[007] トールセン商会の没落
ミラとルックが出会う十数年以上前……。
王国の市場は賑わい、新鮮な食料や高品質の武具、それに遥か南方の大陸からもたらされた香辛料の取引が盛んに行われている。王都住民はもちろん、遠方の街からも商人が訪れ、盛んに交易が行われている。
王国中に支店を張り巡らせて物流の安定を第一に掲げ、奉仕の姿勢を社訓に掲げたトールセン商会は、ホルフィーナ王国最大の商会だった。
王都と街を繋ぐ街道には商会専用の駅を設置し、馬車の乗り換えを次々と行うことで、新鮮な食品を王都に提供する。海上では、何十隻ものキャラベルが季節を問わず波を越え、王国周辺の国家や遠方の大陸との航路を航行していた。
まさにトールセン商会の黄金時代だった。
王族からの信頼も厚く、経済安定の一翼を担っていたトールセン商会に陰りが見え始めたのは、この頃からおよそ四~五年後だった。
急激に力をつけ始めたバルバリア商会は、まさに悪徳商会の呼び名に相応しいやり方で、恥も外聞も無いとはこの事かと言うべき手法で金を集めに集めていた。
麻薬の密売、禁制品の取引、奴隷売買、他商会の商隊襲撃、貴族への賄賂、法務官の抱き込み……。その悪行に対抗すべく、トールセン商会も様々な手を打ったが、いずれ正貨は悪貨に駆逐されるもので、トールセン商会の交易路はバルバリア商会にその大部分を抑えられ、いつの間にか商人ギルドまで、バルバリア商会の手の内にあった。
トールセン商会の商会長は、エイドル・トールセンと言う。歳は四十五歳で、社訓をよく守り、王国の経済のために物流の安定を第一と考える人間だ。王国一の商会の長でありながら、気質は剛毅実直、王国有数の剣士を師と仰ぎ、剣の腕も相当なものだった。
バルバリア商会の横暴に対抗すべく、私兵を雇い入れ、自ら剣を指南し、各地に散った私兵達は、時に商隊を襲うバルバリア商会の私兵を返り討ちの憂き目に合わせていた。
ルック・トールセンは十歳だが、父であるエイドル・トールセンから徹底的に剣と武術を叩き込まれ、数ある剣術の型を全て修得していた。剣術に加え、商売に必要な知識も徹底的に叩き込まれ、次期商会長として申し分ない成長を見せていた。しかし、バルバリア商会の圧力が無ければ、これほど急ぐ必要もなかった。圧倒的な剣技と知識と引き換えに社訓である「奉仕の姿勢」の徹底が疎かになっていたことにエイドルは気付いていなかった。
ある日、執事のサジルが血相を変えて部屋に飛び込んできた。父、エイドル・トールセンの商隊が何者かに襲撃された。何者かは分からないが、バルバリア商会の手の者であることは想像に難くない。エイドル・トールセンの消息は不明だと言う。
「ルック様、この館も襲われるかもしれません。今すぐ身を隠しましょう」
サジルに連れられ、館の外へと飛び出したが、その予想は早くも的中してしまい、バルバリア商会の手の者がすでに館を取り囲んでいた。
身を隠して包囲から逃れようとするも、館には遮蔽物が少なく、ルックとサジルが敵に捕捉されるのにそれほど時間はかからなかった。
一斉に矢が降り注ぎ、懸命に振り払うが、一本、また一本と矢はサジルに突き立っていく。
包囲を突破したものの、サジルは血を失い過ぎていた。
「母上様、ヒルデ様が館に不在だったことが幸いでした。よく聞いてください、ルック様。この道を真っすぐ進んでください。二日ほど歩けば村が見えてくるはずです。村の者にトールセンのルックと言えば、あとは村の人間がかくまってくれるはずです。村にいればヒルデ様とも落ち合えるでしょう」
サジルは失いつつある意識の全てを振り絞り、わずかな言葉を伝えるとそのまま絶命した。
ルックは、サジルの最後の言葉を忠実に守り、道を進んだ。最後の言葉はサジルの遺体を茂みに隠すことだった。サジルが発見されてしまうと、行先が割れてしまうし、遺体を埋めると時間がかかり過ぎてルックが見つかるリスクが高まる。
ルックは泣いた。家族同様に過ごしたサジルを弔うことも出来ず、茂みに打ち捨て、無情にもただ道を進む。涙を拭うおうともせず、後ろを振り返らず、ただ道を進む。
日が落ちる。落ちた日が再び上ろうとする頃、村が見えた。
ルックに気付いた村人が近づき声を掛ける。サジルを信じて「トールセンのルック」と伝えると、村人はルックの手を引き、村長の元へと連れて行く。
キルクークの村は、村をあげてルックを守った。王都近郊の村ということで、バルバリア商会の追手が村を訪れたが、村を捜索することは出来ず、追っ手は立ち去った。
バルバリア商会はキルクークの村を調査出来なかった。この村に剣聖の称号を持つ剣士が滞在しているからであった。
コルネウスは、この国でたった四人しかいない剣聖の一人で、キルクークの生まれだ。そして、エイドル・トールセンの師でもあった。各地を旅し、剣術を指南していたが、エイドルから万が一の場合、ルックを匿って欲しいと依頼された。
本当に万が一に備えて……、だったが十歳のルックがただ一人村に現れた。
ルックは、コルネウスにエイドルが襲われ、消息不明であることと、サジルの死を伝え、サジルの仇を討つため剣を教えて欲しいと頭を下げた。