[003] 商取引の現場
アイルマウント近郊の街の高炉を訪れる。高炉の中では鉄鉱石と木炭が混ざり、真っ赤に加熱された炉には風が送り込まれ、熱の籠った空気が建物内を循環し、この場に少し立っているだけで汗が噴き出す。離れた場所から、冷えた鉄の塊を金槌で叩く音が響き、喧噪でルックの声がかき消される。
「この炉の経営者に会いたいんだが」
大声で叫ぶと、手を挙げた従業員が急ぎ足で建物から出て行き、少しすると経営者と思われる真っ黒に日焼けした親父を連れてきてくれた。ルックは、トールセン商会の商会長だと名乗り、商人ギルド登録証を親父に見せる。ギルド登録証は、魔力で暗号化されており、登録者本人でないと登録証の文字を表示することができない。
「トールセン商会が運営している鍛冶屋で鉄が足りなくて困ってるんだ。出来ればいくらか卸して欲しいんだが、相談に乗ってくれないか」
「トールセン商会といば、再建後、すさまじい勢いで拡大してるって噂になってるぜ。俺も勝ち馬には乗りたい。応接間があるからそっちで話そう」
親父さんの後に続き、応接間に入ると、暑かっただろうとキンキンに冷えた清潔なタオルを差し出してくれた。ありがたく受け取り、ルックは顔から首、そして体の細部まで、服に隠されていない肌という肌をぬぐったが、ミラは化粧が落ちるからと、タオルを首に巻いて涼をとっていた。
大口の注文を期待する高炉の親父は、上機嫌で、事務員の女性に紅茶と茶菓子を持ってくるよう命令し、二人を上座に案内する。
「商談に応じていただき、感謝いたします。さっそくで不躾ですが、一キログラムあたりの鉄の価格はおいくらでしょうか」
ルックに言われた通り、ミラが商談を切り出す。
「ミラ、いきなり金額の話しは本当に不躾だろ。申し訳ないですね、親父さん。最近雇った秘書で、まだ商習慣が良く分かってないんですよ」
お前が、こう話せと言ったんだろうがと内心で舌打ちしながら、勉強中なものでと照れ笑いでごまかす。しかし、ミラの照れ笑いを見た親父さんは相好を崩す。
「ラザイの商人の間で噂になっていますよ。トールセン商会の商会長がとんでもなく美しい秘書を連れていると」
ミラはうつむきながら、顔を赤くして手を振り「そんなことないです!」と全力で否定するが、親父さんは、その姿を見て商会長が羨ましいと言いながら、従業員が運んできた紅茶と茶菓子を自らテーブルに並べる。
茶菓子を楽しみながら、ルックと親父さんがここ最近の武器の流通や、ホルフィーナ王国の北に位置するカトレア共和国との戦争について情報を交換し、話の所々でミラも加わり、雰囲気が温まったところで商談を切り出す。
「王都で鉄を仕入れると銅貨で一枚(1000円くらい)ですが、こちらではいくらくらいになりますか」
「鉄貨で八枚(800円くらい)ってところかな」
親父さんに見えないよう、ルックの足がテーブルの下でミラの足を軽くつつく。
「そうですか……、隣の街では鉄貨で六枚で話がついていまして。ここ最近、安価な鉄鉱石が流通していて、鉄相場がかなり下落していると伺ったのですが、こちらには安価な鉄鉱石は流れてきていないんですか」
あらかじめ決めておいた合図に合わせて、ミラが隣町での価格交渉について漏らしてしまう……というシナリオだ。アイルマウント近郊での調査は、この街が初めてだから当然隣町の相場なんか知るわけもない。
しかし、商談の冒頭でミラが商売の素人だと認識してしまった親父さんは、新任秘書がまたやらかしたなと思い込み、話を真に受ける。
「ルックさんも人が悪い。そこまでご存じなら、金額提示してくれれば良かったのに」
「いえいえ、商売人たるもの、まずは高値を提示してじっくりと落としどころを詰めていくのが商談の基本ですからね」
苦笑いの親父さんに満面の笑みでルックが返す。そして、価格情報を漏らしたミラをしかりつける。いたたまれなくなった親父さんは、ルックをなだめながら「では駆け引きなしで鉄貨で六枚でどうだろうか」と言ってくれたので、その価格で合意し、次に発注量のすり合わせを行った。
「では、こちらの契約書にサインをお願いします」
ミラが提示した契約書にルックと親父さんがサインする。内容はキログラムあたり鉄貨六枚で三トン。金貨十八枚(180万円ほど)で合意した。
商談を終え、その後も雑談で盛り上がる中、ルックは鉄鉱石が安く流通されている理由をさりげなく聞き出そうとする。取引を終えた親父さんには、すでに警戒心というものはひとかけらもなく、あっさりと事情を教えてくれた。
「他がどうかは分からないが、うちの場合は、ある商会が飛び込みで鉄鉱石の取引を持ち掛けてくれて、アイルマウントの鉄鉱石の七割くらいの値段を提示してくれたんですよ。最初は話が旨すぎて、少ない発注から始めたんだが、品質はアイルマウントの鉄鉱石と変わらないし、安定して供給してくれるもんだから、今はその商会に注文を一本化しているんですよ」
「商売上の機密である仕入れ先についてまで教えていただき、ありがとうございます。親父さんとは今後とも長いお付き合いをさせていただきたい」
そう言ってルックは、親父さんに小箱を差し出す。小箱の中身を確認した親父さんは、一瞬、驚きの表情を浮かべたが、小箱の蓋をそっと閉じ手元に引き寄せた。
「大量に鉄を発注していることを他の商会に悟られるわけにはいきませんから、他言無用でお願いしますね」
「もちろんですとも。今後とも、よろしくお願いいたします」
親父さんの丁寧な見送りに笑顔で応え、宿に向かう。すでに日は落ち、あたりは暗くなっていた。
「あんなに鉄を発注しても大丈夫なんですか」
「鉄は剣や鎧に加工すれば、いくらでも売れるからな。あれだけ安ければ、むしろ王都ではかなりの利益を生んでくれるさ」
鉄鉱石の相場下落にかかわる情報をしっかりと収集しつつ、利益もあげる手腕を見せつけられ、心の内側が熱くなってしまっている自分にまたしても嫌悪感を抱くミラだった。