第15話
パーテーションで囲われただけの空間…。
なのに、まるで密室に閉じ込められた様な閉塞感を感じて苦しくなる。
「この前はごめんね」
「え?」
綺麗なアーチを描く合田さんの眉が僅かに歪んだ。
「ちゃんと話を聞いてあげなくて…」
「……」
なんで合田さんは謝るんだろう?
ちゃんと話さなかったのは僕のほうなのに…僕には、謝罪の意味が分からなかった。
ホントは、僕の方から合田さんを呼び出すつもりだった。
合田さんに会って、気持ちを伝えて、そして…自分の描いていたものと違う展開に、僕は戸惑いを隠せずにいた。
「あれから色々考えたんだ…」
メガネの奥から真っ直ぐに見つめてくる瞳が瞬くと、もやもやとした不安の塊が胸ので渦巻いていく。
「勘違いだったらゴメンね、この前山郷くんが話してた相手って…」
テーブルに隠されてる手と足が、合田さんの言葉に震え出した。
… やっぱり気付いてたんだ。
言葉の先を聞きたくなくて、合田さんの顔を見るのが怖くて、僕はぎゅっと目を瞑った。
…気持ち悪いですよね?もう近付きません。
だからお願い、それ以上何も言わないで…。
耳を塞いでしまいたい衝動に駆られながら、次の言葉を待っていた。
「僕の学生時代のあだ名…教えてあげようか?」
ふいに変えられた話題に顔を上げると、合田さんはゆっくりとメガネを外した。
「分かる?」
… そんなの想像つかないよ。
僕は黙ったまま、ふるふると首を振った。
初めて会った時、素敵な人だなって思ってた。
メガネ外したら、もっとカッコよく見えるのにって思ってた。
目の前にいる素顔の合田さんは、そんな僕の想像をはるかに超えていた。
左右対称のアーモンド形をした瞳や、すうっと通った鼻梁、程よく丸みを帯びた唇…。
メガネを外した合田さんの顔は、柔和で少し中性的に見える。
魅力的なその容姿は、カッコいいと言うよりも綺麗という言葉のほうが似合ってて、思わずうっとりと見惚れてしまった。
「ふふ…≪思わせぶりのタラシ男≫、それが僕に付けられたあだ名…この顔のせいでね、昔から散々人に迷惑を掛けてきたんだ…」
そう言う合田さんは、どこか哀しげな表情を浮かべていた。
「誰に対してもに普通に接しているつもりだった…だけどね、周りの人はそう思ってくれなかったんだ」
はらりと落ちた前髪を煩そうに掻き上げる仕草に胸がざわつく。
「気が付けばいつも、僕は周りの人を傷付けていた…そんな自分が嫌で嫌で堪らなくて、こうやって偽りの自分を演出するようになったんだ…」
そう言うと、合田さんはメガネを掛け直した。
僕だって知ってる、勝手に押し付けられる気持ちの重さや疎ましさを…。
運が良い事に、僕は今迄そういった中傷を受けたことが無かった。
好きでもない相手から押し付けられた気持ち…。
押し返すだけでも気が滅入るのに、そこで変な風説まで流されてしまった合田さんは、どれだけ辛い思いをしてきたんだろう?
「そんな…みんな勝手です!」
これって同情なのかな?
