[018] 魚醤売りの少年
息を吸うたびに鈍い痛みが走るのだろう。少年は顔をゆがめ、額には脂汗が滲んでいた。ミラがそっと汗を拭い、グレンはしゃがみ込み、慎重に怪我の具合を確かめていた。
「思いっきり蹴られてたからな。左の肋骨、折れてるな……。ルック、ちょっと来てくれ」
トールセン商会の本店、使用人の影から、なるべく厄介ごとに巻き込まれぬよう様子を窺っていたルックは、名を呼ばれ、渋々といった感じで少年に近づく。
ルックが少年の左わき腹に手を当てると、痛みに唸り声を上げる。グレンの見立て通り、肋骨が折れている。その様子を心配そうに見つめるミラの横顔をちらりと見て、ため息を漏らす。
「……治癒すればいいんだろ?」
懐から白魔導用の魔導具を取り出し、少年へ淡い光を流し込む。白魔導の専門家ではないが、魔導具の扱いは慣れている。少年の呼吸がゆっくりと整い始め、表情から苦痛の色が薄れていった。
「すごい……! ルックさんって魔導具も使えるんですね!」
ミラが驚きの眼差しを向ける。剣士として超一流のルックが、魔法の類にも詳しいとは思わなかった。しかしルックは呆れたような眼差しをミラに返す。
「俺が魔導具を使ってるとこを、一番見てるのはお前だろ」
「あ……そういえば、解呪の魔導具……」
いつも見ている光景を思い出し、ミラは「なるほど」と手を叩いた。
この世界で魔法を扱える人間は、十人に一人程度だ。魔法を扱う人間は、自分に適した魔法を自在に扱うことができる。火魔法が得意な者は、火の魔法を自在に扱うが、水の魔法を扱うことはできない。しかし、魔導具を触媒として魔力を発火させることで、魔導具に施された魔法を発動することができる。
火魔法を扱う人間が、水の魔導具を触媒にすれば魔導具に施された水の魔法が発動する。しかし、魔導具に施すことができる魔法は一種類で、魔導具を使用したからといって水魔法を自在に扱えるわけではない。
そして、人は誰しも少なからず魔力を宿しているから、魔導具の使い方を学べば、魔導具を触媒として魔法を使うことができる。
性別逆転の魔法で、男性から女性に姿を変えられてしまったルックは、その魔法の影響を抑え、男性の姿を維持するために、『解呪の魔導具』を常に使用していた。
「そういえばルックさんは、王国随一の魔導具コレクターでしたね。白銀鉱山を買い占めるくらいの」
笑えない冗談だと、再びため息をつくルックとは対照的に、笑い声をあげるグレン。その様子をじっと見つめる少年は、話の切り出しどころを完全に失い、ただ三人のやり取りを見つめていた。
やがて、三人の話が落ち着いたところで、少年が体を起こし、深々と頭を下げた。
「私はクレオと言います。助けてもらったうえに、怪我の手当まで……。本当にありがとうございました」
恐縮しきったクレオ少年に、気にするなとグレンが声を掛ける。その様子を見ていたルックがクレオに声を掛ける。
「クレオ、魚醤を運んでいたと聞いたが、自分で作って売ってるのか? どこかの商会に属してるのか?」
急な質問に、クレオは少し戸惑いながら答えた。
「魚醤は、私と父が作っています。代々この土地で作ってきたので、商人ギルドや商会を通さず、宿や飯屋に直接納めています」
「つまり、どこの商会にも属していないと」
ルックが確認すると、クレオは小さく頷く。
「なら、クレオはトールセン商会の依頼で魚醤を運んでいたことにしたほうがいいな」
「え……?」
意味が分からずに固まるクレオとミラに、グレンが補足する。
「あれだけ大衆の前で恥かかされたんだ。ネメセス商会の連中、必ず報復してくる。狙われるのはトールセンだけじゃない。お前も巻き込まれると考えておいた方がいい」
その言葉に、クレオの顔が青ざめた。
「大丈夫だ。護衛をつける。しばらくは一人で動くな」
ルックの言葉に、クレオは胸を撫で下ろしたが、すぐに申し訳なさそうな表情を浮かべた。
ほどなくして、大柄な男が二人、部屋に入ってきた。ルックの指示を聞き、丁寧に頭を下げると、クレオの側へ歩み寄る。
「我々が護衛します。安心して過ごしてください」
クレオはまだ申し訳なさそうな表情と不安げな面持ちを混濁させつつ、ミラに尋ねた。
「……ルックさんって、何者なんですか?」
ミラは少し微笑み、答えた。
「トールセン商会の商会長、ルック・トールセンです」
ミラにそう言われても、クレオは半信半疑でルックをみつめていた。




