[021] 王都騒乱
その日、ネメセス商会長は、王都宰相の嫡男襲撃事件について審問を受けるため、法務院を訪れていた。あらかじめ法務官には多額の賄賂を渡してあり、手続きは形ばかりのものに終わり、「嫌疑不十分」一言で、身柄の拘束は免れた。
しかし、ネメセス商会長が法務院の正門を出て、馬車へ向かおうとした、わずか数分の間にその事件は起きた。
突如、群衆の隙間から躍り出た人物が、ネメセス商会長の目前に迫ると、抜き放った剣で切り伏せ、うつ伏せとなった商会長の体から鮮血が溢れる。護衛として随行していた、第二王子派・レグルス男爵配下の兵たちもあわてて応戦したが、刃を交える暇すら与えられなかった。わずかな斬り合いの末、数名が次々と斬り倒され、刺客はその場から逃げ去ってしまった。
* *
王都の隅々にまで張り巡らされた諜報網が、事件をいち早く捉え、ルックのもとへと報告を届けた。
「ネメセス商会長を殺害した犯人はいまだ捕らえられておりません。第二王子派はこれを第一王子派による暴挙だと喧伝し、レグルス男爵を旗頭に掲げ、報復の兵を動かす準備に入っているとのことです」
状況報告を簡潔に述べ、商会員がルックの部屋を後にした。
華美な調度品はなく、書物や書類を収める本棚と、機能的な什器に囲まれた部屋の中でルックは静かに思案する。
(……念のため、ヤームシュタット公爵の耳に入れておいたほうがいいか)
ルックは、ひときわ足の速い使用人に、ヤームシュタット公爵の王都本邸に走るよう指示する。彼の足なら15分もあれば本邸に辿り着き、公爵の耳に入るだろう。
王都での緊急事態に備え、グレンとミラを呼び、商会が抱える護衛と私兵を招集する。
王都に火の手が上がったのは、ルックが報告を受けてから、わずか一時間後のことだった。
レグルス男爵率いる一団は宰相の本邸へ攻め入り、火矢を放ち、松明を次々と投げ込んだ。だが、宰相本邸はすでに防衛体制を整えており、思うように踏み込めぬまま攻めあぐね、男爵の一団は撤退を余儀なくされる。
しかし、放たれた火の一部が炎となり隣家に燃え移った。都合の悪いことに、今の季節としては珍しく吹き荒れていた強風が炎を煽り、火は、風下の街を飲み込もうとしていた。
「ルックさん、まずいですよ! このまま火事が広がっちゃったらエルス醸造所が巻き込まれます!」
ミラに言われるまでもなく、エルス醸造所の危機を悟ったルックは、護衛と私兵をエルス醸造所に派遣する準備を始めていた。火の行く手に先回りして、建造物を破壊してしまえば延焼を防ぐことができる。
木槌や水の魔導具、そのほか、消火に役立ちそうなものを徹底的にかき集める。慌ただしく動き回るトールセン商会の人間をかき分け、ヤームシュタット公爵の使者が飛び込んでくる。
「ルック殿、レグルス男爵とハーマン男爵が連携し、五百ほどの第二王子派の兵が、宰相の邸宅を囲んでいます! ハーマン男爵は、鉄槍を極めた武人で、我々には奴に太刀打ちできる武人がいません。願わくばルック殿かグレン殿にご加勢を願いたいとヤームシュタット公爵が仰せです!」
顔色を蒼白に染め、肩で荒く息をつきながら報告を終えた使者の言葉に、ルックは思わず声を荒らげた。
「それだけの人数を消火に回さず、まだ争いを続けるつもりか!」
珍しく怒気をあらわにしたルックの姿に、ミラの顔色もまた失われていく。窓の外は、まだ陽の高い時刻だというのに、陽光は立ち上る濃煙に遮られ、炎の色を映した煙が空を覆い、王都の空は、早すぎる夕暮れのような色に染められていた。
「グレン! 出られるか!?」
呼びかけに、待っていましたとばかりに「おうっ!」っと即答が返る。その声はあきらかに昂揚していて、顔には新しいおもちゃを手に入れた幼児のような笑みを浮かべていた。その様子にルックとミラが、呆れ果てる。
グレンは素早く甲冑を身にまとい、正体を悟られぬよう顔を面頬で覆った。即断即決のルックとグレンを目の当たりにし、安堵した使者が膝をつく。
