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スクール・バス  作者: 野宮ハルト
10/45

第10話


どこでどう間違ったんだろう?

あの朝以来、朝見は僕との接触を避けるようになってしまった。


朝見の席は僕の右斜め前。

黒 板を見ようと前を向いているのに、朝見の真っ直ぐ伸びた背中や、耳から顎にかけての綺麗なラインが嫌でも視界の中に入ってくる。

同じ教室の中にいて、同じ空気を吸って、同じ時間を過ごしてる。

こんなにも近くにいるのに、僕と朝見とを隔てる距離は太陽と冥王星くらい離れている様な気がして、太陽の光が届かない世界がこんなにも暗く冷たいものなんだと感じてた。



「皐月…おまえ朝見と喧嘩でもしたのか?」


しつこく絡まれたあの日が決定打になったのかもしれない。

僕の態度はほんの少しだけ余所余所しくなって、涼太は僕の事を≪ちゃん≫付けで呼ぶのを止めていた。

「何で?別に…僕達喧嘩する理由もないし…」

「ならいいんだけどさ…なんか、最近一緒に行動してないみたいだからさ…」

些 か納得のいかない様子で返事をすると、涼太はチラリと斜め前の席で本を読んでいる朝見に視線を向けた。


僕は朝見の気持ちにきちんと答えて いない。

こんな状態になるんだったら、むしろ大喧嘩でもしてしまえば良かった。

ちゃんとした理由があって、口を利いて貰えないほうがよっぽど楽な気がした…。



朝見と僕は、それぞれ別のヤツと行動を共にするようになっていた。

傍から見たら、単に気が会わなく なったとか、そんな理由で一緒に行動しなくなった位にしか思われてないんだろうな。

女子と違って男子はその辺で変な詮索をすることもないから、そ れはそれで少し気分的に救われていた。

僕が一人でいると誰かしら声を掛けてくれたし…。



「皐月、昼飯は?」

いつも母さんの手作り弁当持参の僕が財布片手に席を離れようとした途端、涼太は珍しいものでも見るような眼差しを向けてきた。

「ん?今日持ってないん だ…っていうかさぁ、聞いてよ!今朝に限ってやけに静かだなぁ、なんて思って起きたらさ、ダイニングテーブルの上に『友達と激安日帰りバスツアーに行って 来ます』 なんて書いたメモと1000円札、それと朝ごはん代わりのおにぎり残してさっさと出掛けちゃってるんだもん…」

「ははは、そりゃ酷いな…まあ、たまには違うもん食うのもいいんじゃねえか、で…購買?それとも学食?」

「ん…とりあえず外出てから考える」

「そっか、じゃあ俺ここで食ってるわ…帰りに茶でも買ってきてくれ」

「分かった、行って来るね」

涼太にぱたぱたと軽く手を振ると、教室を後にした。


見 た目も中身も派手目な涼太と、地味で大人しい僕。

色々合わないところもあるけど、違うタイプだからこそ一緒にいて楽しいっていう部分もある。

ちょっ と苦手な事されたりするけど、それでも涼太は僕の友達の一人なんだ。


一人でいると寂しくなる。

一人でいると不安になる。

余 計なことばかり考えるから悲しくなる。

だから誰かの側にいたい、誰か側にいて欲しいと思うんだ。


だけど何でだろう?

誰かと一緒にいても、ちっとも気持ちが安まらないし、落ち着かないんだ。



『とりあえず購買にでも行こうかな…』なんて考えながら騒が しい廊下を歩いていると、誰かに名前を呼ばれた気がした。

「あれ?」

歩みを止め、声がしたほうへ体を向けた瞬間、僕の心臓はどくりと一際 大きな音を立てた。


「ああ、やっぱり山郷くんだ!」

声の主は合田さんだった。


合田さんはとても端正な顔立ちをし ているのに、いつもかけている細い銀フレームのメガネが、そんな合田さんを地味で冷たそうに見せるんだ。

…そのメガネ、外せばいいのに…それと も、それってわざとなのかな?

時々心の中で問いかけてみたりする。


「ふふふ…後姿でそうかなっ?て思ったんだけど…」

レ ンズ越しの瞳が嬉しそうに綻んだ。

不意打ちなんて卑怯だよ…これでもかっていうくらい心臓バクバクいってるし、口の中がカラカラになっちゃった…。

「な…んで?」

そう言うのが精一杯だった。

「今日は、この前の授業の報告とご挨拶…っていうか、久しぶりだよね?最近会ってない気がするんだけど…」

首を傾げる合田さんの言葉にどきりとした。


合田さんに面と向かって会うのは図書館での課外授業以来…。

朝会わないのは、わざとなんだ。

自分の気持ちに整理が付いてないうちに、合田さんの姿を見たくなかったから。

他の誰かと一 緒にいるところを見たくなかったから。

だから…。

「最近早めに出てるんです…」

「そうなんだ…あッ、今から昼休みでしょ?お昼まだだったら一緒にどう?」

他意のない笑顔と、花のような優しい香りに包み込まれると、僕の心はどうしようもないくらいざわついた。


どうしよう…どうしたらいいの?


