七、花浅葱 貝合わせ
花浅葱とは、藍の単一染めによる緑みの強い青だ。
花色がかった浅葱色の意味で、縹浅葱がなまってこの呼び名になったとも言われている。
この色は、もしかしたら私の終生の伴侶の優しさを表しているのかもしれない。
「少し頭を冷やしてくる」
そう言って雅次さんは家を出て行った。なじみの居酒屋に向かったのだろう。帰宅は午前様に違いない。
珍しく、激しい口論になった。原因は我が呉服店の今後についてだ。
最近は孫のこずえが看板娘になったこと、呉服に憧れる若い人たちが増えていることが追い風になり、一時期減少していた新規のお客様も我が家を訪れるようになった。
呉服の素材にしても正絹100%で手入れの難しい高価な品だけでなくポリエステル製の自宅で洗濯できる品もあるからだろう。
しかし、呉服はまだ、「よそ行き」用であって日常品ではないし、若い人たちの目は手頃な値段で手に入る大正・昭和初期のアンティーク着物の方に向いている。
呉服商がこんなことを言ってはいけないが、反物を選び自分だけの着物を仕立てるのは、やはり三十代後半以上の人の特権のような気もしている。
そんな訳だから、私の代で店を絶たむ考えもある。もしも、こずえが本人の意志で跡を継ぐと言うのなら尊重したいと思う。
私たちの子供さえ家業を継ぎはしなかったのだから、孫であるこずえに無理強いさせるつもりは全くない。
但し、本当にこずえが店を継ぐとなれば、私と同じように婿取りという形になるのではないだろうか。
やかんにお湯を沸かし、番茶をいれた。
落ち着いて考えてみれば、最近は年を取ったせいでお互いに我を張り、たわい無いことで口論することも多い。
特に後継のことになると雅次さん自身にも考えるところがあるようで険悪になる。
お見合いで初めて会った時は頼りない印象しか無かった。けれど、先代から呉服商としての知識を仕込まれた。
柳沢家の婿である雅次さんは、多少の酒はたしなむが博打も浮気もせず、跡継ぎである私を陰になり日向になり三十余年も支えてきてくれるのだ。
台所の明かりを消す音が聞こえた。
気がついて体を起こしてみると一人で飲んでいた番茶の急須と湯のみ茶碗が片付いている。
壁にかけてある時計を見ると午前一時だった。
私を見て見ぬ振りをした雅次さんが一瞬立ち止まり、
「……店をどうするかは彩さんの自由。でも急ぐ必要はないでしょ」
そう言って私に背を向けたまま茶の間を出て行った。
花浅葱の着物に袖通した雅次さんの背中を見た時、この人と夫婦になったことは間違いではなかった、と密かに思った。