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我におもてなしの術を教えよ。

 家のドアを開けたら、白い蛇がいた。しかも目の前に。


「え」


 私はドアに手をかけたまま停止した。蛇の方も私をじっと見て動きを止めている。

 大学の講義の後、スーパーに寄って缶チューハイを数本購入して。家でゆっくり飲むのを楽しみに帰って来たのだけど。帰って来たのはいいのだけれど。なんでうちに蛇がいるかなぁ。


「……」


 蛇の方に好戦的な感じがないのもあって、ひとまず観察してみることにする。

 輝かんばかりに真っ白な体に、眠そうな黒い目。私の目線に合わせるように頭を持ち上げていて、少し頭を傾げている。

 そんな姿がキュート……じゃなくて。

 大丈夫か自分。何変な事考えているんだ。蛇のキュートさにやられて頭おかしくなったか。体長が私の倍以上ある。殺られたら終わりだよ。



「……」

 蛇はたっぷりと私を見た後、口を開いた。


「入らぬのか」

「どうして……」

「どうして、と聞くか。扉を開けたら入る。それは決まりであろう」

 蛇は何を当たり前のことを聞くのかという顔をした。んな事聞いてねぇよ。なんてチキンな私が巨大な蛇に向かって言えるはずもなく。

 

 どうして蛇がしゃべれるんだー!?


 私は近所迷惑にならない様、心の中で叫んだ。



 入っても構わぬ、と何故か偉そうに言われて敷居をまたぐ。そして私はついに気がついてしまった。


「ここ、どこ?」


 入ったら目の前がちんけなキッチンと十畳一間が見えるはずなんだけど。広大な湖が広がっている様に見えるのは気のせいだろうか。

 靴下が濡れているのを感じて舌を向くと、そこは草むらだった。慌てて脱いだ靴を履きなおす。蛇は私の言葉に首を傾げた。


「どこ、とは。ここは我の住処であるが」


 我の住処。

 なるほど、水蛇さんでしたか!それは知りませんで。とは当然ならなくて。

 異世界トリップきたぁ!と叫びながら、私は缶チューハイ入りの袋を投げ捨てて泣いた。私の家何処だよ。



 蛇はするすると湖へ近づくと、そのまま入ってゆっくりと泳ぎ始めた。やわらかい光がさして輝く美しい水面に、白い身体がぷかぷかと浮かぶ姿はどこか幻想的だ。

 あれ、家が無くなって悲しむ私放置か。不本意ながらも結果的には招かれた私をほったらかして一匹で泳いでいるし。

 美しい湖の景色と白い蛇(巨大)。これらを暫く堪能させて頂いたが飽きる。めったにお目にかかることは出来ないだろうが、何も変化がないそれらをずっと見ていられるわけもない。

 そろそろお暇しようと後ろにあるドアへ向かった。大自然の中に唯一ある人工物がやけに不自然だ。

 お暇しようというかここは自分の部屋のはずなのだが。もしかしたら一旦外に出て入りなおしたら元通りになっているかもしれない。そんな期待を込めていた。


「待て、何処へ行くのだ」


 ドアに触れる手に蛇の胴体が巻き付く。そして蛇は私を覗き込んだ。無表情だが、声にどこか必死さが出ている。


「我の客人が、我の許可なしにいなくなるなど許さぬぞ」

「だって蛇さん、湖に入って泳いでいたじゃないですか。私することないし、景色も楽しんだから帰ろうと思って」

「そなたも湖へ入ればよいではないか。泳ぎたいのならば、そう申せば許可したものを」

「うーん、私泳げないので難しいです。残念なんですけど」


 まず私人間だし、見ただけでも深そうな湖に入るなんて無理ですね。限界があります。そう私が言うと蛇はそうか、と頷いて何やら考え始めた。

 泳げないとなるとじゃあ。蛇は私に尋ねた。


「客人とはどうもてなせばよいのだ」


 どうやら偉そうな蛇さんは、お客さんとどう接してよいのかわからなかっただけらしい。この湖は本来蛇のために用意された神聖な場所であるから、誰かが訪ねてくるなんて事はありえないそうだ。

 私普通にドア開けてその神聖な場所、に入って来ちゃいましたけど。やばいのじゃないのか。そう私が冷や汗をかいたのだが、蛇にとってはどうでも良いことのようであった。


「そなた、我にもてなしの術を教えよ」


 蛇はそう言って、長い舌をチロチロと動かした。



 もてなしってなんだっけ。家の手伝いもまともにしてこなかった駄目な大学生が、対人関係のしらない蛇に教えられることってなんだろうか。


「とりあえず__」


 とりあえず、ビールで!日本人なら誰でも聞いたことがある、居酒屋での定番な言葉が出てきた私を、どうか軽蔑しないでください。だってとりあえずって言っちゃったはいいけれど、言葉が続かなかったのだもの。立派なもてなし術なんてわかるわけないではないか。

