「君のガラクタはもう不要だ」と婚約破棄された私は王都を支える守護結界の魔道具師なんですが?
王宮の地下にある、冷たくて薄暗い魔道具工房。
それが、伯爵令嬢である私――ルクレツィア・リンデールに与えられた私室だった。
伯爵令嬢とはいっても、戦火で両親を失い没落寸前の地位だが。
「痛っ……」
魔道具を作るため、魔石を滑らかに成型する過程で飛ぶ鋭利な削りカスが、容赦なく私の指先を傷つけた。
おかげでいくつも細かい傷ができ、私の指先はすっかりひび割れている。
「……ふぅ。これで、二十個目……」
荒れた指先から小さな魔石に術式を刻み終えると、私は重い息を吐き出した。
睡眠時間はもうほとんど取れていない。
少しでも多く魔道具を作り、世に送り届けたかった。
私と同じ、家族を戦争で失う悲しみを、もう誰にも経験して欲しくなかったから。
手は酷く荒れ、目の下には濃い隈ができているだろう。
それでも私は、共に国を守ろうと誓った婚約者のため、そして何よりこの国の民のため、来る日も来る日も、戦う騎士たちを守る護身用の魔道具を作り続けている。
――ガチャ。
無骨な鉄扉が乱暴に開かれたのは、休む間もなく次の魔石を手に取ったときだった。
「ルクレツィア。まだそんなガラクタを作っていたのか」
足音と共に現れたのは、金糸の髪を揺らす私の婚約者――第一王子ジュリアス・ヴァン・フルール様。
しかし、ジュリアス様の隣には、彼の腕に絡みつきピッタリと身を寄せる女性が立っていた。
派手な真紅のドレスを着た新興男爵カミラだ。
先の大戦で大きな功績を残し、平民から貴族に成り上がった才女であると有名な人物。
「ジュリアス様、ガラクタ、とはどういう……? それに、どうしてカミラさんと?」
「フンッ、言葉通りの意味だ。そんなもの、もうガラクタ同然の玩具なんだよ。それと、お前との婚約は本日をもって破棄させてもらう。この王宮から直ちに出て行くがいい」
あまりにも突然の宣告に、私は手にしていた魔石を取り落としそうになった。
「婚約破棄、ですか? 急にどうして……。私は毎日、あなたから命じられた数の魔道具を製作して――」
「だから、それがもう不要だと言っているんだ!」
ジュリアス様は苛立たしげに声を荒げた。
「お前も知っての通り、近年、北の帝国が国境付近で不穏な動きを見せている。父上が病に伏せる今、私がこの国を強固なものにしなければならない。そんな状況下で、いつまでも防戦一方で国が守れると思うか?」
ジュリアス様の眼差しは、ただの我が儘や浮気心を誤魔化すものではなかった。
次期国王としての重圧と、国を脅威から守らなければならないという強い焦りが、彼を駆り立てているのかもしれない。
「お前の作る地味な防御魔道具など、いくら数があっても戦局を覆す力にはならない……。圧倒的な『攻撃』こそが、最大の防御なのだ! だからこそ、私は彼女を……このカミラを次期王妃として迎えることに決めた!」
カミラが、ジュリアス様の腕に胸を押し当てながらふふっと笑う。
カミラは戦時下で活躍したとはいえ、平民が爵位を得ると言うのは王国の歴史の中でも異例のことだった。
彼女へ爵位を与えようと王に口添えしたのはジュリアス様だとは知っていたが、まさかこんなことになるとは、夢に思わなかった。
おそらく、あの時点で彼はこうするつもりだったのだろう。
「そういうことよ、ルクレツィア様。私の『業火の魔法』があれば、帝国の軍勢なんて一瞬で灰にできるわ。あなたが玩具の盾を作っている間に、私が敵を全滅させてあげる」
「その通りだ。彼女の強力な攻撃魔法こそが、我が国を救う新たな希望になる。これ以上、貴重な魔石を消費してまで、効果の薄いガラクタを作るのは、もう国益に反するんだ」
――ガラクタ、玩具。
その言葉が、私の胸を深く、鋭く抉った。
確かに私の魔道具は、カミラの魔法のように派手な炎を上げたり、敵を吹き飛ばしたりはできない。
