六、江戸紫 主の心意気
「こちらが新主人の彩でございます。どうぞ宜しくお願い致します」
先代である父は、そう言って私をお得意様に紹介した。雅次さんと結婚して十五年程経った頃。
私たちの子供も産まれ家庭を何とか運営していた。
また一つ、私に取って越えなければならない課題が出来たのかと正直気が重くなった。
跡継ぎである私が、いずれ店の主人となることは分かりきっていたはずだった。
父に認められて、初めて店を任されるものだと思っていたからだ。しかし、実際はそうではなかった。
日常着として着物を着る人は徐々に減り、店の経営が厳しくなり始めたことを日に日に感じた。
この状態で店を引き継いでも私にかかる負担は大きい。
私が店の状態をそう見ていたときの父の判断だった。
「お父さん、これからは仕立てるだけのお客様のみ相手していても経営難に陥りますよ。
もっと別の方法も考えた方がいいです!」
私は父に反抗した。
もしかしたら、生まれてからずっと我慢していたのものが一気に吹き出したのかもしれない。
既製品や絹以外の素材の反物を扱うことなど、当時の私に思いつく限りの提案をした。
父に進言しない日はないくらいだった。私の提案は受け入れてはもらえなかった。
なぜ、私がこんな目に合わなければならないのだろう。
なぜ、こんな大変なときに店を支えて行かなければならないのだろう。
もしもこの家に生まれなければ、違った人生を送ることが出来たのかもしれない。
冷静に考えれば現実逃避としか判断できないような感情に押しつぶされそうになっていた。
だからと言って店に立たない訳にもいかず、毎晩湯船につかりながら一人で泣いた。
こずえが生まれた頃、父は私に一着の着物を仕立てた。それは藍色の強い紫。
父の好きな歌舞伎にちなんだのだろうか。しかし、私はそれを着物たんすの目立たないところに仕舞い込んだ。
袖を通す気持ちになどなれなかった。
先代である父が逝ったのは、私の孫であるこずえが三歳の七五三を迎えた年だった。
晩年は呉服屋の店主として私と衝突することが多く、苦労をかけさせてしまったのかもしれない。
それでも、和服の作法や商人としての振る舞いを昔と変わらず指導してくれていた。
こずえが小学校に入学した頃、あの江戸紫の着物は、先代が私を一人前と認めてくれた証拠なのかもしれないと思えるようになった。