がすごくもどかしい。


友達から始める関係とはいえ、僕にとってはこれが人生初のデート。

だからいっぱい想い出作りたいし、思いっ切りはしゃいだり騒いだりしたい。

なのに合田さんを前にすると、借りてきた猫みたいに大人しくしている事しか出来ない僕。


友達同士ってさ、こんな場所に来たらもっと楽しく過ごすよね?

一緒にいるのが朝見だったら、今頃水槽見ながら色んな事言い合って、大騒ぎしてるはず…。


そんな風に出来ないのは、やっぱり僕と合田さんの中にある気持ちが違うからなのかな?

僕の告白を聞いた上で、お互いを知る為にと≪友達≫から始めることを提案してくれたのは合田さん。

そして、それに同意したのは僕なのに、1分1秒でも一緒に過ごせる時間が増えるならそれでいい、そう思ったはずなのに…。

楽しみだったはずの時間が、苦しく感じるのはどうしてなの?


せっかく2人きりになれたんだから、もっと楽しまなくちゃ…。

ついついネガティブな方向へ行きがちの思考をなんとか修正しようと、心の中で必死に格闘していた。



「飽きちゃった?」

俯いてしまった僕の顔を、心配そうに合田さんが覗き込んできた。

「いいえ…」

まただ…こうやって話掛けてもらってるのに、そこから会話が進まない。

合田さんの側にいるだけでドキドキしたり、苦しくなったりしてた自分はどこへ行っちゃったんだろう?

『一緒に出掛けよう』って誘われた時から感じていたあの高揚感はどこへ行っちゃったんだろう?

「そろそろ移動しようか?」

先に腰を上げた合田さんにつられ僕も立ち上がると、ドーム型になった水槽を通り抜けるエスカレーターへと向かった。



「ほらシロイルカ…」

白い壁とガラスだけという無機質な水槽の中から、来館者に向かって愛嬌を振りまいている姿が見えた。

厚いガラスに両手を当てながら、優雅に水中を舞い泳ぐ姿を眺めていると、一頭のシロイルカが僕の前へやって来た。

「うわ、山郷くん気に入られたんだね」

僕の前で静止してるシロイルカを見つめながら、合田さんが楽しそうに笑ってる。

「そうなんですか!?」

「そうだよ、誰の前にでも来るわけじゃないんだよ」

「へえ…」


ほらね、やっぱり来た事あるんだ…僕の知らない誰かと。

僕達は≪友達≫なんだから、合田さんがどこへ行こうと、誰と行こうと関係ないはず。

そう思わなきゃいけないなのに、一番最初にここへ連れてきてもらったのが自分じゃないって分かった途端、バカみたいに凄い独占欲が湧いてきた。

そんな事考えてる自分が虚しくて、悲しくて、鼻の奥がツンとした。

『…ああ、だめだ』

溢れそうになる涙を悟られないように、顔を水槽に近づけた。


まるで泣き出しそうな僕に気が付いたみたい…シロイルカは僕と視線を合わせると、小さく数回頷いた。

『分かってるよ…だから泣いちゃダメ』

まるでそんな風に言ってくれてるみたい。

『大丈夫…』

僕も同じ様に頷き返すと、安心したように再び水の中へと泳ぎ去ってしまった。


「なんかさ…会話してるみたいだったね、イルカと」

泳ぎ去ったイルカを目で追う合田さんの言葉にドキリとした。

イルカに心を読まれた上に、慰められた…なんて言えないよね。


会話に行き詰っても誰も助けてくれないから、合田さんと2人きりになるの、ホントはちょっと心細かった…。


「そうですか?本当に会話できたらいいですね…」

そんな状況で出会ったかわいらしい味方に、僕は自然と笑みを浮かべてた。

「ああ、やっと笑ったね…」

ほっと溜息を洩らしながら、合田さんが安心したような表情を浮かべた。

「山郷くん、車の中からずっと笑わないから、どうしようかと思ってた…」

「え…?」

「いつもみたいに笑ってくれないから…正直不安だった」

ふふっと笑いながら伸ばされた合田さんの手が、僕の頬を軽くなぞった。

一瞬だけ触れ合った肌の温もりと合田さんの言葉に、醜い感情で閉ざされていた僕の心が開いていく。

「緊張してたんです…」

本当はもっと色んな感情が渦巻いていた。

だけど、その一言で自分の気持ちを整理してしまうと、意外と簡単に気持ちが軽くなった。


ああ、僕ってホント単純だな…そんな自分の思考回路に笑ってしまった。


イルカのショーも見て無いし、ジェットコースターも乗って無い。

それどころかお昼ご飯だってまだ食べていない。

せっかく2人きりになれたんだから、この時間を楽しまないと…。


「もう緊張は解れた?」

合田さんの表情もなんだか柔らかくなった気がする。

「はい!」

「じゃあ次はイルカショーでも見に行こうか?」

「行きます!」



弾む声で答えると、イルカショーが行われるアクアスタジアムに向かって歩き出した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