私が魔石に付与する術式は、持ち主の魔力と周囲の環境を調和させ、物理攻撃や魔力干渉を相殺するという見た目にはとても地味なものだ。
けれど、決して不要なものではないと私は信じている。
「……お待ちください、ジュリアス様」
私は久しぶりに椅子から立ち上がり、震える膝に力を込め、まっすぐに彼を見据えた。
「私の魔道具は、前線で血を流す兵士たちの命を確実に守るためのものです。攻撃力がどれほどあろうと、人は一度傷つけば命を落とします。兵士たちは捨て駒ではなく、帰りを待つ家族がいる人間なのです。彼らの命を守る盾を、ガラクタとは呼ばないでください!」
「黙れ! そんな甘い考えでは、もうこの国を守り切れんのだ!」
ジュリアス様は私の言葉を冷酷に切り捨てた。
「もう犠牲を恐れていては国全体を救えん。お前の自己満足で作られたその石ころなど、我が国の新戦術には不要だ。二度と同じことは言わん、荷物をまとめて今すぐこの王宮から立ち去れ!」
冷たい宣告が工房に響き渡る。
反論しようと開いた唇は、しかし、すぐに固く結ばれた。
これ以上何を言っても、今の彼には届かない。
彼にとっては『強力な攻撃で敵を殲滅すること』が正義であり、もう私が作る人を守る魔道具は無用の長物でしかないのだ。
これまでの三年間。
何度も魔力枯渇で倒れそうになりながらも、ただ誰かの命を繋ぐためにと作ってきた魔道具の数々。
我が子のように愛し、祈りを込めて作り上げたそれらがすべて否定された虚無感で、視界が滲む。
私が誇りをもって作ってきた魔道具は、もう誰にも必要とされていないのだろうか。
今日までの苦労が、積み上げてきた何もかもが、足元から崩れ去っていくような気がした。
「……分かりました。婚約破棄も、王宮からの追放も受け入れます」
せめて、去り際はみっともなく泣きわめく真似をしたくなかった。
伯爵令嬢として、王宮に仕えた魔道具師としての最後の意地だ。
私は背筋を伸ばし、一度だけ深くカーテシーをする。
「今までお世話になりました。御二人が、この国の明るい未来を築いてくださることを祈っております」
鼻で笑うカミラと、厄介払いが済んだとばかりに溜息を吐くジュリアス様を後に残し、私はたった一つの古びた鞄をもって工房を後にした。
三年も住んでいた工房だというのに、ろくな私物もないことが、私という人間の空虚さを表しているようだ。
こうして私は、婚約破棄され、王宮から追放された。
◆
王宮を出た私を待っていたのは、冷たい雨だった。
行く当てなどない。
両親を失い管理しきれなくなった実家の屋敷は、ジュリアス様との婚約を気に売ってしまった。
本当は、家族との思い出のある屋敷を売りたくはなかった。
それでも、少しでも多くの魔道具を作るため、私には資金が必要だったのだ。
だから、私の帰る場所はもうない。
雨に打たれながら重い足取りで石畳を歩く。
私が作った魔道具は、本当に無意味だったのだろうか――。
ふらりと視界が揺れ、冷たい地面に崩れ落ちそうになったその時。
「――見つけた」
低い、けれどどこか安堵を含んだ声と共に、私の身体は温かい外套に包み込まれた。
驚いて顔を上げると、そこには漆黒の軍服に身を包んだ大柄な男性が立っていた。
銀色の髪に、鮮血のような真っ赤な瞳。
私は彼を知っている。
王国の北辺境を治める辺境伯であり、王国最強と名高い『銀狼騎士団』の団長、アレクシス・フォン・ヴァンブルク様だ。
少し前にも国境沿いの戦いで戦果を挙げたと噂を聞いた。
「ヴァンブルク辺境伯様……? どうして、このような所に」
「君を探していた、ルクレツィア嬢」
「私を?」
なぜ辺境を守護するヴァンブルク辺境伯様が王都に居るのかと聞いたつもりだったのだが、予想外の返答がきた。
「先日の戦いの褒章を受ける為にこの王都までやってきたが、その途中で、おかしな話を耳にした」
冷酷無比と噂される男が、雨に濡れた私の頬に、傷物を扱うかのような優しい手つきで触れた。