心の準備が出来てないのに誘われてしまった。

「大丈夫、奢りだから気にしないで」

合田さんの瞳には、僕の姿がそんな風に映ったらしい。


戸惑ったまま立ち竦んでいる僕を、合田さんの手が優しく促してきた…。






合田さんに連れて来られたのは、教職員専用の学内食堂。

中に入って驚いた。

だって雑然とした学食と全然違うんだもん。


普通のレストランみたいにウェイトレスさんが現れて席に通されると、お水とメニューがテーブルに用意された。

腰を落ち付けたら、静かに流れてるク ラッシックなんか聞こえてきた。

だけど、メニューを見て思わず笑っちゃった。

だって、≪糖尿病を患う方向けメニュー≫とか≪メタボリック 対策メニュー≫なんていうのがあるんだよ。

先生達の健康にまで気を使うなんて、やっぱりうちの学校ってすごいや…。

そんな風に健康管理に気を配ったメニュー以外のものも、品数こそ少ないけど、内容はその辺のお店と変わらないし、周りの先生達が食べているものもかなり美味しそうに見える。


辺りをきょろきょろ見回してたら、なんだか居心地悪くなってきた。

大勢の大人達の中に、制服姿は僕一人だけだし、周りの雰囲気に圧倒されて一瞬忘れてたけど、目の前には合田さんもいる。

まともに目を合わせられなくて、何にするか考えてる振りして俯いた。

暫くそうやっていたら、『どれ にする?』なんて聞かれた。

「えっと、じゃあこのAランチっていうので…」

メニューなんか考えてなかったから、一番上に書いてあったのを 適当に指差した。



「落ち着かない?」

俯いたままもぞもぞ動いていたら、そんな事聞かれた。

「はい…っていうか… ここって高校生が入っても大丈夫なんですか?なんか場違いな気がするんですけど…」

「あはは、そんな事ないよ…学生だけの利用は禁止だけど、教職員と一緒なら大丈夫」

オーダーを取りに来たお姉さんに二人分のランチを頼むと、合田さんはグラスの水に軽く口をつけた。



「山郷くんてさ…何か悩み事でもあるの?」

2人きりになった途端そんな質問されて、治まっていたはずの緊張感が顔を覗かせて、変な汗が出た。

顔を見ちゃうと色んな気持ちが溢れそうになるから、考え込んだ振りして視線を逸らした。


少し冷却期間を持ちたかった僕の前にいきなり現れ て、攫うようにここへ連れてこられて、今度はそんな質問してくるなんて…今日の合田さんは不意打ちばっかりだよ。

悩みの元はあなたです…なんて、そんな事言えるはずないよ…。


「悩みくらいありますよ…それなりに…ですけど」

適当に返事をすれば、合田さんもこの話題から話を 逸らしてくれると思った。

「うーん、そうだよね…≪僕悩んでます!≫って、思いっきり顔に書いてあるんだもん」

嘘を吐くのが苦手な僕の顔 は、合田さんが言うように苦悩に満ち溢れてるんだろうな。

「ふふ…悩み多き年頃だもんね」

くすくすと笑いながら冗談めかした口調でいるけれど、言葉の裏側には、僕の事気遣ってくれる響きを感じた。

「合田さんは…その…」

やっぱりこの人を目の前にすると、全力疾走したときみたいに心拍数は上昇するし、緊張して上手く喋れない。

まして視線を合わせるなんて…ムリだ…。


「お金と勉強の相談は無理だけど、進路とか恋愛なら相談に乗ってあげられるよ…僕で良ければ」

なんて言う合田さんは、年下の相談に乗ってくれる≪年上の優しいお兄さん≫て顔して た。

そんな合田さんの優しさが、今の僕にはどうしようもない位切なくて、痛くて、苦しかった。


いっその事、言ってしまえば楽になるのかな?

