第一章 誕生
分娩室の空気は、消毒液の匂いと異様な緊張に満ちていた。
久我教祖は、祈るでもなく、医師を急かすでもなく、ただ一点を見つめていた。白いカーテンの向こうから聞こえてくる、規則的な医療機器の電子音。そのリズムが乱れるたび、彼の指先がわずかに震えた。
「……生まれます」
助産師の声と同時に、最初の産声が上がった。力強く、よく通る声だった。教祖は一瞬だけ目を閉じる。安堵。しかし、それは長く続かなかった。
「もう一人います」
二度目の産声は、ほとんど同じ音程、同じ強さで室内に響いた。
双子――。
教祖の脳裏に、祝福という言葉は浮かばなかった。代わりに、組織図、献金額、選挙区、警察内部の人事、そして一人の男の顔が次々と浮かび上がる。
黒崎剛志。
広域指定暴力団・黒崎組組長。ここ数年、光輪会と水面下で関係を持ち続けてきた男だ。表向きは一切の接点がない。だが、資金洗浄、土地取引、政治献金――互いの弱みを握り合うことで成立した、極めて不安定な共存関係。
教祖は理解していた。この双子の誕生は、偶然ではあっても、結果として“使える”と。
ベビーベッドに並べられた二人の赤子は、寸分違わぬ顔をしていた。目の形、鼻梁の高さ、泣き方まで同じだ。医師が笑顔で言う。
「一卵性ですね。将来、見分けがつかなくなりますよ」
その言葉は、教祖にとって予言に等しかった。
――見分けがつかない。
それは危険であり、同時に切り札でもある。
教祖は静かに決意した。二人とも育てる。ただし、同じ場所ではない。
この瞬間、双子の人生は分岐した。誰にも告げられぬまま、宗教と暴力の境界線に、見えない楔が打ち込まれたのだった。