「君の婚約破棄と王宮追放の件で、宮内が騒ぎになっていてな。耳を疑ったよ。ジュリアス殿下は正気を失ったとしか思えない」
アレクシス様は、嘆くように言った。
「……ルクレツィア嬢、君はこれからどうするんだ?」
「…………」
私は、何も答えられない。
これからどうすればいいかなんて、自分でもわかっていないのだから。
アレクシス様は痛まし気に顔を俯かせた。
しかし、すぐに顔を上げて、私の瞳をのぞき込んで言った。
「ならば、どうか俺の領地へ来てくれないか。俺たちには、君の力が必要なんだ」
「私の、力が……?」
一瞬の希望を感じたのち、私は自嘲気味に笑ってしまった。
「辺境伯様はご存じないのですか。私の魔法は、攻撃性のないただの付与魔法です。最前線で戦う皆様のお役には立てませんよ」
「そんなことはない!」
アレクシス様は強い口調で否定し、自身の首元から古い革紐を引っ張り出した。
その先についていたのは、見覚えのある銀色の小さな魔石。私が王宮に入りたての頃、魔力制御の練習として作り、名も名乗らずに兵士たちへ無償で配っていた『初期型の護身魔道具』だった。
「三年前、北の小競り合いで俺の部隊は孤立した。敵の凶刃が俺の心臓に迫った時、この魔石が淡い光を放ち、盾となって俺の命を救ってくれた。……君の魔道具は素晴らしいものだ。周囲の環境魔力と調和し、攻撃のエネルギーを相殺・吸収する、高度な『結界術』。俺は君以外にこんなものを作れる魔道具師を知らない」
息を呑んだ。
私の付与術の真髄は、誰にも理解されないと思っていた。
「俺はずっと、この命を救ってくれた恩人を探していた。君だったんだろ、ルクレツィア嬢? 行く場所がないなら……どうか、辺境騎士団の専属魔道具師になってほしい。君の力で、俺の部下たちの命を守ってくれないか」
その言葉は、凍えきっていた私の心に、確かな光を灯した。
私の魔法は、ガラクタじゃなかった。
ちゃんと誰かの命を守っていたんだ。
「……はい。私で、よければ」
涙で滲む視界の中、私が頷くと、アレクシス様はひどく優しい微笑みを浮かべ、私を連れて馬車へと乗せた。
馬車が王都の門を抜ける時、アレクシス様が窓の外を見遣り、低く呟いた。
「……ジュリアス殿下は、カミラ男爵令嬢の『業火の魔法』を新兵器の動力源に据えるつもりのようだが、危険すぎる。あの女の魔法は燃費が悪く、力任せだ。周囲の魔力を食い尽くし、いつ暴走してもおかしくない」
その言葉に、私は胸の奥がざわつくのを感じた。
私が王都のあちこちに配置した魔道具――環境魔力を調和させている魔道具が、あれば、王都は大丈夫なはずだ。
でも、もしそれが、誰かの手によって取り外されてしまったら……。
しかし、その嫌な予感は、これまでに溜まっていた疲れと共に、泥のように夢の中に消えていく。
馬車の中で、私は誰かの温もりを感じながら、子どものように眠りこけていた。
◆
北の辺境領へ辿り着いた私を待っていたのは、想像を絶する歓迎だった。
「おおお! アレクシス団長が命の恩人を連れてきたぞ!」
「あんたがルクレツィア嬢か! あんたの作った魔道具のおかげで、俺たち何度も死地から生還できたんだ!」
荒々しいけれど気の良い辺境騎士たちは、私を見るなり拝むような勢いで感謝を伝えてきた。
王宮で居場所を失った私に、彼らは惜しみない称賛と笑顔を向けてくれる。
アレクシス様が用意してくれた工房は、王宮の冷たい地下室とは違い、日差しがたっぷりと入る広くて温かい部屋だった。
質の良い魔石もふんだんに用意され、私は水を得た魚のように、騎士たち一人一人の戦い方や魔力波長に合わせた『特注の結界魔道具』を作り始めた。
その甲斐もあって、辺境の近くで起こった隣国との小競り合いでは、私の作った魔道具を装備した騎士団は、誰一人として命を落とさずに帰還してくれた。
「ルクレツィア様! 今日も無傷でした! この魔道具が、敵の魔法を吸い込んで弾き返しましたよ!」
「ありがとう、ルクレツィア様。貴方のおかげで、生きて家族の元へ帰れた!」
