蛇は言わせたい。
「ねぇ蛇さん」
「なんだ」
「……近いです」
「そうか」
昨晩食べた巨大バケツプリンが時間差でお腹を攻撃して来たのか、はたまた蟻の行列が彼の長体を大行進しているのか。彼に限ってそんなことはないと思うが、この穏やかな日常に嫌気を差したのか。
先程から蛇はあっちをウロチョロこっちをチラチラ見ながら落ち着かなかった。何かを思いついたかのようにコンビニへ吸い込まれるようにして行ったのがつい数分前の出来事だ。
何となく手持無沙汰になって蛇の愛読書の漫画雑誌を読もうと手を伸ばしたのだが残念、蛇の方が早い。彼は銜えていた袋を私の手にそれを落とすと、漫画雑誌を器用に体の下に隠すようにして巻き込んだ。どうした思春期か。
「なあ」
「なんですか」
「ちょっとパンを銜えて走ってくれないか」
何故そんな事をせねばならん。受け取った袋を改めてみると、何枚かの食パンが入っていた。蛇の最近のお気に入りは柔らかいパンにたっぷりの生クリームとバナナがサンドされたものであって、決してシンプルイズザベストな食パンではない。勿論私も食パンをそのまま食べるような趣味はなく、朝食にバターをたっぷりのせて食べる派だ。なぜ食パンなんだ。
「食パンとは本来、咥えて走る為にある。そういうものなのだ」
滅茶苦茶な事を言ってくれるな。
「聞く処によるとパンにハムと目玉焼きをのせたものを銜えて走る猛者もいるらしいではないか。我は流石にそこまでのレベルは其方に求めていないぞ。我は寛大であるからな。特別だ」
そりゃどうも。
「一応バター風味のものを選んできたぞ」
そんなのどうでもいいわ。
私は走った。全速力で。そんな速度だと学校に間に合ってしまうではないか、などと蛇に注意される筋合いはない。間に合えば誰かにぶつかることもないし、内申に響くこともない。万々歳ではないか。そう息も絶え絶え言い返せば蛇はぶつかることが今回の”いべんと”を起こす選択肢なのだと言って溜息をついた。ぶつからねば”いべんと”は起こらず”すちる”は回収できないらしい……その特殊な単語はどこで覚えたのだろうか。私は蛇に乙女ゲームを与えた覚えはないのだが。
何回もテイクを重ねていくこと暫くして。蛇監督(笑)は暫しの休憩を私に与えた。はあはあと日頃の運動不足の賜物に苦しむ。
なんて無意味な事をしているんだろうか。人生無駄なことはないなんて言う人はいるがそんなこと言う人は本当に無駄なことを経験したことがないんじゃないだろうか。
私が得たことと言えば走りながらパンを銜えているとパンが千切れてしまうから、歯を上下くっつけてそこにパンを押し付けるようにすれば良いということくらいだ。心底どうでもいいし、ぶっちゃけ今後役に立つとも思えない。
「何かが違うな……何かが足りない……いや場所が悪いのか?」
蛇はブツブツ言いながら考えていると、そうだっと大きな声を出した。
「曲がり角だっ」
えぇー……。
「何故此処には曲がり角がなかったのだろうか。今まで気づくことなかったとは不覚であるな」
曲がり角がなければ物語は始まらない、とかなんとか言って蛇はいつものようにあっという間に曲がり角を作り出してしまった。民家があるわけでもないのに大人の身長くらいの塀が私たちの家からコンビニまで続いている。
湖の美しい景観は何処にいってしまったのか。蛇一匹の思いつきの為に損なわれていいものだったのだろうか。私にはわからない。よって何も考えないことにする。
結局蛇の計画が成功することはなかった。
それは何故ぶつかることがわかっていて曲がり角を曲がらなくてはいけないのかと私が猛烈に抗議をしたからであり、騒ぎを聞いてコンビニから出てきた佐藤くんがじゃあ僕が相手になってオーナーを受け止めますよとイケメンなことを言って蛇を嫉妬させたからであり、子供たちがけがをしたらどうなる、あと店が隠れてしまうと店長が珍しく蛇を叱ったからであった。
店長に叱られた蛇は子供のようにしゅんとして元通りに直し、一件落着という形になった。店長のお叱りが効いたようで何よりだが、売り上げを気にするやり手店長が声を大にして言いたかったのは、きっと後半のことだったのではないかと私は疑っている。
「なぁ」
「なんですか」
「口がてかてかしているのだ」
どうやら蛇は私の口が汚れているのが気に食わないらしい。これは失礼と口を拭くためにティッシュを取り出すと、蛇がそれを横から奪った。
「口がてかてかしているのだ」
「はい。今拭くのでティッシュ返してください」
「……はぁ、これだから」
溜息をつかれた。今のやり取りに何の問題があったのだろうか。私が眉を寄せているのに気が付いたのか、蛇は待てと言って後ろを振り向いた。どうした。
ふむとかあぁ忘れていたなどブツブツ言っていたが、何かに納得したのかこちらに向き直った。今度こそは、という感じの顔をしている。
「口がてかてかしているのだ。天ぷらでも食したか」
「はい。さっきイカ天を」
がくっという効果音が聞こえてくるような落ち込みをされてしまった。何なんださっきから。こういう場合はどう答えるのが正解だったんだ。エビ天派か。
「蛇さん、今度はどうしたんですか。さっきから妙に近かったりそわそわしてたり、パン銜えさせたり。不自然過ぎますよ。本当は何か言いたいこととかあるんじゃないですか」
「……」
「ぱっと言ってすっきりしちゃいましょう?大丈夫ですよ、実はこないだおねしょしたんだとか打ち明けられても軽蔑したりしませんから」
「あればれてたのかっ、隠し通せたとばかり思っていたのに……じゃなくて。そうだな……」
蛇はもう諦めたような顔をして後ろから冊子を取り出した。
「ちゃ〇ですね」
「そうだ」
パラパラと蛇はページをめくる。彼が言いたいことはこれに書いてあるということだろう。私は蛇の隣からそれを覗き込んだ。
主人公らしき女の子がグロスを塗ったはいいものの、男の子に天ぷらでも食ったかと言われてショックを受けているシーンがあった。「ちっがーう!」と男の子をポカポカ叩いているところが微笑ましい。
「ちょっとはその……自覚、しただろうか?我に対して何か思ったり、しても良いのだぞ?」
蛇がゲフンゲフンとわざとらしい咳をしながら私をチラチラと見ている。
なんとなく蛇がやりたかった事がわかってきた。流石にここまでやられちゃあわかっちゃいますよ。私は顔をあげて蛇を見た。
「ねぇ蛇さん。少女漫画ごっこやりたかったんですか」
「ちっがーう!」
蛇はヒロインらしく私をポカポカと叩いて抗議した。
その後何がダメだったのだと蛇はページをめくり、考え込んだ末にパンチラを所望してきたので丁重にお断りさせていただいた。
「……パンチラなんて言わなかったら下駄箱に手紙イベントやったのに。残念だなぁー」
「っ!」
もちろん蛇の言わせたいことが何かなんて随分前にわかっていたのは内緒にしておこうと思う。口を開けて絶句している蛇の頭を撫でて、私はコンビニへと向かった。ふふふ、可愛いやつめ。
次で最終回にさせていただきます。




