エピローグ 余白
数年後、記録は整っていた。
事故は事故のまま、失踪は所在不明のまま、実名は一度だけ出た過去として整理されている。注釈は短く、反証はなく、余白は広い。余白は、読む者の責任を軽くする。
宗教は存続した。式次第は変わらず、献金の流れも安定した。祈りの言葉は更新され、固有名詞は避けられる。避けられた名は、やがて言及されない歴史になる。
警察の年次報告に、あの件は載らない。載らないものは、評価もされない。評価されないものは、次の判断に影を落とさない。
マスコミのアーカイブには、短い動画と長い沈黙が残った。再生数は伸びない。伸びないものは、再編集されない。再編集されないものは、再燃しない。
港では、船が出入りする。書類は正確に回り、検査は形式を守る。黒崎は、名刺を更新しなかった。更新しない名刺は、過去を固定する。彼はそれでよかった。
時折、同時性の噂が立つ。地方の式場、郊外の駅前、似た顔を見たという話。だが、写真は残らない。残らないものは、検証されない。検証されないものは、信じられない。
宗一の名は、年に一度だけ、内部文書に現れる。現れる場所は、脚注だ。脚注は本文を動かさない。本文を動かさない限り、秩序は揺れない。
世界は説明可能であり続ける。説明可能であることは、安全だ。安全であることは、正しいと混同される。
だが、夜半、誰かが録音の波形を思い出す。二分十七秒。間。咳払い。沈黙。音は、時間を選ばない。
余白は、埋められなかった。
埋めなかったからだ。
秩序は、守られた。
守られたまま、問いだけが残った。