泥だらけの甲冑のまま、騎士たちが私の工房へお礼に駆け込んでくる。
誰かの役に立てている。
誰かの命を守れている。
その達成感が、私の心を癒やし、満たしていった。
そしてもう一つ、私の心を支えてくれたのは、王都では冷酷無比と恐れられているアレクシス様だった。
ある夜。
私が工房で魔石の調整をしていると、ノックの音と共に彼が温かいハーブティーを持って現れた。
「ルクレツィア、少し休まないか。あまり根を詰めると体に毒だ」
「アレクシス様。ありがとうございます……あっ」
ティーカップを受け取ろうとした時、私の荒れた指先が彼の手に触れてしまった。
魔道具を作り続けたせいで、私の手はひび割れ、ごつごつしていて、令嬢の手とは程遠い。
恥ずかしくて咄嗟に手を引っ込めようとしたが、彼は私の手をしっかりと、けれど壊れ物を扱うように優しく握りしめた。
「……痛まないか」
「あ、あの、見苦しい手で申し訳ありません……」
「何を言っているんだ? これは君の優しさと、尊い努力の勲章だろう」
アレクシス様は懐から小さな軟膏を取り出すと、私の指先に少しずつ、丁寧に塗り込み始めた。
この辺境でしか採れない薬草の香りがふわりと漂う。
大柄な彼が、身体を小さく屈めて私の指先を労わるように撫でる姿に、火がついたみたいに顔がカァッと熱くなった。
「あまり、こういうものは使っていないのか?」
「はい。お恥ずかしながら、魔道具を作ることにばかり気をとられていましたもので……」
「そうか」
アレクシス様の赤色の瞳が、楽しそうに細められる。
ククッと笑い「君らしいな」と呟くのが聞こえた。
「俺は、君の作る魔道具はもちろん素晴らしいと思っているが……それ以上に、他者のためにここまで自分を犠牲にできる君自身の在り方を尊敬している」
「アレクシス様……」
「だが……俺の領地では、君にばかり苦労を押し付けはしない。君が俺たちを守ってくれるように、俺たちが……俺が、君を守ろう」
真摯な声と、指先から伝わる彼の熱が、私の胸の奥にまで浸透していく。
ジュリアス様に「お前は不要だ」と切り捨てられた時、私の世界は終わったと思っていた。
けれど違った。
私を必要としてくれる人たちは、ちゃんとここに居てくれた。
「……はい。私も、アレクシス様のお力になりたいです。私のすべてを懸けて、あなたと、あなたの居場所を守ります」
私が微笑み返すと、彼は耳まで赤くして「……あぁ、頼りにしてる」とそっぽを向いてしまった。
不器用だけれど誠実なこの人を、私は愛している。
辺境での穏やかで幸せな日々の中で、私の中のアレクシス様への想いは、確固たるものへと変わっていた。
この幸せな日々が、ずっと続けばいい。
そう願っていた。
王都から『緊急の伝令』を告げる早馬が、血相を変えて辺境の砦に駆け込んでくるまでは――。
◆
その凶報は、辺境に春の兆しが見え始めた頃に届いた。
王都からの早馬が血相を変えて砦に駆け込み、もたらした書状。
それを読んだアレクシス様の顔から、スッと血の気が引くのを私は見た。
「……王都で、大規模な魔力暴走が発生した」
「魔力暴走、ですか!?」
「あぁ。ジュリアス殿下がカミラの『業火の魔法』を動力源にして起動させた新型兵器が、制御不能に陥ったらしい。王都の四分の一がすでに火の海だそうだ」
「新型兵器って……いったいどこからそれだけの魔石を? まさか」
背筋が凍った。
恐れていた事態が起きてしまったのだ。
おそらく、ジュリアス様は私が張り巡らせていた王都の守護結界用の魔道具から魔石をちょろまかしている。
しかし、絶望はそれだけではなかった。
アレクシス様はギリッと奥歯を噛み締め、忌々しげに書状を握り潰した。
「……さらに殿下は、この暴走の原因は『ルクレツィアが王都に仕掛けていった呪いの魔道具のせいだ』と触れ回っている。彼女を国家転覆を企んだ大罪人として、直ちに王都へ引き渡せと……!」
息が止まるかと思った。
呪い?
