別視点短編 語れなかった者
彼は、話す仕事をしていた。
正確には、話を整える仕事だ。子どもたちの前で、出来事を順番に並べ、因果を与え、結末を用意する。物語は、理解のためにある。理解は、不安を減らす。
宗教施設の近くの学校に勤めていた。距離は、徒歩十分。十分という距離は、関係を持たない理由になる。近すぎず、遠すぎない。
最初の質問は、授業のあとだった。 『先生、あそこって、何してるところ?』
彼は、パンフレット通りに答えた。社会活動、福祉、祈り。パンフレットは、嘘をつかない。ただ、選ぶ。
事件と呼ばれなかった出来事が続いた。事故、体調不良、都合。呼び名が揃わないものは、教材にならない。教材にならないものは、授業に入らない。
ある日、作文に奇妙な一文があった。 『同じ人が、違う日に、同じ場所に立っていた』
彼は、赤ペンを止めた。止めただけだ。訂正もしない。訂正は、存在を認めることになる。認めると、説明が要る。
職員室では話題にしなかった。話題にしないことは、合意ではない。だが、合意と同じ効果を持つ。
保護者会で、誰かが言いかけた。 『最近、夜――』
司会が次に進めた。時間が押していた。時間は、万能の理由だ。
彼は、語り部になれなかった。
なれなかったのは、勇気がないからではない。確信がなかったからでもない。語る形式がなかったからだ。
語るには、始まりと終わりが要る。原因と結果が要る。だが、彼の手元にあったのは、断片だけだった。断片は、授業を壊す。
数年後、教科書が改訂された。時代に合わせた内容。透明で、角のない言葉。彼は、それを使った。使えるものを使うのが、仕事だ。
時折、卒業生から連絡が来る。曖昧な言い回し。確信に届かない体験談。彼は、聞くだけで終える。聞くだけは、安全だ。
語られなかったことは、嘘ではない。
だが、物語にもならない。
彼は今日も、黒板に書く。
理解のための順番を。
そして、順番にできなかった出来事は、
誰の歴史にも編まれないまま、そこに残る。




