[025] 光標の先へ
バルバリア商会の企てをトールセン商会の人間に伝え終え、肩の荷が下りたからだろうか。マリナは応接間の床に膝をつき、そのまま力なく蹲ってしまった。
あまりの様子に驚いたミラが、慌てて駆け寄る。
「マリナさん……? どこか痛めているのですか?」
声を掛けたミラへとわずかに視線を移し、すぐに目を伏せる。マリナは首を振り、気恥ずかしそうな様子で、申し訳なさそうに小さく呟いた。
「ここ数日……王都で潜伏している間、ろくなものを口にしていなくて……」
驚いたミラだったが、すぐさまマリナに笑顔を向ける。
「それは、大変です! すぐに食事をご用意しますね!」
言うが早いか、ミラは駆け出し、すぐさま食堂から食事が運び込まれた。幸い、護衛や私兵のために用意していた料理があったため、わざわざ調理する必要はなかった。
湯気の立つ暖かなシチューとパンが並べられ、それを視界に捉えたマリナの腹が、大きな音を立てる。マリナが、顔を真っ赤にし、俯く。
「空腹のときは、無理をせず、ゆっくり食べてくださいね」
にこやかに微笑むミラを見て、この時になって初めて、目の前の女性が驚くほど綺麗な人なのだと気づき、さらに顔を赤く染めた。
食事を終える頃には、張り詰めていた緊張は完全に取り払われ、代わりに疲労が押し寄せる。その波は、マリナの意識を侵食し、急激な眠気に襲われた。
応接間のソファーに身を横たえ、まぶたを閉じる。
――どれほど眠っていたのだろう。
不意に、周囲の慌ただしい気配で目を覚ました。
商会の外が、どこか騒がしい。
重くぐったりとした体を無理やり起こし、窓の外に目をやると、グレンたちが荷台を引き、慌ただしく駆け出していく姿が目に飛び込んだ。
(もしや『爆炎の魔導具』の居所を掴んだのでは!?)
こうしてはいられない。胸の高鳴りを抑え、マリナは剣を掴む。寝ぐせもそのままに応接間を飛び出し、グレンの後を追い始めた。
* *
グレンたちを追って辿り着いた先で、マリナが目にしたのは、圧倒的としか言いようのない、魔導士の力だった。
増水し、急な流れとなった川を広範囲に渡って凍り付かせ、避難民のための氷の橋を作り出した。
それだけではない。巨大な氷の壁が川の流れを受け止め、向きを変えられた濁流は、延焼を続ける火災を飲み込み、その勢いを著しく削いでいった。
氷の橋を渡ってきた避難民を、男たちが声を掛け合いながらロープで引き上げている。
……奇跡のような光景だった。
グレンの姿を見つけ、声を掛ける。そこには先ほど、奇跡を演出した女魔導士の姿もあった。
「グレンさん、こちらの魔導士の方も、トールセン商会の方なのですか?」
グレンがマリナの問いに答える前に、女魔導士が口を開いた。
「私はトールセン商会の護衛魔導士だ。名をレミと言う」
その名を耳にした瞬間、グレンはわずかに思考が止まり、思わずルックを見据えた。
(……女性姿の時は、その名を名乗るのか)
次々と救われていく人々の姿に、先ほどまで高鳴っていた胸の内に、ふと薄暗い影のようなものが差し込む。だが、その影は、氷の橋を渡ってくる人々の中に、クレオとヨーゼフの姿を見つけたことで、少しずつ薄れていった。
しかし、喜びもつかぬ間。クレオが伝えたニコラスの言葉にグレンとレミ、それにマリナの顔色が一変する。
レミが次々と指示を出し、グレンとミラがそれに応える。
「レミさん! 私にも指示を下さい! 『爆炎の魔導具』は私の村から持ち出された物なんです!」
必死な形相のマリナを一瞥し、レミが静かな口調で問う。
「グレンの話しでは、剣はそこそこ使うと聞いている。他に何が出来る?」
「弓と投擲には絶対の自信があります」
マリナは、ベルトに仕込んだ投げナイフを見せる。
「私も魔力が尽きているから、投擲はありがたい。私とグレンについて来てくれ。馬には乗れるな?」
マリナは黙ってうなずく。
しばらくして、トールセン商会の人間が率いてきた馬に跨ったレミ、グレン、マリナ、それにラルフとエルス醸造所の警備にあたっていた護衛が駆け出す。
レミがあまりにも迷いなく馬を駆るのが不思議でグレンに聞くと、『光標の魔導具』が目的の場所を指し示しているらしい。
(……その場所には、『爆炎の魔導具』が……)
マリナが見据えるレミの背の先に家族の仇がいる。
馬の背の上で、マリナは手綱を強く握りしめた。