私が作ったのは、人を守るための魔道具だ。
それを暴走の責任逃れのために、呪いだと濡れ衣を着せるなんて。
あんなに必死に国の平和を願って作り続けた私の五年間の結晶は、大罪人の証として歴史に刻まれてしまうのだろうか。
足元が崩れ落ちるような絶望感に、私はその場にへたり込んでしまった。
「ふざけるなッ!!」
轟音と共に、アレクシス様の拳が執務机を叩き割った。
「ルクレツィアがどれほどの思いで国に尽くしてきたか……! 己の失態を彼女になすりつけるなど、万死に値する。俺が今すぐ王都へ赴き、あの愚か者の目を覚まさせてやる!」
激怒するアレクシス様に呼応するように、辺境騎士たちも次々と剣を抜き、「ルクレツィア様を守るためなら反逆者になっても構わねえ!」と雄叫びを上げた。
嬉しい。
私のために怒ってくれる彼らの存在が、心底嬉しかった。
――けれど、だからこそ、彼らを罪人にすることは絶対にできない。
「……お待ちください、アレクシス様」
私は震える足に力を込め、立ち上がった。
「俺は君を守る。誰にも君を傷つけさせない!」
「ですが、アレクシス様や皆さんが逆賊になることは、私が望みません。それに……」
私は、ごつごつに荒れた自分の両手を胸の前で強く握りしめた。
「私の愛した魔道具を、人を傷つける『呪い』という汚名で終わらせたくないのです。私の魔法は、誰かを守るためにある。……私を、王都へ連れて行ってください。私の手で、この暴走を止めます」
守られているだけでは駄目だ。私が生み出した魔法の誇りは、私自身の行動で証明しなければならない。
私の強い眼差しを見たアレクシス様は、ハッと息を呑み、やがて優しく、ひどく誇らしげな笑みを浮かべた。
「……あぁ。君の往く道は、俺が切り拓く」
◆
数日後。
私たちがたどり着いた王都は、黒煙と消えることのない業火に包まれ、地獄のような有様だった。
王宮の前では、巨大な火柱が竜巻のように渦巻き、周囲の建物を次々と飲み込んでいる。
その圧倒的な熱量の前に、王宮の兵士たちは逃げ惑うことしかできていなかった。
火柱の安全圏から兵士たちに「早く火を消せ!」と無責任に怒鳴り散らしているのは、ジュリアス様とカミラだった。
「ジュリアス様!」
私が馬から降りて声を上げると、二人は信じられないものを見たように目を剥いた。
「ル、ルクレツィア!? 貴様、よくも戻ってきやがったな! お前の仕掛けた呪いの魔道具のせいで、カミラの魔法が暴走したのだ! 今すぐ呪いを解け、さもなくば極刑だぞ!」
己の非を一切認めず、私に責任を押し付けるその姿に、私の中でくすぶっていた悲しみが、ついに激しい怒りとなって爆発した。
「いい加減にしてください!!」
私の怒号に、ジュリアス様がビクッと肩を揺らす。
「呪いなどではありません! 私の魔法は命を守るためのもの! 国を守る焦りに飲まれ、力任せの破壊しか見えなくなったあなたの浅はかな野心こそが、この国を滅ぼしかけているのです!」
「なっ、貴様、次期国王に向かって……!」
「私はもう、あなたのいいなりにはなりません!」
「ひぃっ!?」
言い争う私たちの真横で、カミラが悲鳴を上げた。
暴走した火の魔力がついに限界を突破し、まるで意思を持った炎の魔獣のように、ジュリアス様とカミラを目掛けて襲い掛かってきたのだ。
「カミラ、お前の魔法だろう! なんとかしろ!」
「む、無理です! 私の魔力じゃもう制御できません!」
圧倒的な攻撃力を誇っていたカミラは、迫り来る炎の前に為す術もなく腰を抜かし、ただ絶望に顔を歪めることしかできなかった。
彼らは国を守る盾を自ら捨てたのだ。
もう彼らを守るものは何もない。