今日で終わりにするつもりだったはずなのに、寂しげな合田さんの表情が、燻っていた僕の気持ちを再び燃え上がらせた。
「僕はそんな事思いません…合田さんは人を弄んだりしません…」
言葉は時に凶器になる。
たった一言で、簡単に人を傷付ける事が出来る。
だけど言葉には、どんな良薬だって及ばない癒しの力がある…。
「何でそう言い切れるの…?」
僕の言葉で、あなたが少しでも救われるなら…今なら言える…言ってしまえ…。
「だって僕は…そんなあなたが好きだから…」
思わず口に出してしまった言葉に、合田さんは驚きの表情を浮かべた…。
「だって僕は…そんなあなたが好きだから…」
僕の告白に、合田さんがはっと息を飲み込んだ。
ついに言ってしまった…こんな場所で、こんなタイミングで…。
でもこれが伝えたかった本当の気持ち。
後悔してないけど…やっぱり迷惑だよね?僕の気持ちなんて。
「ごめんなさい、気持ち悪いこと言っちゃって…だけど僕…」
本当にあなたが好きなんです。
もう一度気持ちを伝えるのが辛くて、真っ直ぐ見据えられた合田さん視線から顔を逸らした。
「いっぱい悩ませちゃったね…苦しかったでしょ?僕のせいだ…ごめんね」
精一杯の告白に対する返事は、謝罪の言葉だった。
「山郷くんの悩み…何も聞かされてなかったら、『一時の気の迷いだよ』って言って、終わらせることも出来た…『何バカな事言ってるの』って言ってあげられたら良かったのに…」
あなたを癒したい一心で発した言葉は、あなたを苦しめるだけだった。
苦悩する合田さんの表情に、僕の胸は益々痛くなる。
「勝手な事言ってごめんなさい…でも…これが僕の本心なんです」
口に出してしまった言葉は簡単に取り消せない。
伝えてしまった気持ちは隠す事が出来ない。
二度と口を利いて貰えなくたって仕方が無い。
だって、どうしても伝えたかったんだ…だからもう、悔いはない…。
「今迄ありがとうございました」
深々と頭を下げると、席を立った。
「何処行くの?」
立ち去ろうとする僕を、合田さんが引き留めた。
「え…?」
「何も言わせてくれないの?」
そう言う合田さんの声は少しだけ不満げだった。
自分の考えていた展開と違うほうへ進む話に、当初の目的をうっかり忘れてた。
…うじうじ悩まないで、あたって砕けちゃおう。
そう決めたんじゃなかったっけ?
自分が痛みを知らなきゃ、人の痛みも分からない。
そうしなきゃ、僕は前に進めない。
合田さんの方へ向き直ると、
「ありがとう…」
突然お礼を言われた。
そんな合田さんの顔には、これまで見たこと無いほど優しい笑顔が浮かんでた。
「なんで…お礼なんて言うんですか?」
さっきまですごく困った顔してたのに、今の合田さんはなんだか嬉しそう。
一体何が合田さんを喜ばせたんだろう?
「僕の内面を見ていてくれたんだね…なんだかそれが嬉しくて…」
そう言って笑う合田さんに、ちょっとだけ救われた気持ちになった。
…良かった、こんな僕でも少しは役に立ったんだ。
「山郷くんは、本当に真っ直ぐで良い子なんだね…出来ればその気持ちに応えてあげたかったけど…ごめんね」
僕を傷付けまいとするその優しさは、嬉しいのに痛かった。
もう悔いなど無いと思ったのに、鼻の奥がツンとしてきた。
「僕は今迄、恋とか愛とか、そういった気持ち、全然分かりませんでした…。だけど、合田さんと出会えた事で、その気持ちを知ることが出来ました。わくわくしたり、どきどきしたり…こんな素敵な気持ちを教えてくれたのはあなたです…だから、謝らないで下さい」
「山郷くん…」
何度も瞬きを繰り返して、零れ落ちそうになる涙を堪えると、合田さんに笑って見せた。
ちゃんと言えた…これでいいんだ…。
100点には程遠い告白だったけど、これが今の僕にできる精一杯。
立ち去ろうとする僕の前に、昼食が運ばれてきた。
「お昼抜いたら、午後もたないでしょ?」
なんて笑ってくれる合田さん。
やっぱり僕はあなたが大好きなんだ…。
「はい…そうですね」
あなたの気遣いに応える為、再び席に着いた。
喧騒から隔離された空間で、僕達は黙々と箸を進めていた。
…これで最後なんだよね。
そう思うとなんだか胸が一杯になってきて、箸が進まなくなる。
… 最後くらい、ちゃんとした姿見せなきゃ。
そう自分に言い聞かせながらの食事は少しも美味しくなくて、自分が今何を食べているかすら分からなかった。
「なんだか変なんだ…」
ふいに合田さんの箸が止まった。
「山郷くんの気持ちに応えられない、なんて言ったくせに、凄くちぐはぐな気持ちがするんだ…」
これ以上話す事など無い筈…一体どうしたんだろう?
箸を休め、合田さんの様子を伺った。
「これだけ沢山の学生がいる中で、『何できみにだけ声を掛たんだろう?』、『何で食事に誘ったんだろう?』って…そんな事する自分がよく分からないんだ」
そう言うと、合田さんは考えこんでしまった。
きっと、お互いの気持ちのベクトルは違う方向を向いてる。
このまま進めば、もっと傷付くのも目に見えている。
それでもいい…。
一瞬でいいから夢を見たい…だから、その気持ちを利用してもいいですか?
「合田さんのその気持ちが何なのか…はっきり分かるまで、僕と付き合ってくれませんか?」
そんな大それた事を言うなんて…その言葉に僕自身が一番驚いていた。




