第十六章 共鳴
匿名の声は、相談から始まった。
公開投稿ではない。拡散もしない。検索にも引っかからない。古い掲示板の、誰も見ないスレッド。遺族の母は、そこに短い文章を書いた。
《同じ顔を見た人はいませんか。証拠はいりません。違和感だけでいい》
送信してから、後悔が押し寄せた。誰にも読まれない方がいい。だが、誰かに届いてほしい。矛盾した祈りだった。
数時間後、返信が一つだけついた。
《内部にいます。話せることは多くありませんが、違和感は同じです》
母は、画面を見つめた。心臓の音が、指先に伝わる。相手の言葉は慎重だった。名詞を避け、日時をぼかし、断定をしない。守るための文体だと、母は直感した。
二人は、やり取りを続けた。夜だけ。短文。消える設定。約束は一つだけ――相手の身元を聞かない。
内部者は、言った。
《同じ時間に、同じ人が二つの場所にいた記録が、複数あります》
母は、娘の下書きを思い出した。《顔が、同じだった》。線が、繋がる。
《誰かが、見ている》
内部者のメッセージに、母は頷いた。見られているのは、こちらだけではない。見ている側も、見られている。
二人は、証拠を集めないことで合意した。集めれば、奪われる。代わりに、一致点だけを残す。
日時。場所。人数。照明。視線の癖。言葉の間。
一致は、増えた。
同じ顔を見た夜、同じ説明を受けた人、同じ金額の香典、同じ文言の注意。偶然の顔をした規則性。
ある夜、内部者は書いた。
《施設の裏口、零時過ぎ。カメラが一台だけ落ちます》
母は、返信しなかった。代わりに、ノートに書いた。日時と、雨の有無。外に出さない記録だ。
数日後、匿名アカウントが新しく作られた。名前は《共鳴》。過去の告発の言葉は使わない。新しい切り口。
《同じ説明を受けた人へ。違和感の共有を》
投稿は、静かに増えた。数字は伸びない。だが、反応の質が違う。感情ではなく、状況の一致が集まる。
その夜、母のもとに、再び封筒が届いた。前より薄い。金額も少ない。様子見だと分かった。
内部者からも、短い警告が来た。
《動きがあります。沈黙の質が変わりました》
母は、恐怖を飲み込んだ。やめる理由は揃っている。続ける理由は、一つだけ。終わらせてもらえていない。
未明、投稿の一つが削除された。理由は、ガイドライン。母は、保存していた下書きを別の場所に移した。消される前提で、残す。
内部者は、最後にこう書いた。
《もし途切れても、違和感は残ります。残った人が、次を呼びます》
返信はなかった。
だが、翌朝、別のアカウントから、同じ文体の短文が届いた。
《続けます》
匿名の声は、個人ではなくなった。
遺族と内部者の間で生まれたのは、告発ではない。共鳴だ。
真実を暴かなくても、社会の表面に、微かな振動が走る。
それは、止めようのない小さな波として、次の夜を待っていた。




