別視点短編 清掃
彼は、朝一番に入る。
鍵は預からない。開いている時間だけ、そこにいる。開いている時間は、祈りの時間でもある。祈りが終わる前に、床は乾いていなければならない。
彼の仕事は、痕を消すことだ。汚れではない。痕だ。靴底の筋、椅子の位置、手垢の濃淡。人は、通ったことを残す。残ったことは、次の人に拾われる。拾われないように、均す。
礼拝堂は広い。音が遅れて返ってくる。彼は、音を立てない。立てないように、動線を選ぶ。動線は、見えないが、分かる。
事故の噂が流れた週、花が多かった。白が多い。白は、汚れが目立つ。彼は、時間を延ばした。延ばす理由は、ない。理由がない延長は、誰にも責められない。
失踪の話が出た頃、椅子の並びが変わった。数は同じだが、間隔が違う。彼は、元に戻さなかった。戻さない方が、落ち着くと感じたからだ。感じたことは、記録に残らない。
ある夜、彼は見た。
見たのは、人ではない。配置だ。
同じ背丈の影が、時間差で同じ場所に立った。照明の当たり方が違う。角度が違う。だが、影の長さは同じだった。彼は、数を数えなかった。数えると、仕事が増える。
翌朝、床に細い線が残っていた。引きずられた跡。誰のものか分からない。分からないものは、平らにする。
彼は、モップをかけた。水は少なめ。少なめは、乾きが早い。乾きが早いと、誰も立ち止まらない。
祈りの時間、彼は端に立った。祈りは聞かない。聞くと、覚えてしまう。覚えたものは、落ちにくい。
数年後、配置は固定された。椅子の間隔、花の位置、照明の角度。固定された配置は、疑問を生まない。疑問がなければ、答えも要らない。
時折、床が鳴る。湿度のせいだ。湿度のせいにできる音は、安全だ。
彼は、今日も入る。開いている時間だけ。
彼は、何も知らない。
だが、彼が均した床の上では、
同じ位置に立った影だけが、覚えられている。