だけど、こんな場所じゃ言えないよ。

『どうしよう、どうしよう、どうしよう…』

僕の頭の中ではそんな言葉がぐるぐると 回ってて、何をどうすればいいのか迷っているうちに、目の前には注文したランチが運ばれてきた。

「とりあえず食べようか…」

声を掛けられ 顔を上げると、視線の先で合田さんがふわりと笑った。



もぐもぐと口を動かしてさえいれば話をしなくて済むから、与えられた課題のように、目の前にあるランチを口へと運ぶ作業を繰り返す。

そうやって無理矢理作った沈黙は余計重苦しくて、口の中にある物を嚥下するのさえ辛く なってしまい、手にした箸を食器の上に置いてしまった。


「どうしたの?」

意を決し顔を上げると、心配そうに僕を見つめる合田さんと視線がぶつかった。

「僕…今迄人を好きになった事がないんです…だから…今の自分が分からないんです…」

平静さを保とうとしても、真正 面から見つめてくる視線のせいで、静まりかけていた僕の鼓動は一気に跳ね上がる。


「…その人の側にいるだけでドキドキしたり、息苦しくなったり…本当はいっぱい話したいのに、その人を前にすると思うように喋れなくなるんです…」

今まさにその状況に陥っている状態を悟られまいとし て、僕の顔はどんどん俯いていく。

「ふふ…もう分かってるでしょ?山郷くんはその人の事が好きなんだね…」

合田さんの優しい言葉が切れ味 鋭いナイフとなって僕の心をさっと斬りつけていった。

その傷口からは、それまで必死で否定し続けてきた気持ちがどくどくと溢れ出し、溢れ出た気持ちに息が詰まり、苦しくなっていく。


やっぱり僕はこの人の事が好きだったんだ。

でも、認めたくなかった…。

この気持ち、単なる憧れだと言って欲しかった…。


「そんな…」

一旦気付いてしまえば、その気持ちは後戻り出来ない。

僕は目の前に 座るこの男性に恋をしてしまったんだ…。

「そんな顔するってことは、恋しちゃいけないコが相手なのかな…?」

きっと今の僕は酷い顔をして るんだろうな…僕を見つめる合田さんの顔に同情の色が濃く浮かんでいくのが見て取れた。

「はい…絶対…恋しちゃいけない人です…」

痛みに悲鳴を上げ続ける心から無理矢理引き出した声は、あまりにもか細くて弱々しいものだった。


僕が好きなのは、あなたです。

僕の目の前で、綺麗な笑顔を浮かべているあなたなんです…。

隠そうとする気持ちと、曝け出してしまいたい気持ちがぶつかり合って、新たな痛みが生まれる。


心配そうな顔されたら、もっと辛くなる…だから僕は自分の心に嘘を吐いた。


「でもこれって…憧れだと思うんです…」

「憧れ?」

「はい…その人と付き合いたいとか、恋人になって欲しいとか…そういう気持ちはないんです…」


この人の前にいたら、そのうち僕は本心を曝して しまう気がする。

一方的に気持ちを押し付けられる事の煩わしさは十分知っているし、まして僕は男なんだ…だから嘘のフィルターで覆いをかけた笑顔 を浮かべた。

そうやって平静を装っても、どこかしら漂う不自然さに、何かしら感じるものがあったのかもしれない。

ふと合わさった視線の先 で、合田さんの表情が困惑したものへと変わった。

「そろそろ戻らないとね…」

チラリと腕時計に目を遣ると、どこかぎこちない仕草で合田さんは席を立った。


会計を済ませている合田さんの背中を見つめながら、僕は後悔の嵐に苛まれていた。

なんで黙っていられなかったん だろ?

なんで余計な事言ったんだろ?

学食を出た僕は、昼食のお礼もそこそこに、走るようにして高校の校舎へと戻って行った。



大学構内から戻ってくると、昼休みが終わっても教室へは戻らず、僕はそのまま高校校舎の屋上へと上がっていった。

うちの学校は屋上を解放している代わりに、2m以上ある転落防止の柵が設けられていて、天辺部分には返しが付いていて、容易にそれを乗り越えられない様な工夫が施されていた。

「僕みたいな生徒が衝動的に乗り越えないため…か」

自嘲的な言葉を吐くと、いつもは気にしていなかったその柵の意味が分かってなんだか怖くなった。



口に出して告白したわけじゃない…。

ましてや、はっきり振られたわけでもない…。

なのに、自分で恋だと自覚した途端、それが叶わない恋だと知るには十分すぎた。

合田さんが浮かべた困惑の表情が頭に焼き付いて離れない。

あれは拒絶の反応…だよね。


今迄感じてい た合田さんへ対する甘い苦しさが、苦い痛みとなって胸に広がっていく。


誰もいない屋上の片隅にごろんと寝転がると、青空にぽかりぽかりと浮かぶ雲を眺めた。

空はどこまでも青く澄んでいるのに、溢れる涙で空がどんどんぼやけていく。

瞳の中に留まりきれなかった涙がつうと頬を 伝い落ちると、耳朶を掠めた涙が首筋まで濡らしていった。


『ホントに好きなヒトができたら、周りが見えなくなっちまう…』

今更だけど、朝見の言った言葉が身に沁みて分かった。

『付き合うなら絶対自分が好きになった人』なんて言ってた僕も、結局相手の事を考えない、自分勝手な人間だった。

あれだけ自分が嫌がっていた行為を、間接的にとはいえ合田さんに対して行ってしまった。


「はは…バカみたい…」


僕の初めての恋は、あっけなく終わりを告げた…。



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