第七章 露出
編集局の空気は、いつも脂っぽかった。
キーボードの打鍵音、電話の呼び出し音、モニターに映る速報テロップ。だが、その中心にあるのは情報ではない。売上だ。南條玲奈は、壁に貼られた部数グラフを一瞥してから、デスクに置かれたUSBメモリを指で弾いた。
「光輪会、です」
そう言うと、デスク長は一瞬だけ眉を動かし、すぐに元の表情に戻した。
「弱いな」
「弱くありません。献金の迂回、隔離施設、元信者の証言もあります」
「で、証言者は今どこだ」
「……連絡が取れません」
デスク長は椅子にもたれ、ため息をついた。「ほらな」
真実は、連絡が取れなくなった瞬間から“商品価値”を失う。裏取りができない情報は、正義ではなく負債だ。南條はそれを知っていた。それでも、USBの中身を手放す気にはなれなかった。
会議が始まる。
「今週はこれだ」
スクリーンに映し出されたのは、芸能人の不倫と、匿名掲示板発の炎上動画。数字が見込める。誰かが笑う。
「宗教は燃えない。信者がクレームを入れてくるだけだ」
別の記者が言った。「暴力団は?」
「スポンサーが嫌がる」
結論は早かった。触らない。
南條は唇を噛み、別案を出した。「切り口を変えます。宗教でも暴力団でもない。“若きカリスマ後継者”特集です」
空気が変わった。
「顔がいいのか」
「はい。清潔感がある。動画映えします」
その瞬間、宗一は“人”から“素材”になった。信仰も疑惑も切り落とされ、残るのは画面映えとクリック率だけ。
取材当日。施設は磨き上げられていた。笑顔の信者、整列した子どもたち。カメラが回ると、誰もが少しだけ善人になる。
「素晴らしい活動ですね」
南條は台本通りに言い、台本通りに頷いた。胸の奥で、何かが軋んだ。
編集局に戻ると、映像は切り刻まれる。都合の悪い沈黙はカット。視線の揺れは“謙虚さ”に変換される。
「これでいこう。売れる」
同時刻、別フロアでは、黒崎組関連の小ネタが握り潰されていた。広告代理店からの一本の電話で十分だった。
「今期、御社の広告枠、増やせますよ」
交換条件は露骨だ。記事は消え、枠は増える。誰も違法だとは言わない。慣行だからだ。
夜。南條の個人端末に、匿名のメッセージが届く。
《似すぎている。二人いる》
添付された短い動画。荒い画質の中、宗一と瓜二つの男が、路地裏で誰かを殴っている。笑っているのか、歪んでいるのか、判別できない表情。
南條は震える手で再生を止めた。これはスクープだ。だが同時に、地雷でもある。
デスク長に持っていくと、答えは即座だった。
「寝かせろ」
「なぜです」
「今出すと、全部失う」
南條は理解した。マスコミは真実を暴くために存在しているのではない。出せる真実だけを、売れる形にして出すために存在している。
帰りのエレベーターで、南條は吐いた。警察の男と同じだ、と気づいたからだ。自分もまた、均衡を守る側に回った。
モニターに映る“カリスマ後継者”の笑顔が、やけに白く、気持ち悪く見えた。




