第三十章 終章 秩序は守られたのか
秩序は、守られた。
少なくとも、守られたように見えた。
事故は事故として処理され、実名は一度だけ燃え、失踪は保留の棚に置かれた。宗教は儀式を続け、警察は手続きを完了し、マスコミは次の話題へ移り、SNSは別の炎に向かった。市場は撤退し、数字は平常に戻った。
世界は、何事もなかったように回る。
だが、秩序が守られたかどうかは、誰が数えるかで変わる。
数える者が国家なら、守られた。法は破られていない。破られたとしても、立証されていない。立証されていないものは、存在しない。
数える者が組織なら、守られた。切り離しは成功し、損失は限定的だ。個人の逸脱は、制度の正当性を補強する。
数える者が市場なら、守られた。炎上は収束し、リスクは回避された。価値は、次の曖昧さへ移動した。
だが、数える者が人なら、答えは揺れる。
宗教の祈りの場で、名を伏せられた祈りは続いた。誰のための祈りか分からないことで、祈りは長持ちする。だが、祈りが長持ちするほど、責任は薄まる。
警察の内部で、誰も越線しなかった事実は、誇りとして共有された。越線しなかったから、秩序は保たれた。だが、越線しなかったことが、何を救い、何を見捨てたかは、共有されない。
マスコミの編集室では、若い記者が机を離れた。栄転でも左遷でもない。疲弊だ。二分十七秒は、彼の中で再生を続ける。音は、時間を選ばない。
港では、黒崎が仕事を続けている。書類は正しく回り、船は出入りし、利益は出る。彼は、生き残った。秩序の中で。だが、確信は戻らない。比較の対象が消えた世界では、自己同一性は更新されない。
宗一の名は、記録に残る。だが、所在は残らない。所在が残らない名は、参照されない。参照されないものは、物語を延ばさない。
時折、同時性の噂が浮かぶ。似た顔を見た、似た声を聞いた。だが、誰も追わない。追えば、秩序が揺れる。揺らさない選択が、共同でなされた。
秩序は、守られた。
その代償として、
真実は使われず、
確信は削られ、
疑念だけが、静かに残った。
最後に残る問いは、裁けない。
——秩序は、誰のためにあるのか。
答えは、書かれない。
書かれないことで、秩序は完成する。
夜が明ける。港は動き、祈りは続き、書類は回る。
世界は、今日も説明可能だ。




