[004] ミラの期待
ルックに付き従い、部屋に入る。街の宿の一室。さすがと言うべきか、トールセン商会の商会長が宿泊する宿は豪華だ。この街で最も立派な宿の、最も高級な部屋を用意してもらった。
「こんないい部屋に泊まれるなんて羨ましい限りですね」
キングサイズのベッドと来客用のテーブルとソファー。装飾品も見事なものばかりで、テーブルにはよく冷えたワインのボトルとハムやチーズが並べらえている。農村で生まれ育たミラには、縁のない世界だ。
「酒は大丈夫か?」
ルックは、早々にワインの栓を抜き、二つのグラスに真っ赤な液体を注ぐ。部屋中に芳醇な葡萄の香りが充満し、ミラの嗅覚を捉える。
「村で乳酒を飲んだことはあります。酔いというより味になじめず、あまり飲みませんでしたが」
「乳酒を飲んで大丈夫なら、ワインも大丈夫だろ。味は乳酒と比べ物にならないし、次の日の酒の残り方も乳酒よりはマシだ」
ソファーに座り、お互いのグラスを傾け、軽く重ねる。ガラスのぶつかり合う音がかすかに部屋にこだまし、ミラは初めてのワインを口にする。
「初めて飲みましたが、とても美味しいです。乳酒と比べるのは気が引けますね」
しばらくすると、部屋に食事が運ばれ夕食を取る。二本目のワインが空いた頃には、さすがに酔いが回り、今日の暇を告げ、自分の部屋に戻ろうとする。
「ところで、私の部屋ってどこですか?」
* *
どうしてこうなってしまったのだろうか。ベッドの中で自分の行いに激しく後悔し、虚しくなった。
隣ではルックが静かに寝息を立てている。
「部屋は一つに決まってるだろ。俺達は怪しまれないよう故郷に向かう夫婦だと言ってるからな」
ワイングラスを傾けながら、当たり前のように言い放つルックに、思わず暴言を浴びせてしまった気がするが、そのあたりは酒のせいであまり覚えていない。
俺はソファーで寝るから、気にせずお前はベッドで寝ろとルックは言う。さすがにそれは出来ないと断り、ソファーで寝ようとするミラに、それならお前もベッドで寝ればいいだろと言い放つ。
確かに二人で寝ても十分すぎる広さだ。しかし、いくらゆとりがあるとはいえ、同じ床に誘われたからには覚悟を決めるしかない。ルックに助けてもらわなければ、今頃奴隷として売り払われ、どんな目にあっていたか分からない。今の自分はルックの所有物だ。何をされても文句を言える立場ではないし、見ず知らずの年寄の貴族に好きなように扱われるくらいなら、ルックの物になったほうがいい。
どの道、抱かれるならルックの思い通りに弄ばれるより、私が支配してやる。
ベッドに入り、自らそばに寄り添い、ルックの首に腕を回す。
ルックが首に回した手を掴み、ミラの腕を強引に下へと下げる。ルックの首に絡みついていたミラの腕が、胸の位置へと押し下げられる。
ミラの首元にルックの腕が差し込まれ、力が加わり抱きしめられた。
支配権を委ねてしまい、ルックの胸にうずくまる形となった。もう全てを委ねよう。そう思った。
どれくらい時間がたっただろうか。
ふと、ルックの寝息に気が付き、一気に力が抜けてしまった。
(こいつにとって、私は抱き枕みたいなもんかよ……)
むしろ、少し期待していたんだと気づく。完全に肩透かしをくらった。
寝顔をじっと見つめる。
くっそ可愛いな。
この男が、麻薬密売人をためらいなく斬り捨て、商談の場では、平然な顔でブラフを仕掛ける。
思わず髪をなでると、寝息を立てながらミラに抱きつき、一瞬目があったような気がしたが、そのままルックは何事もなかったように再び寝息を立てる。
商談の場のアクセントになっている自覚はあった。ただ農作業を手伝う日々とは違い、その日々ごとに異なる商談をまとめるために色香を漂わせ、最後には自分が商談を決定づけることに快感すら覚えていた。だが、ルックにとって、都合よく扱える女でしかない。
今日、心は別として、体だけはルックの物になろうと覚悟を決めていた。
そうすれば、ルックはもっと私のことを見てくれる。
ルックと離れるのが怖い。もしルックが私を奴隷として売り払ったら、この先どのような人生を歩むのだろうか。
そのような打算を打ち破るように、眠り込んでいるルックに腹が立つ。そして、体を許せばもっとルックの興味が惹けると考えた、浅はかな自分に嫌悪感を抱いた。
自問自答の時間を過ごす間に意識を失い、カーテンの隙間から朝日が漏れる。
わずかな隙間を隔てて眠っているルックは、まだ深い眠りの中で、ミラが起きていることに気付いていない。時計の針はすでに九時を指していた。酒に酔っていたとは言え、いつもより三時間は多く寝てしまった。
今日は早めに移動を開始し、次の街の調査に向かう予定だ。
ルックを叩き起こすと、そのまま気だるそうに風呂に入り何事もなかったように次の街へと移動する準備を整えている。
昨日は同じ部屋に泊まり、同じ布団の中で眠りについた。もう少し興味を持ってくれてもいいんじゃないかと思いつつミラはルックに付き従い、次の街に向かった。