「……アレクシス様」
「あぁ、分かっている。行け、ルクレツィア!」
アレクシス様が剣を抜き、炎の魔獣の進行を物理的に阻んでくれている隙に、私は地面に膝をつき、王宮の地下深くへ意識を研ぎ澄ませた。
「ジュリアス様。あなたは私が王宮に残した魔道具を、新型兵器の動力源として無理やり組み込んだのでしょう?」
「あ、あぁ……お前の石ころが大量にあったから、兵器の魔力タンク代わりに……」
「それが暴走の原因です」
私は両手に魔力を集め、大地へと流し込んだ。
「私が王都のあちこちに配置していた魔道具たちは、単体のガラクタではありません。すべてが連動し、王都全体の魔力を『調和』させる、巨大な守護結界の基点だったのです。あなたが要である結界石を撤去し、無理やり強力な攻撃魔法を注ぎ込んだことで、調和が崩壊し魔法の暴走を引き起こしたのですよ」
「なっ……巨大、結界……?」
ジュリアス様の顔が、絶望と後悔で真っ青に染まる。
自分が「ガラクタ」と切り捨てた魔道具が、実は国を根底から支えていた結界だったこと。
そして、国を守ろうと攻撃力に傾倒した結果、自らの手でその盾を壊し、国を傷つける危機を招いてしまったこと。
すべてが己の愚かさゆえの結末だと理解した彼は、「ああ……あぁぁ……」と力なく崩れ落ちた。
「今から、結界を再構築します。……私に力を貸して!」
私は体内の全魔力を解放した。
途端、王都中に残されていた無数の「地味な魔道具」たちが私の魔力に呼応し、眩い銀色の光の柱となって一斉に立ち昇った。
光の柱は空中で交じり合い、巨大な半球状の結界となって王都を包み込む。
結界が発動した瞬間、暴走して暴れ狂っていた炎の魔獣から、シューッと音を立てて熱と魔力が吸い上げられていく。
私の『環境調和』の付与術が、暴走した魔力を相殺し、無害な光の粒子へと還元しているのだ。
「す、凄い……炎が、消えていく……」
カミラが信じられないという顔でへたり込んでいる。
しかし、結界の再構築だけでは、暴走の根本である兵器の魔核は止められない。
「アレクシス様! コアが露出しました!」
「任せろ!」
私は残りの魔力をすべて、アレクシス様の持つ剣へ付与した。
私の結界魔法を纏い、絶対壊れない最強の剣となった大剣を上段に構え、アレクシス様が地を蹴る。
「我が国を脅かす刃は、俺がすべて叩き斬る!!」
冷徹な辺境伯の凄まじい斬撃が、銀色の軌跡を描いて新型兵器のコアを一刀両断した。
パァンッ!! という甲高い音と共にコアが砕け散り、王都を包んでいた炎は嘘のように掻き消えた。
空を覆っていた黒煙が晴れ、温かい陽の光が王都を照らし出す。
私たちは、国を救ったのだ。
しんと、静寂が落ちた。
黒煙が晴れた青空から、陽光が瓦礫の上にやわらかく降り注ぐ。
ついさっきまで業火が渦巻いていたとは信じられないほど、王都は静まり返っていた。
焦げた石畳の上に、私は膝をついたまま、ぼんやりとその光景を眺めていた。
誰かが、泣いている。
顔を上げると、炎から逃げ惑っていた王宮の侍女たちが、互いに抱き合って泣き崩れていた。
怪我をした兵士に駆け寄る仲間。
我が子を抱きしめる母親。
愛する人の無事を確かめるように、名前を呼び合う声。
「……ルクレツィア」
ジュリアス様の声が、かすれて聞こえた。
力なく地に膝をついた彼は、茫然と王都を見渡し、それから私の手元――魔力を使い果たして震えている、ひび割れた指先を、じっと見つめた。
「お前の、その手が……」
ジュリアス様は、言葉を詰まらせた。
三年間。
この手が何をしてきたか。
今、はじめて彼には見えているのかもしれなかった。
「……俺は」
