第十三章 遺残
葬式は、滞りなく終わった。
式次第に不備はない。焼香の列は途切れず、僧侶の声は安定していた。遺族席の最前列に座る母は、涙を流すタイミングさえ、周囲に合わせていた。泣き崩れないことが、きちんとした家族の証明になると、どこかで教えられてきた。
棺の中の娘は、眠っているように見えた。
だが、首元の化粧は厚い。隠すための厚みだ。触れなければ分からない。触れれば、元には戻らない。母は、最後まで触らなかった。
警察の説明は簡潔だった。
「事故の可能性が高い」
倉庫での転倒。頭部強打。複数の関係者の証言が一致している。事件性は低い。調書は、既に整っている。
母は、頷いた。
否定しなかった。否定するための言葉を、誰も用意してくれなかったからだ。
帰り道、父が言った。
「変だったな」
何が、と聞き返すと、父は黙った。言葉にした瞬間、壊れてしまうものがあると、本能的に分かっている顔だった。
娘は、生前、宗教の話をしなかった。
ただ、夜になると、急にシャワーを浴びた。皮膚が赤くなるまで。爪を短く切り続けた。スマートフォンの通知を、音が鳴る前に切った。
母は、思い出す。
「もうすぐ、抜けられるかもしれない」
そう言った夜の声。期待と恐怖が混じった、落ち着かない調子。
告別式の後、見知らぬ男が声をかけてきた。
黒いスーツ。名刺はない。
「娘さんは、立派でした」
何が、と聞く前に、男は去った。褒め言葉の形をした、封印だった。
数日後、母の元に、封筒が届いた。
差出人不明。中身は現金。香の典と書かれた短いメモ。金額は、生活を変えるには足りないが、拒むには多すぎた。
母は、封筒を閉じた。開けなかった。だが、捨てもしなかった。
その夜、テレビに宗一が映った。
祈りの映像。穏やかな声。安心させる間。母は、息を止めた。
一瞬、画面の向こうで、表情が違った。
ほんの一瞬だ。だが、母は見逃さなかった。同じ顔なのに、娘が恐れていた人間と、どこかが重なった。
「……違う」
母は呟いた。何が違うのか、説明できない。ただ、同じではない。
父は、画面を消した。
「考えすぎだ」
そう言いながら、父自身の声が震えている。
母は、その夜、初めて娘のスマートフォンを開いた。
凍結されたSNSアカウント。下書きのまま残った告発文。途中で止まった文章。
《顔が、同じだった》
それだけが、残っていた。
翌日、母は警察署を訪れた。対応した刑事は、丁寧だった。だが、目が合わない。
「その件は、既に――」
説明は、途中で終わる。終わらせるための説明だ。
帰り際、母は聞いた。
「似ている人、見ませんでしたか」
刑事は、一瞬だけ黙った。
「……照明の問題です」
母は、確信した。
真実は、隠されているのではない。共有されていないだけだ。
誰もが、薄く知っていて、深く関わらない。
娘の死は、事件にならなかった。
だが、母の中で、何かが終わったわけではない。終わらせてもらえなかった。
テレビの中の顔を見るたび、胸の奥に、取り返しのつかない違和感が積もっていく。
それは、怒りにも、悲しみにもならない。
名前のない異物として、残り続ける。
そして、その異物こそが、この物語で、最も消えにくい証拠だった。