「……助力、感謝いたします」
軽装ではあるが、それでも甲冑を身に着け、剣を帯びたヤームシュタット公爵の使者がトールセン商会まで持てる力の限りを振り絞って走り抜き、すでに限界を超えていることは容易に想像できる。ミラは急いでグラスに水を注ぎ、使者に手渡す。ミラから受け取ったグラスの水を一気に飲み干した使者は再び立ち上がり、ルックたちの制止を振り切って、グレンと共に、戦場へと駆け出した。
王国宰相の本邸では、第一王子派と第二王子派の兵が乱戦を繰り広げていた。邸宅の門は破られ、中庭にはいくつもの屍が転がっている。綺麗に刈り揃えられた芝は踏み荒らされ、花壇の土と花があちらこちらに散らばっている。珪石の煉瓦を積み上げて建てられた真っ白な本邸には、まだ侵入を許していないようだが、明らかに第一王子派の旗色が悪い。
中庭の中央で、一際目立つ大きな体躯の男が、大声を上げて槍を振り回している。男を取り囲んだ兵が、鉄槍の柄で次々と弾き飛ばされている。大きな穂先に、金属製の柄でしつらえられた鉄槍を軽々と振り回す理力は大したものだとグレンが感心する。
「グレンさん、感心している場合じゃないです!」
グレンの影に隠れながらも、ここまで共に走り抜けた使者は剣を抜き、敵の攻撃に備える。その姿に好感を覚えたグレンは、使者の肩を軽く叩き、おれに任せておけと言う。
「おい! あんたがハーマン男爵だな?」
喧噪渦巻く戦場にあっても、よく通るグレンの声に反応し、鉄槍の男は、「いかにも」と言い、グレンの立ち姿を舐めるように見据える。重厚な鉄の鎧を纏い、アイアンヘルムの下も面頬で覆われ、表情をうかがい知ることはできないが、これまであしらってきた第一王子派の兵とは明らかに別格だと分かる。
「一流の武人が、第一王子派の中にもいたか。豪槍のハーマン、貴殿の名を伺いたい」
「ハインセル傭兵団、筆頭騎士グレン。豪槍の異名をとるハーマン殿と立ち合えること感謝する」
グレンが大剣を構える。
「ハインセル傭兵団のグレン……。剣聖コルネウスと遜色ないと噂の剣士ではないか。こちらこそ立ち合えることを感謝する」
言うや否や、速く重い槍が地平と平行にグレンを襲う。大剣で受け止めるが手がしびれる。
(こいつは、すごいな……)
お互いにそう感じた。槍と言えば突きと思われがちだが、鉄槍は、鉄棒であり、相手を打ち、叩き潰す武器である。突きなら受け流せるが、鉄槍での薙ぎ払いは受けるしかない。
再び、鉄槍が、今度は袈裟斬りの形で振り下ろされる。
グレンの左上段から振り下ろされる鉄槍に対し、大剣を右手だけで持ち、鉄槍を受け止める。衝突の瞬間、左腿で大剣を押さえることで、右手と左足で衝撃を受け止める。そして、衝突の瞬間、鉄槍が動きを止めるわずかな隙に、鉄槍を左手で握り込み、一気に引き寄せる。
ハーマン男爵の体勢が前のめりに崩れる。大剣の柄をハーマン男爵のあごにぶつけ、のけぞったハーマン男爵目掛けて、右手一本で大剣を振り下ろす。
「実に鮮やか!」
鮮血が噴き出し、崩れ落ちるハーマン男爵の最期の言葉だった。
ハーマン男爵が討ち取られる様を見て、第二王子派の士気は大いに崩れ、まさに総崩れとなる。宰相本邸の中庭では、第一王子派の兵が勢いを盛り返し、第二王子派の兵を押し返し始めた。
(ハーマン男爵……。気持ちのいい武人だったな。敵方にも見事な人物がいるな……)
もう大丈夫だと、グレンと行動を共にした使者に伝え、グレンは宰相本邸から立ち去ろうとした。
グレンが、ふと目線を向けた先に、見覚えのある人物がいた。
(あいつは、ネメセス商会の秘書じゃないか。この戦に参加していたのか)
その刹那、ネメセス商会の秘書が斬り殺される。洗練された身のこなしだが、その兵は、第二王子派の兵に囲まれ、劣勢となる。
(……もうひと働きするか)
グレンは、ネメセス商会の秘書を斬り殺した兵と、第二王子派の兵の乱戦に飛び込んだ。