絞り出すような声だった。
「俺は……共に国を守ると約束したのに、お前を信じ切れず……」
彼は静かに燃え尽きた王都の空を見上げた。
私は、何も言わなかった。
怒りはもうない。
ただ、深くて静かな悲しみだけが、胸の底に澱んでいた。
私が彼を恨んでいるとしたら、切り捨てられたことではない。
私の魔道具が守っていた兵士たちの命を、彼が「捨て駒でも構わない」と思っていたことに対してだ。
それは、もう取り返せない。
「……ジュリアス様」
私は立ち上がり、まっすぐに彼を見下ろした。
「私を不要と言ったこと、恨んではいません。ですが、兵士たちを道具と思ったこと、民の命を攻略の駒と見なしたこと。それだけは、謝っても謝りきれない罪です」
ジュリアス様は、静かに俯いた。
反論はなかった。
「……分かっている」
それだけ言って、彼はもう何も語らなかった。
その横でカミラが、自分の手をぼんやりと見つめながら「私の魔法は……最強だったはずなのに」と呟いた。
最強の炎は、守るべき王都を焼いた。
守る盾を持たない剣がどこへ向かうかを、彼女はこの日はじめて知ったのだろう。
背後で、アレクシス様の足音が近づいてきた。
コツ、コツと、石畳を踏む静かな音。
「……終わったか」
低い声が、耳のそばで聞こえた。
振り返る間もなく、大きな手が私の肩をそっと引き寄せる。
彼の外套が、風に揺れて私を包み込んだ。
「……はい」
ようやく、力が抜けた。
膝が震えているのを今さら自覚しながら、私はアレクシス様の胸に額を押し当てた。
彼は何も言わない。
ただ私を強く、けれど包み込むように優しく抱きしめてくれた――。
その後。
この一件の真相は、王都中の知るところとなった。
国を滅ぼしかけたジュリアス様は王位継承権を完全に剥奪され、北の極寒の鉱山へと生涯幽閉されることが決まった。
「ただ国を守りたかっただけなのに」と涙を流す彼に、同情する者は誰もいなかった。
彼を唆し、暴走の引き金となったカミラも平民に戻され、同じく鉱山での過酷な強制労働が科せられたという。
◆
すべてが終わり、数ヶ月後。
北の辺境に、遅い春が訪れた頃。
雪解けの風が吹き抜ける丘の上で、アレクシス様は静かに私の手を取った。
幾重もの太刀傷を刻み、硬い剣だこに覆われた彼の手が、魔石を削り続けてひび割れた私の指先を、まるで世界で一番尊いもののように包み込む。
誰かのために傷つき続けた手が、私の手とぴたりと重なり合う。
「三年前、君の結界が俺の命を繋いだ。……雨のあの日、君を迎えに行ったのは恩を返すためだったはずなのに、結局、また俺が君に救われていたな」
彼は私に、冷たい魔石ではなく、温かな銀の指輪の入った美しい装飾の箱を差し出した。
「君が国を救うためにすり減らしたこの指先が……俺は、美しいと思う。……生涯の伴侶として、どうか俺の隣にいてほしい」
なんとも不器用な愛の告白だった。
静かな祈りのような言葉。
これまでの苦難も、涙も、流した血のすべてが、この瞬間に辿り着くためのものだったのではないか。
そう思えるほどの幸福が私の胸から溢れ出す。
「……はい。ですが、私もあなたの背中を護り抜きます。アレクシス様、私たちは、ふたりで支え合っていきましょう」
私が微笑んで彼の差し出す指輪を受け入れると、彼は心底ホッとした顔で私を抱き寄せた。
ごつごつした二人の手が絡み合った瞬間、どんな魔道具よりも温かい、決して壊れない結界が私たちを包み込む。
吹き抜ける春風の中、私たちは静かに未来への誓いを立てた――。
(了)
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