第九章 流通
金は、きれいな場所を嫌う。
表に出れば説明が要る。理由と正義と帳尻が要る。だから金は、必ず裏道を選ぶ。湿った路地、名義だけの会社、口座の向こうに顔のない人間が並ぶ場所。そこでは、性もまた通貨だった。
都心から少し外れた雑居ビルの一室。看板はない。受付もない。だが、エレベーターを降りた瞬間に分かる。ここが“そういう場所”だと。甘ったるい香水と、消毒液の匂いが混じり合って、喉の奥に残る。
「初めて?」
女は笑った。笑顔は訓練されている。年齢は二十代半ば。履歴書には、どこにも残らない経歴だ。
客は政治家秘書、企業の中間管理職、そして“信仰に篤い”男たち。誰もが同じ理由でここに来る。名前を持たない関係が欲しいのだ。
料金表は存在しない。あるのは、紹介と信用と、沈黙。
この部屋のオーナーは表向き、イベント企画会社の代表だった。裏では、光輪会の関連法人に籍を置き、黒崎組の下請けを使って用心棒を雇っている。宗教と暴力団が、最も分かりやすく手を組む地点だった。
女たちの多くは、元信者だった。
「奉仕の延長」
そう言われた。救済のため、組織のため。拒めば、家族のことを匂わされた。暴力はない。だが、選択肢もない。
客は、宗教の話を好んだ。祈り、罪、浄化。ベッドの上で語られる言葉ほど、空虚なものはない。だが、その空虚さが、彼らを安心させた。
金は、巧妙に流れる。
現金は使われない。ギフトカード、仮想通貨、架空の講座受講料。帳簿上はすべて“寄付”だ。寄付は善意であり、善意は課税されない。
一方、黒崎組は“回収”を担当する。
逃げた女を探し、口を塞ぎ、必要とあらば見せしめにする。派手な暴力は使わない。痕が残れば、金の流れが止まるからだ。恐怖は、静かな方が長持ちする。
その夜、奥の部屋でトラブルが起きた。
客が、女のスマートフォンを見つけたのだ。画面には、SNSの告発アカウント。凍結されたはずの名前。
「余計なことをするな」
低い声。数分後、問題は解決した。どう解決したのかを、誰も詳しく知らない。知る必要もない。
女は翌日、別の施設に“移された”。連絡は途絶えた。代わりはいくらでもいる。
宗一は、その施設の存在を知らない。だが、献金の数字が不自然に安定していることには気づいていた。清潔な報告書の裏で、何が回っているのか。彼はまだ、名前を知らない。
黒崎の養子は、回収役の背中を見たことがある。仕事として淡々と人を追い詰める姿。その合理性に、吐き気と理解が同時に湧いた。
性は商品になり、金は洗われ、沈黙が最も高く売れる。
このルートがある限り、誰も本気で壊そうとはしない。壊れれば困る人間が、多すぎるからだ。
そしてこの流通の先に、同じ顔をした二人の男が、それぞれ別の立場で近づきつつあることを、まだ誰も“物語”として認識していなかった。




