第十一章 解禁
その夜、編集部の蛍光灯は半分だけ点いていた。
深夜一時。終電を逃した人間と、帰る理由を失った人間だけが残る時間帯だ。机の上には空の紙コップと、冷め切った弁当。画面の向こうで数字が動くたび、誰かの人生が編集される。
南條は、USBメモリを掌の中で転がしていた。軽い。だが、重かった。
中身は映像と音声。湾岸の倉庫、同じ顔が二度、同時にフレームに入る瞬間。照明のせいではない。カメラの手ブレでもない。編集で誤魔化せない事実が、そこにある。
「出すなら、今しかない」
若手の記者が言った。声は震えている。正義ではない。焦りだ。ネタは腐る。朝になれば、どこかから圧が来る。
デスクは黙っていた。スポンサー一覧が頭に浮かぶ。宗教団体の関連会社、イベント協賛、選挙特番の広告枠。一本の記事で、全部が吹き飛ぶ。
南條は、回線を切り替えた。社内検閲を通さない裏配信。臨時の特設ページ。告知はしない。拡散を呼ばない形で、事実だけを置く。
公開ボタンを押したのは、一時三十七分。
最初の数分、何も起きなかった。アクセス解析の線が、水平に伸びる。
その後、跳ねた。
切り抜きが出回り、画質を上げた比較動画が作られ、声紋の一致が検証される。専門家を名乗るアカウントが現れ、否定と肯定が同時に走る。一度だけ、真実が速度を持った。
だが、長くは続かない。
二時過ぎ、広告局から電話。続いて法務。総務。誰も「止めろ」とは言わない。ただ、同じ言葉を使う。
「確認中」
確認は、永遠に終わらない。
二時二十分、ページが落ちた。サーバー障害。公式発表。バックアップも消える。社内のログが書き換えられ、配信は“なかったこと”になる。
南條の端末には、通知が溜まっていた。称賛、罵倒、脅迫。正しさは、数で殴られる。
「やったな」
デスクが言った。褒め言葉ではない。覚悟の確認だ。
午前三時、南條は異動を告げられた。名目は体調不良。席は残る。だが、触れる案件は消える。組織は人を切らない。役割を剥ぐ。
一方、外では別の調整が進む。
政治家の秘書が火消しの文言を回し、警察は誤認の説明を再利用し、宗教団体は沈黙を選ぶ。黒崎組は動かない。動かないことが、最大の圧力だ。
午前四時、検索結果から映像は消えた。だが、消え切らなかった。
倉庫にいた者の記憶、端末に残ったスクリーンショット、比較画像。断片が、点在する。完全な抹消は、もうできない。
宗一は、未明の祈祷室で報告を受けた。顔色は変えない。言葉を選び、沈黙を選ぶ。その姿は、信仰の器として完璧だった。
黒崎の養子は、ニュースの残骸を眺めていた。入れ替われる可能性が、世に出た。だが、確証は出なかった。使える。
一度だけ成功した内部リークは、社会を変えなかった。
だが、均衡に亀裂を入れた。
翌朝、編集部の蛍光灯はいつも通り点き、誰も昨夜の話をしない。成功は失敗として処理され、真実は噂として生き延びる。
この夜、証明されたのは一つだけだ。
出せる真実は、出しても消される。
そして、消し切れなかった欠片が、次の夜を呼ぶ。




