たとえそれが、空箱だとしても
・・・内容など、どうでもいい。
ただ、化学反応を伴う情報伝達なら、それで満足だ。
我々は、より正確な双方向の情報伝達を目指す。
そしてそれは、どこまで行ってもパーフェクトにはならない。
なぜなら、私が私である限り、貴方が貴方である限り、化学反応は止まらないからだ。
つまり、正確な情報伝達の基本は、間違いなく私が私であることから始まる。
同じく、間違いなく貴方は貴方であり、だから化学反応が起きる。
すると、私の中にあった思いは、貴方に触れた途端、別の何かに生まれ変わる。
それは喜ばしいことで、同時に、もどかしいことである。
出力された音の羅列に魂が宿り、言霊となる瞬間。
同時に、
存在の壁に阻まれ、思いは核を失う。
貴方に伝える為に行った多くのプロセスが、私の思いを加工品にしてしまう。
逆も、また然り。
だから私は、逆算する。そして、解読を試みる。
解読という行為は、矛盾だ。
貴方のことばかり考えながら、自らの思いに沈み込む孤独。
いつしか貴方は、私によるフィクションになってゆく。
思いばかりが募っていく。
嗚呼、いっそ直接、触れてしまえばいいのではないか?
それは何とも、危険な行為だ。
存在の壁が崩れてしまえば、貴方は貴方でなくなってしまうではないか。
情報伝達の際、化学反応が起こる度、私は安堵するのです。
壁の向こう。手は届かずとも、貴方は確かにそこに居る。
解読は迷信に均しくとも、その思いは確かにそこにある。
それさえ確かめられるのなら、伝達される情報の内容など、何であろうと構わない。
けれど、我々を包む存在の壁は、変質を防ごうと化学反応を拒むのです。
同時に、それ自体が実のところ、化学反応なのです。
なぜなら、存在の壁そのものが、化学反応の産物なのだから。
私はそのことを、見落としていた。
要するに、存在の壁こそが、変質そのものなのではないか?
ならば私は、壁など要らない。
失われた思いの核を探しに行こう。
言霊の糸を辿り、思いの海に至る。
けれど、そこに、もう核はない。
いや、違う。そうじゃない。
核だったそれは、何一つ損なわれることなくそこにある。
ただ、核足り得なくなった。それだけのこと。
地に落ちるでもなく、天に昇るでもなく。
侵食でもなく、融合でもなく。
全てが重なり合う、その一瞬だけが、真実。
外界と私を区切るそれは、壁とは限らない。
強すぎる刺激から私を守りつつ、電波に敏感に反応するレーダーである。
そもそも、私という漠然としたそれは、多くのエレメントの集合体に過ぎない。
思いと時の狭間で、たまたま求心力を持って、だから核となった。
それが私が思うところの私である。
そして、多くのエレメントが集まり、その集いの中で目覚めたのが貴方である。
だから貴方は、エレメント達を裏切れない。
だから貴方は、自由に憧れる。
思いの中心に在るのは、いつだって曖昧な貴方。そして、私・・・
内側から見た貴方は、あまりに捉えどころがなく。
外側から見た私は、あまりに捉えどころがなくて。
だから器をつくり、形を為す。
それが最早、空箱だとしても・・・
あまねくエレメント達に呼びかけ、貴方の息吹きを手繰り寄せる。
目覚めた貴方は、私を覚えていますか?