 私は落ちていた袋から缶チューハイを一つ出した。ビールじゃないけどいいか、と私は缶のふたを開ける。

 目の前にチューハイを出された蛇は、目をぱちぱちとさせた。


「『びーる』とは何ぞ?」

「お酒です。大まかに言うと麦が発酵したものですね」


 蛇は缶の匂いを嗅いだ。


「……ふむ、しかしこれからは麦の香りはせぬぞ。なにか甘い果実のような香りであるが」

「あぁ、これはチューハイっていうやつです。フルーティーな感じで飲みやすいですよ。飲んでみます?」


 許可を貰って自分の手にチューハイを満たすと、蛇はそこからぺちゃぺちゃと飲んだ。


「おぉ、これが『ふるーてぃー』な味というものか。いつも飲んでいるものとはまた違う。美味であるぞ」


 いつも飲んでいるとはどういうことだろうか。私は未だ腕に巻き付いている白い蛇を見た。


「定期的に献上されるのだ。別に我が買いにいっているわけではないぞ」


 蛇が首で示す方に目を走らせると、そこには小さな祠のようなものがあった。そこには酒と盃が置いてある。あぁ、お供え物ね。なるほど。だよね、蛇が買い物している姿なんて想像できないよね。


「む?我も買い物という行為をする事もあるが」


 え、するの。まじで。何買うのか凄く気になるのだけれど。私が気になって尋ねる前に蛇はチューハイを催促した。


「さぁ、もっと『ちゅーはい』たるものを我に捧げるのだ」

「はいはい、かしこまりました」


 私は蛇の口に缶を突っ込んでがぶがぶと一気に飲ませた。ごほごほ、とむせる蛇を見て、蛇も急性アルコール中毒になるのだろうかと思ったのは秘密だ。


「……あの、すいません。そろそろ巻き付くの止めていただいていいですかね」


 蛇がチューハイに満足した後も腕に巻き付いたまま中々離れようとしないから、仕方なく私は暫く蛇に付き合って草むらに寝転がっていた。腕時計を見るとそろそろ深夜二時。そろそろ家に帰りたい。帰ったらすぐ寝られるというわけでもないのだ。夜更かしが得意な私でもきついものがある。


「帰るのか」

「はい。明日も大学があるのでそろそろ」


 そう言うと蛇はさらに巻き付きを強くした。


「痛っ!」


 今ので、さっきまで腕に巻き付いていた力はただのじゃれ合いみたいなものだったのだとわかった。腕を抜こうとしてもびくともしないくらいだ。かなり痛い。


「我といるのは不満か?」


 いや全然です。楽しかったですよ。そう言うと蛇は目を細めた。


「……ならば何処へも行かせぬ。ずっとここにいるのだ。我の客人として」

「痛い、痛いってば!大丈夫!また来るからっ」


 私は段々強くなっていく締め付けに悲鳴を上げた。また来るという返事を聞いた蛇は少し力を緩めた。


「それは真か」

「真です」


 私は必死にコクコクと頷いた。早く私に締め付けからの解放と、睡眠時間をください。


「本当だな」

「本当です」

「本当の、本当だな」

「本当の本当です」

「本当の本当のほん……」

「しつこい!本当ですってば。おもてなしについてまだ教えてない事が沢山あるのに。このままじゃいつまでたってもお客さん来ませんよ!」


 そう私が半分叫びながら言うと蛇はなんと、と言って人間だったら頭を抱えているんだろうなという素振りをみせた。衝撃を受けたらしい。

 まぁ最後のは適当だけどね。仮におもてなしを蛇がマスターしたところで、人が来るか来ないかは別問題だ。


「ならばよい」


 とりあえず納得できたようで何よりである。帰るために不自然すぎるドアの前まで来ると、蛇は私に呪文の様な言葉を囁いた。なんなんだ、このやたら長いものは。


「……ふむ、『みおくり』というのはこれくらいでいいのだろうか」


 見送りの挨拶だったのかよ!


「長すぎて、呪いをかけられているのだと思いました」


 失礼極まりない私がそう言うと、蛇はくくくと喉を鳴らした。


「呪いか……そう言われてみればそうかもしれぬな」

 挨拶はもっと気軽でいいんですよ。また来てね、みたいな可愛い感じで。そうアドバイスすると、蛇は次からはそうしてやろうと言った。

 はたして今のは本当に呪いだったのだろうか、それともそうじゃないのか。悩む私の頬を、蛇は一舐めした。ざらざらとした冷たい舌の感覚が残り、私は自分の顔が赤くなるのを感じた。


「我は蛇ぞ。覚えておくのだ。蛇の習性を忘れるでない」



 蛇はこの世の何よりも、執着心が強いのであるぞ。蛇はそう言って不敵に笑って見せた。

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