一、桜色 物思う春
桜色は、紅染の最も淡い色だ。しかし、草木染めをする、とある染色家は「心が震える色」と表現していた。与謝野晶子の命日は五月二十九日だが、死に際の本人の言葉にちなんで「白桜忌」と呼ばれている。日本人という遺伝子の中には、この色に対する思いが一つずつ潜んでいるのかもしれない。
「俺、女じゃないのにピンクなんて着たくないよ!」
そう言ってだだをこねていた勝を説得するのは苦労したけれど、そのおかげで、この写真は今見ても感慨深いものになっている。
私が自分の子供たちの為にまとった桜色の着物を、陽子さんも着てくれた。
桜色のネクタイを締めた真人、桜色のシャツを着た勝、そして、この写真の主役でもある桜色のワンピース姿の、こずえ。
あの日からの義務教育生活が終わった孫のこずえから電話がかかってきた。
(もしもし、おばあちゃん?)
「久しぶりね。そう言えば卒業式終わったのか。入試の結果はどうだった?」
(めでたく、合格しました!)
「おめでとう。よかったね」
(それで……。約束なんだけど……)
「分かったよ。暇なら春休みの間も着付けの練習がてら遊びにいらっしゃい」
(はーい。それじゃ今度の日曜日に行くね)
息子である真人や、他の子供たちも結局この家を継ごうとはしなかった。
呉服に対する興味さえ持たなかったのかもしれない。けれど、我が家で遊んでいた孫のこずえは、多少呉服に興味を持ったようだ。高校生になったら、店のモデル代わりにアルバイト代を出してもいいという約束をしっかり覚えていたらしい。
「彩さん、こずえからかい?」
「そうよ。あの子、約束通り今度の日曜日にアルバイトに来るって」
「勤まるかねぇ……。まぁ、少しはにぎやかになるかなぁ」
「ふふふ、そうね」
三十余年の連れ添い相手である雅次さんと顔を見合わせ、お互いに微笑んだ。
看板娘だった私も、今や女主人という方が相応しい。
外には芽吹き始めた桜の木が立っている。淡い花吹雪が舞う季節はもうすぐ。