第二十八章 失踪
姿を消すには、二通りある。
一つは、逃げること。もう一つは、見えなくなることだ。
夜は静かだった。事故の余熱が冷え、街は通常運転に戻りつつあった。病室の窓から見える交差点で、信号は規則正しく切り替わる。秩序は、回復したように見える。
宗一は、荷物をまとめなかった。服も、通帳も、携帯も置いたまま。置いていくことが、痕跡になると知っていたからだ。失踪は、準備が見えると疑われる。準備が見えない方が、事故や衰弱や衝動に回収される。
彼は、病室を出た。看護師は、名を呼ばなかった。名は、もう重すぎた。
一方、港では黒崎が同じ夜を迎えていた。彼は、動かないという選択をした。動けば、矢印が自分に向く。動かなければ、空白が意味を持つ。
失踪は、すぐには報じられなかった。警察は、所在不明として処理した。成人男性。事件性不明。事故の後だが、因果は証明できない。保留が、最も秩序に優しい。
宗教は、祈りの場を設けた。行方不明者のための祈り。名は伏せた。伏せることで、誰のための祈りか分からなくする。分からなければ、責任は拡散する。
マスコミは、扱いを遅らせた。事故の次は失踪。連続に見える。連続は、構造を疑わせる。疑わせると、名前が戻ってくる。
SNSでは、二つの仮説が並走した。逃亡説と入れ替わり説。どちらも証拠はない。だが、同時性の記憶が、想像を補う。
黒崎は、港の倉庫で一枚の写真を破った。顔は、写っていなかった。写っていないことが、彼を苛立たせた。消えたのは、人ではなく、参照点だ。
宗一は、街を歩いた。帽子も被らず、俯きもしない。見えなくなるとは、隠れることではない。見えても、誰にも拾われない位置に立つことだ。
深夜、彼は橋を渡った。川面に光が散る。立ち止まらない。立ち止まると、目撃になる。
翌朝、病室のベッドは空だった。シーツは乱れていない。窓も閉まっている。説明できる失踪だった。
警察は、捜索を最小限にした。理由は、ない。理由がないことが、理由だ。
残された側は、息をする。呼吸は続く。だが、比較の対象が消えたことで、世界は急に静かになった。
双子の片方は、姿を消した。
逃げたのか。
終わらせたのか。
それとも、役割を引き受けに行ったのか。
秩序は、答えを必要としない。
夜は、何事もなかったように明けた。




