[013] 建国祭
バルバリア商会の王都本店で、本店番頭のクルジスが次々ともたらされる報告に深くため息をつく。すでに頭髪は抜け落ち、わずかに残った髪も白くなっている。背筋は曲がり、垂れ下がる白眉と皺に囲まれた目を閉じた。
手っ取り早く、ルック・トールセンの妻を人質としてさらい、ラフィナ商会の動きを牽制しようと考えた。
蝋燭の火にかざし、燃え上がった手紙を灰皿に投げ入れる。
ラフィナ商会の警備は厚く、ルックの妻が外を歩くとき、常にルック本人か、グレンという赤髪の大男が同行した。加えて腕利きの護衛が五名が同行している。王都では、大勢の人間で襲撃するには人目が多すぎる。それに、やつら相手に十人、二十人程度を差し向けたところで返り討ちに合うだろう。
……数年前を思い出した。
ルック・トールセンは、剣聖コルネウスの元で徹底的に剣の腕を磨き、剣聖と遜色ない腕を持つという。おそらく、父エイドル・トールセンより腕は立つ。
かつて、バルバリア商会が、その命運を懸け、エイドル・トールセンを襲撃した。
集められたのは三百にものぼる、腕利きの傭兵と多くの魔導士だったが、エイドルと護衛十名を討ち果たしたとき、無事に立っていた人間は百にも満たなかった。
その時戻ってきた傭兵の一人から襲撃の様子を聞くことができた。エイドルの鬼人のような暴れっぷりには、敵ながら感嘆するものだった。
クルジスは、剣の才に恵まれなかった。早々に商いの道に進み、他人の恨みを買いながらもひたすらに利殖を追求した。そして金で集めた傭兵が、エイドルを討ち取った。金への歪んだ執着心にさらに取り憑かれた日だった。
部屋の扉が開いた。クルジスの部屋に付き添いもノックもなく入ってくる人間はただ一人、メーデン・バルバリアだった。その顔は不機嫌そのもので、クルジスの歪んだ背筋が冷たくなった。
「娘一人さらうのに随分苦労しているようですね」
「申し訳ございません。護衛が手練れで、外出中を襲うことが難しく……」
メーデンが、クルジスの部屋のブランデーに手を伸ばし、グラスに注いだ。ブランデーを口に含み、ゆっくりと飲み込んでから、クルジスと相対したソファーに座る。
「強力な呪術の使い手を用意しました。ルック本人が護衛しているところを襲撃してください」
一人の男が部屋に招き入れられた。
メーデンが連れてきた男は、魔導士とは思えないようなみすぼらしい姿で、とてもルック・トールセンと戦えるようには見えない。
しかし、試しに奴隷に呪術をかけるよう命じ、効果を確認したクルジスは、この力ならあるいはルックを討てるかもしれないと襲撃隊の編成に取り掛かった。
* *
王都建国祭は、その名の通り、ホルフィーナ王国が国家樹立を宣言した日を祝う祭りだ。
王が今年も建国の日を迎えたことに感謝する祝辞を述べた後、街の至る所で音楽が響き、広場では屋台が立ち並ぶ。劇場では演劇が上演され、闘技場では剣闘士が剣を交え、観衆を賑わせる。そして夜には盛大に花火が打ち上がる。
夕暮れ時になって、ルックはレミを連れ出し、祭りの場へと向かった。
屋台から漂う、肉を焼く香ばしい匂いに釣られ、レミが串焼きを注文する。
串を二本手にして戻ってきたレミが、一本をルックに手渡し、残りの一本にかぶりつく。その子供のような仕草を見て、ルックの口元が緩んだ。
「うん……、これは旨いな」
ルックが一口食べて言うと、レミは嬉しそうに目を細めた。周囲のざわめき、太鼓の音、金貨が落ちる音――その全てが建国祭を彩り、街の平和を祝福しているようだった。
それから、いくつかの屋台を巡ったルックたちは、花火がよく見える大広場へと向かった。
人波は増え、すれ違うのも難しくなってきている。
祭りには似合わない、みすぼらしい姿の男とすれ違った。しかし、二人は気に留めることなく、大広場へと歩を進め、広場に到着すると適当な場所に座った。
陽は完全に落ち、広場に少し冷たい風が吹き抜けるが、群衆の期待が熱気となって伝わり、寒さは感じなかった。
群衆のざわめきの奥から、花火師の合図の声が聞こえる。
次の瞬間、夜空に大輪の光が咲いた。